物欲と性欲、自己肯定感に満ちた30年前の大学生活「POPEYE」
#雑誌 #出版 #昼間たかしの「100人にしかわからない本千冊」
いまや日本人の大学・短大進学率は60%近く。どこの大学も学生の確保に必死だ。昨年から別件の取材でさまざまな大学のパンフレットを取り寄せているのだが、3月に入ってから大学から「進学先は決まりましたか? ウチはまだ受験できますよ!」と電話やメールがバンバン。もはや、大学生であること自体の価値は、ほとんど失われているのではあるまいか。それでも、多くの若者が4月からの新生活をドキドキワクワクしながら心待ちにしているに違いない。そこで、今回は、大学生活にワクワクしている若者諸君をあおる雑誌記事を紹介することに。ただし、30年余り前のだけれどね……。
モテたい若者が必ず読んでいる雑誌の二強が「POPEYE」(平凡出版/現・マガジンハウス)と「Hot-Dog PRESS」(講談社)だったのはいつ頃までだったろう。「Hot-Dog PRESS」の休刊が2004年なので、それ以前に“モテるために読む雑誌”というものは、需要を失っていたのではなかろうか。「Hot-Dog PRESS」が、恋愛マニュアルなどを中心に即物的な路線だったのに対して、オシャレ感が前面に出ていたのが「POPEYE」である。今回紹介する1983年8月25日号も、タイトルロゴの下には「Magazine for City Boys」の文字が輝いている。表紙は、まさにアメリカ西海岸テイスト。わたせせいぞうの代表作『ハートカクテル』を実写にしたら、ちょうどこんな感じなんだろうと思われる。
筆者も、大学時代に『ハートカクテル』を地でいくライフスタイルを追求していたが、友人から江口寿史の『わたせの国のねじ式』を読まされて、悪夢から目覚めたことを思い出さずにはいられない。
さて、本号の特集は「気分引き締め新学期」。大学は後期の授業が始まる時期であり、「一新ついでに、ちょいと生活も変えてみたい」というテーマで構成された記事である。今でも毎年、季節の変わり目になると自分の部屋を「個性」で飾り立てることをあおる「部屋テク」系のムックが何冊も発行されている。それに感化された人は、だいたいアパートの蛍光灯を取り外して間接照明に変えてみたり、あるいは「イケア」あたりにオシャレな家具を買いに出かけてみたり。ちょっと気の利いた人は、中央線沿線の古道具屋なんかで、妙な雑貨を買い込んで部屋を飾ろうとしているハズ。
ところが、この特集で紹介されている「部屋テク」は、そうした小技をせせら笑うダイナミズムで満ち溢れている。「狭いながらもアールデコ。」というキャッチで紹介される部屋の模様替え例は、「何から何までアンティークで揃えるとなると、恐ろしく高いものについてしまうので、安価な組立式の棚をパーツで買って階段状に組んだり、ダミーの柱を作って置いたりする。これならチープかつ効果的に部屋を演出できてしまう」と本文で説明する。ところがどっこい、部屋に置かれているものの説明を見ると「アンティークのミラー/58,000円」「灰皿/6,800円」「サイドテーブル/128,000円」……決してこの頃、日本が驚異的なインフレに見舞われていたわけではない。
なんだかよくわからないが、一歩先をいく展開は止まらない。続くページでは、コンピューターをステーショナリー代わりに活用するテクニックを紹介。大学ノート代わりに持ち歩きたいとして紹介するのは「Canon X-07」。よほどの通でなければ覚えていないだろうが、Canonが唯一発売した、ハンドヘルドコンピューターだ。資料によればメモリは8KB(16KBまで増設可能)、画面は20文字4行表示というもの。特集では、これに大学ノート分くらいの情報が入ってしまう「ROM・RAMカード」を持っていれば「ノートは定期入れの中に入ってしまう時代」と熱く語るのだ。実践していた人がいたならば、ぜひお話を聞かせていただきたい!
「くそう! 80年代の大学生はこんなに愉快に暮らしていたのか」あるいは「コイツら、何しに大学に行ってたんだ」とさまざまな思いが溢れ出す。とにかく、いかなるページであっても文末に「~だろう」「~かもしれない」といった逃げの文句を打つことなく、すべて「これが正しいんだ!」とばかりに言い切っている。ここまで断言されたら、相当強固なポリシーのある大学生でなければ“洗脳”されてしまったことだろう。
さらにページを進めると、登場するのは女子大探訪記だ。やはり、80年代は女子大生がブランドだった時代、執筆者も楽しんで書いているのか、ほかのページよりも熱が入っているように感じられる。本号では、この年、薬師丸ひろ子が入学した玉川学園と、同じく、この年にミス・ユニバース日本代表を生み出した松蔭女子学院大学(現・神戸松蔭女子学院大学)を「日本で一番美女の多い二大大学」だとしてルポしている。ここでも、妙な説得力のあるネームの勢いは止まらない。むしろ、力が入りまくりだ。玉川学園は「明るく爽快感あふれるキャンパスには健康サラダガールがあふれている」そうで、「ガールフレンドとして、一緒に街を歩きたいタイプの女のコでキャンパスはいっぱい」らしい。彼女らにウケのよいファッションが「IVYやトラッドといった感じの一般受けするスタイルが彼女たちのお好み」と書いてあるあたりが時代を感じさせる。対する松蔭女子は「美人のパノラマワールド」と、いきなりな結論である。「思わず“どうして”と聞きたくなるほど素敵なコが多いのに驚いてしまう」とか書いてるし「キャンパスは美人の満漢全席」とまで宣言されたら、納得するほかない。
本号を貫いている思想は、前述したように、どんなムチャなことでも納得させてしまう迷いのない「言ったモン勝ち」ともいうべき勢いである。「83年秋、放課後のプレイスポットはキャンパスなのだ」と銘打ったページでは、大学のキャンパスでできる遊びとして、ブーメラン、宝探しゲーム、そしてFM放送機材を使ってミニFM局を開局しようと呼びかける。そこでは「お気に入りのレコードや自分で編集したテープをかけて、曲の合間にクラブの情報やキャンパス内でのちょっとしたトピックスでも入れれば、小さいとはいえ、もう立派な放送局だ」とまで言い切る。
ここまで肯定感に溢れる思想の背景にあるものはなんなのだろうか。インターネットが普及して、自己表現は誰もが手軽に安くできるようになった。さまざまなツールが登場し、男女の出会いも30年前よりは格段に楽になったはずだ。衣食住も、30年前よりは安くて種類も多くなっている。なのに、30年前の大学生のほうがラクに楽しく生きているように見えるのはなぜだろうか。いまや、大学入学時点で多くの学生は人生を達観し、大学は就職予備校と化している。それは、単なる経済状況の変化によるものだろうか。学生運動が終わった後の「シラケ世代」、そして「新人類」が生まれた80年代、そして90年代を経て21世紀へと、大学生という存在の価値の変容、そして彼らの意識の変化を解読していくには、まだまだ研究が足りない。
(文=昼間たかし)
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