木村元彦×岡田康宏──中田英寿はいずれ大山倍達に!? “作られたヒーロー”の虚像を壊せ
──人種問題、商業主義、スターシステム……。スポーツ界には触れてはいけない領域が数多く存在する。『オシムの言葉』著者・木村元彦と、「サポティスタ」の編集人・岡田康宏が、タブーなスポーツ本をめぐって徹底議論![08年6月号所収]
そしてそこに、なんら突っ込みを入れない
メディア。トヨタという巨大企業の威光を背
景にした、まさにスポーツタブーである。
──北京五輪(08年7月当時)が近づいていますし、スポーツ関連の書籍が、多く出回るかもしれません。しかし、ここ数年はスポーツもので目立った本は見当たらないような気がしますね。
木村 スポーツライティングは、取材対象のアスリート個人に寄っていくものが多い。ただ、今のスポーツ界の現状だと、選手本人がいて、代理人がいて、チームがいて、それらすべてのチェックが通らなければ本にはならない。こういった現状だと、スポーツジャーナリズムとしてタブーを破るような本は、世に出にくいですよね。
岡田 木村さんは、原稿チェックとかどうしているんですか?
木村 基本的には「ゲラを見せてほしい」という選手の取材はやりません。原稿チェックがどうしても必要な場合でも、事実関係以外は変えません。そういう意味だと、『大山倍達正伝』は幾多も出版されたひとりの人物ノンフィクションの終着点です。大山倍達の本は、『空手バカ一代』をはじめ数多く出ているけど、彼の実像をきちんと描いている本はほとんどなかったから、すごいですよね。
岡田 あの『空手バカ一代』でさえ、「事実を基にした話」という形で出されていました(笑)。
木村『大山倍達正伝』で指摘されているように、大山倍達は在日コリアン。にもかかわらず、『空手バカ一代』では「日本人として生まれ、日の丸をつけ、アメリカに渡り、日系人の心の支えになった」っていう話にまで膨らんでいる。力道山と一緒で、出自から作り上げられたヒーローですね。『大山倍達正伝』では、その虚構を一つひとつ剥がしているところが、魅力です。
──最近のスポーツ選手で「作られたヒーロー」といえば、中田英寿が思い浮かぶのですが……。
岡田 所属事務所のサニーサイドアップが「中田をどうプロデュースしたのか?」というタネ明かしをしている『NAKATAビジネス』(次原悦子著/講談社)なる本までありますよね。
木村 中田に関して言うと、戦略上、メディア露出を抑えているので、彼の肉声を取ることが利権になっていますね。有名スポーツ選手が「信頼しているライターにしか話さない」ってよく言うけれど、「信頼しているライター」っていうのは、選手にとってゲラを全部見せてくれる都合の良いライターなのでしょうか。少しずれるけど朝青龍バッシングがあったとき、中田が「頑張れ! 朝青龍」と応援している一方で、所属事務所は、朝青龍がモンゴルでサッカーをしているビデオをマスコミに有料で貸し出していたのが、マッチポンプで奇妙でした(笑)。
■人間的な深みがない「スポーツバカ」が多い
──スポーツジャーナリズムにおいてさえ、自由に書くことが難しくなってきているのでしょうか?
岡田 好き勝手書く場合には、必ずリスクが伴いますからね。
木村 リスクを冒すという意味では、スポーツ関連ではないけれど、『プーチニズム 報道されないロシアの現実』を書いたアンナ・ポリトコフスカヤは本当に尊敬しています。ご存知の通り、自宅マンションのエレベーターで彼女は暗殺されてしまうのですが、命をかけてこの本を書いたアンナを私はリスペクトしたい。日本だと『食肉の帝王』(講談社+α文庫)を執筆した溝口敦さんですね。『食肉の帝王』では、ハンナンやフジチクなどの食肉業者と政、財、官のみならすプロ野球選手との関係にも触れられています。溝口さんは、山口組、サラ金、細木数子……アンタッチャブルなモノに斬り込んでいく。自分だけでなく、息子さんが刺されても決して信念を曲げないっていうのは、並の精神じゃないでしょう。スポーツを伝える上でもアンタッチャブルを作らない覚悟はいると思います。
岡田 結局、スポーツそのものだけじゃなく、その裏にある政治や社会的な背景までわからないとダメですよね。たとえば、僕がお薦めしたいのは、『実況席のサッカー論』。山本浩アナ(NHK)と倉敷保雄アナ(フリー)の対談本なんですけど、興味深いのがドイツW杯のときの話です。代表チームは、選手とスタッフを合わせて50名で構成されるのですが、ドイツ代表は選手のメンタルをケアするために、カトリックとプロテスタントの聖職者をひとりずつ連れていった。一方、日本代表は、スポンサーの広告看板をチェックするために代理店の人間を連れていった。こういう話が、サラッと出てきている。
木村 アナウンサーがそれを言うのは面白いね。広告代理店の本だと『電通の正体』を薦めたい。やっぱり今の日本のスポーツ界はビジネス・広告主導になっている部分が大いにある。また、ジャーナリストと称している人がCMに出るのは論外だと思うんです。スポンサーに対する配慮で、自由に書けなくなってしまう危険性があるでしょう。
岡田 木村さんにはCMの話は来ないんですか?
木村 来ないですねえ(笑)。
岡田 (笑)。
木村 オシムに関して言えば、彼は一切CMには出なかった。もちろん、プロフェッショナルの監督がCMに出るのも、普及の方法だとは思うけど、オシムはサッカー監督業以外の収入は、額も見ずに全部故国ボスニアに寄付していた。
岡田 そういう面も含めて、オシムやストイコビッチは取材対象として面白いですよね。日本のスポーツ界だと、選手自身に人間的な深みがない場合が多い。正直「スポーツバカ」と言ってもいい選手がほとんどです。そんな中、日本サッカー協会専務理事(当時)・田嶋幸三氏の著書『「言語技術」が日本のサッカーを変える』の中に、「日本のサッカーが今後、世界と互角に勝負するためには、『スポーツバカ』では通用しません!」と、身もフタもないことをはっきり書いている。
■アウトサイダーこそ内部に深く食い込める
──スポーツ界の閉塞的な状況に果敢に挑んでいる雑誌といえば、岡田さんが挙げた『サッカー批評』ですね。
岡田 アスリート、特にサッカー選手は、ピッチの外に触れられるのを嫌がる傾向がある。そんな中、選手のバックグラウンドにまで切り込んでいるのは、「サッカー批評」くらいじゃないかな。最近の「サッカー批評」で一押しの書き手は、大泉実成さんですね。
木村 彼は大学の同級生ですが、この前の大泉氏の記事、「Jリーガーと『性』」なんて、サッカー専門誌のタイトルとは思えない(笑)。
岡田 (笑)。サッカーについて僕が「面白い」と感じる書き手は、小田嶋隆さんや山崎浩一さんなんですよ。けれど彼らは基本的にはスポーツとは直接関係のない分野の人なんですよね。木村さんにしても、大泉さんにしても、スポーツ界からするとアウトサイダー。そういうスポーツ界の外にいる人間にしか、内側に切り込めないっていう、すごく逆説的な問題もあります。
木村 あとは、『菊とバット』のロバート・ホワイティングやセバスチャン・モフェットなど、外国人の書き手は状況を相対化できます。スポーツを専門としてない門外漢が、中に入り込むことで、問題が浮き彫りとなる場合が多々ある。ただジャーナリストとしての食い扶持を別の世界に持っているからこそ、思いきって書いてしまえる、というやり方もあるのでしょうが、それは本末転倒で専門誌がむしろきちんと批評していくべきです。先ほど言った大泉氏のように(エホバの証人やオウム真理教の)内部に入り込んで書くという方法があって、そのメソッドの先駆けとなったギュンター・ヴァルラフの『最底辺 トルコ人に変身して見た祖国・西ドイツ』が傑作。元トルコ代表、イルハン・マンスズのことを書いたときも、参考に読み直しました。
岡田 そこまで深く斬り込めてはいないかもしれませんが、『Jリーグクラブをつくろう!』は良書ですね。地道な取材を続けて、サッカーの地域リーグの全国28クラブを回っているのですが、地域リーグは取材規制が少ないから、面白いものができる。それだけに、恵まれていない環境にあるスポーツの厳しさが、よくわかります。
木村 スポーツに限らず、ジャーナリズムとは、検証作業のこと。最近の例で言えば、女子柔道の谷亮子。彼女が代表選考会で負けても、北京五輪に選出されたのはなぜか? どういう議論がなされたのか? オープンにされないならば、その裏では、どういう力学が働いているのか? 谷本人のためにも必要な、そういった検証作業が行われないまま、プレビュー業(勝敗などの事前予想)に終始してしまっている。予想はあるけど、反省がない。
──木村さんが挙げた『オリンピックヒーローたちの眠れない夜』は、検証の要素も大きいですよね。
木村 なにしろ、選手の肉声をちゃんと取っているよね。中にモントリオール五輪で金メダルを取った体操チームの話がありますが、ケガをした藤本俊が医務室に行って痛み止めを打とうとするんだけれど、チトフというソ連(当時)の重鎮が入ってきて、痛み止めが打てなくなり、軟禁までされてしまう。本人たちにしか知りえない、冷徹な戦いが描かれている。窮地を乗り越えるということを美談にしてほしくないという佐藤のコメントからは、ドラマ仕立てにされることを嫌ったアスリートの衿持を感じます。
■メディア戦略によって隠される真実の中田英寿
岡田 肉声という意味だと「28年目のハーフタイム」(金子達仁著/文春文庫)はどうでしょう?
木村 きっちりと証言を取り、取材されていて構成も巧みで、エポックになったノンフィクションで素晴らしいと思います。しかし後追いというか、それ以降、出版界は若いサッカー選手の人物評伝が続くのです。五輪代表とかで少し活躍しても日本の20歳前後の選手にそんなに奥行きがあるはずもなく、まだ何も成し遂げていないのに『本』にするのはどうかと思います。TBSが構築した亀田兄弟ではないですが、スターシステムの消費サイクルに入っていっても本の寿命が短くなるだけだと思うのです。
岡田 スター選手ばかりに注目してしまうと、スポーツの見方は明らかにゆがみますよね。
木村 スターシステムとは真逆の方法論で書かれたのが『サッカーという至福』。チリ代表のツートップのサラスとサモラノという選手を「兄弟仁義」としてとらえていたりして、見方が面白いですね。武智さんの書く物には誠実な目線を感じます。漢語の素養があるのか、言葉の使い方が巧みです。
岡田 スポーツ専門のジャーナリストよりも、「アウトサイダーが面白い」と僕はさっき言いましたが、スポーツヘの新たな視点を提示してくれる本がもっとあっていいですよね。
木村 日本では、スポーツを「物語」として流通させてしまったことに問題があるのでしょう。力道山や大山倍達、長嶋茂雄といった人たちが、その象徴でしょうか。もしかしたら、彼らの描かれ方が、日本のスポーツライティングのゆがんだ雛形になってしまったのかもしれない。たとえば、力道山や大山倍達を真摯に書こうとしたら、彼らの出自は切っても切り離せないでしょう。けれど、昔は、今以上に在日朝鮮人に対する差別はきつかったから、そういった意識が、スポーツ界においてもタブーとなって当然影響していたのでしょう。サルコジのフランスでも、ジダンがアルジェリア系というのは公然ですが、日本だとまだきついのかな。
──現在でも、王貞治、長嶋茂雄はアンタッチャブルとなっていますし、中田英寿にしても真実の姿は見えてきませんよね。
木村 もしかすると、『大山倍達正伝』のように、何十年先かわからないけれど、所属事務所のメディア戦略という呪縛が解けて、初めて「人間・中田英寿」を垣間見ることができる本が出版されるのかもしれないね。
(構成/黄 慈権)
木村元彦(きむら・ゆきひこ)
1962年、愛知県生まれ。中央大学文学部卒。ジャーナリスト。東欧の民族問題やスポーツを中心に取材・執筆活動を展開。著書に『誇り─ドラガン・ストイコビッチの軌跡』『悪者見参─ユーゴスラビアサッカー戦記』(共に集英社文庫)、『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』(集英社新書)、『オシムの言葉』(集英社インターナショナル)など。
岡田康宏(おかだ・やすひろ)
1976年、東京都生まれ。「サッカー瞬間誌サポティスタ」編集人。http://supportista.jp/『TALKING LOFT 3世』(LOFT BOOKS)などサブカルチャー系の編集者からいつのまにかサッカーの仕事に。著書に『サッカー馬鹿につける薬』(駒草出版)、『タレコミW杯』(編著/流星社)。
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