性を超越した“映画の伝道師”淀川長治 名調子200タイトルがDVDで甦る!
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『日曜洋画劇場』(テレビ朝日系)の放送45周年を記念して、DVD『淀川長治の名画解説DX』がリリースされた。1966年10月の第1回放送から1998年11月に89歳で亡くなる前日まで同番組の解説を手掛けた映画評論家・淀川長治氏の往年の名調子を、200タイトルにわたって収録したもの。前説と後説を合わせて3分間という限られた秒数の中に、淀長氏はコンパクトに映画の魅力を詰め込んだ。熱の入った口調には、淀長氏の映画に注ぐ愛情が溢れんばかりに満ちていた。同番組の顔として人気者になった淀長氏は講演会を度々開き、トークの達人と思われていたが、もともとは人前でしゃべるのが苦手だったという。中学のときに教師から全校生徒の前でしゃべるよう命じられ、ギリシャ神話に登場する女神がひとりの美少年を見初めて水仙に変えてしまった逸話を話したところ、学校中の失笑を買ってしまった。淀長氏の少年時代の中学校では、全校生徒の前に立つ男子生徒は柔道大会に向けた決意などを語るのが普通だったからだ。その一件以来、淀長氏は人前でしゃべることは自分には不向きだと思うようになった。
その後、成人した淀長氏は幼少の頃から親しみ憧れていた映画の世界に飛び込み、映画配給会社の宣伝マンを経て、映画雑誌『映画の友』の編集長として活躍。雑誌の愛読者である若者たちを集めては懇親会を開いて、交流を楽しんでいた。同じ映画好きな若者たちが相手なら、淀長氏はそれこそ淀むことなく延々と映画エピソードを語り続けることができた。その様子を見ていた人物が後にテレビ朝日(当時はNETテレビ)のプロデューサーとなり、『日曜洋画劇場』の前番組だったテレビ映画『ララミー牧場』の解説者に淀長氏を起用する。淀長氏はテレビでしゃべることに抵抗があったそうだが、『ララミー牧場』にジャズの名曲「スターダスト」の作曲家ホーギー・カーマイケルが俳優として出演していたことから、出演をOKしたそうだ。最初はこわばっていた淀長氏の表情も、プロデューサーやスポンサーの理解があり、持ち前の人なつこい表情と大阪弁ほどキツくない神戸なまりの味のある口調が次第に生きてくるようになった。以降、エンディングで「さよなら、さよなら、さよなら」と手をニギニギする“ニギニギおじさん”としてお茶の間に定着する。淀長氏が愛する洋画を題材に、苦手意識のあった“トーク”を克服することで、豊饒なる世界が開けていった。
淀長氏というと、生涯を独身で通したことでも知られる。淀長氏本人が「映画と結婚した」と語っていたことでも有名だ。家庭を持つことで私生活にエネルギーを割くことになるよりも、自分の愛する映画に全エネルギーを注ぎたいという想いからだった。また、重度のマザコンだったこと、若い頃に男性に惹かれる性癖があったこともカミングアウトしていた。淀長氏が小さな男の子から「なんで結婚しないの?」と質問され、「ボクはね、結婚しないことで男の視線からも女の視線からも映画を観ることができるんですよ」と答えていたのを記憶している。女神に見初められて水仙になった美少年のように、映画を愛し、映画にも愛された淀長氏は性別を超越した存在となった。来日したアーノルド・シュワルツェネッガーの大事な部分に淀長氏がさりげなくタッチしても、シュワちゃんはガハハ笑いで済ませていたそうだ。また、淀長氏をインタビューする男性記者の中にぽっちゃりタイプがいると、「後で一緒にお風呂に入りましょうねぇ」とジョーク交じりに声を掛けた。声を掛けられた男性記者は「あのヨドチョーさんにお風呂に誘われた!」と喜んだ。『プロジェクトA』(83)の解説では「サモ・ハン・キンポー。キをチと間違えないようにしてくださいねぇ」と巧みに下ネタを全国にオンエアした。
本当に映画を愛しているのなら、放送枠に合わせてオリジナル版をカットし、日本語に吹き替えるテレビ版の仕事は断るべきではないのかと批判する声もあったが、淀長氏が32年間にもわたってテレビ解説を続けることができたのは、映画に関する豊富な知識だけでなく、物事に対するポジティブな考え方があったからだろう。明治、大正、昭和、平成と4つの時代を生きた淀長氏は映画文化の黎明期から黄金期の名作を浴びるように観ながら育ってきたが、新作を否定せずに受け入れた。「今の映画はクズ。昔の映画はよかった」という安易な論調に走らず、新しい映画の技術的な進化やキャラクターの心理描写などの演出力の向上に着目した。テレビやビデオが各家庭に普及することで、映画の面白さを知る人が増えると肯定的に捉えた。テレビで温和な表情を見せる一方、「どうせ、こんな映画はヒットしませんよ」と自分が担当する映画に情熱を持たない宣伝マンは容赦なく叱責した。
講演会では「私はこれまで生きてきた中で、一度も嫌いな人に遭ったことがない」と口にしていたが、これも淀長氏のポジティブさを表す言葉だろう。実際には淀長氏が気に食わない業界人はいくらでもいただろうし、評論家としての知名度が上がれば上がるほどアンチの声も高まったはず。だが、「嫌いな人間はいない」と公言することで、自己暗示に掛けるのと同時に、ひと癖もふた癖もある業界人たちを自分の間合いの中に取り込んでいたのだろう。淀長氏が長寿をまっとうしたのは、自分の好きなことを仕事にできたことだけでなく、ポジティブな考え方が大きく影響していたように思える。
淀長氏は晩年の11年間を、当時は六本木アークヒルズにあったテレビ朝日本社に隣接する東京全日空ホテル34階のジュニアスイートで暮らした。鶴見に自宅があったが、両親を看取った後はひとり身だったため、テレビの収録や映画の試写へ行くのに便利な都心のホテルでの生活を選んだ。映画館と同じで、ホテルではひとりの時間を楽しむことができ、でも周囲に人の気配を感じることで孤独感に悩まされずに済む。高級ホテルでの生活というと享楽的な印象があるが、淀長氏はいつ不測の事態に陥っても周囲に迷惑が掛からないよう、葬式代と遺書を用意していた。来るべき日を常に意識してのホテル暮らしだった。全日空ホテルの高層階ラウンジから見渡せる都会の夕焼けを眺めながら、近くで働いていたホテルのスタッフに「キミもちょっと仕事をするのをやめて一緒に見ようよ」と声を掛けていたそうだ。懇意にしていたホテルのスタッフが懐かしそうに回顧している。淀長氏は映画評論の大家であり、“おひとりさま”ライフの先駆者でもあった。
2006年に発売された『日曜洋画劇場』の40周年記念DVD『淀川長治の名画解説』には、名作50本の解説に加え、特典として最後の解説となった『ラストマン・スタンディング』(96)が収録されていたが、今回の『淀川長治の名画解説DX』はアクション、コメディ、ラブロマンス、SF、西部劇……とジャンルごとにセレクトした200本を600分にわたって収録。主人公の2人がホモセクシャルの関係にあることに言及した『太陽がいっぱい』(60)をはじめとする淀長氏の名調子に触れると、すでに何度も観ているはずの作品やスルーしていた作品も、無性に気になってくる。時間が経過しても色褪せないその感染力には驚くばかりである。淀川長治氏は性別も時代も超越した、映画の伝道師だった。
(文=長野辰次)
●『日曜洋画劇場45周年記念 淀川長治の名画解説DX』
BOX5枚組(本編4枚+特典1枚)『熱き血潮篇』『夢見る瞳に乾杯篇』『明日への希望篇』『真理と感慨篇』の各巻に50タイトル、全200タイトルを収録。特典ディスクには番組の撮影風景、全日空ホテルでの仕事風景などの映像も収録。『日曜洋画劇場』の放送全ラインアップと全200作品の解説をまとめた特典冊子付き。BOX価格/10,500円(税込み) 発売元/ビデオ・パック・ニッポン 販売元/ポニーキャニオン 2012年2月より発売中
「さよなら、さよなら、さよなら」
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