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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 昭和の子どもたちに愛された “近所の怪獣”ヒバゴン 死因は老衰だった!?
山口敏太郎の摩訶不思議ぶった切り VOL.5

昭和の子どもたちに愛された “近所の怪獣”ヒバゴン 死因は老衰だった!?

bintaro_hibagon.jpg『本当にいる日本の「未知生物
(UMA)」案内』
(笠倉出版社)

UMA、心霊現象、都市伝説、オカルト……科学や情報技術が発達した現代でも、今なお話題に上がり続ける真贋不明な有象無象を、”摩訶不思議”のオーソリティー・山口敏太郎が縦横無尽にぶった斬る

 昭和を代表するUMAといえば、日本中の山でウワサになった「ツチノコ」と広島の比婆山を騒がせた「ヒバゴン」だ。さらに、鹿児島の「イッシー」を加えて、 “日本三大UMA”と呼ぶ人々もいる。日本が元気だった昭和の頃、「ヒバゴン」は怪獣好きの少年たちにとって親しみやすい”近所の怪獣”であった。

 この「ヒバゴン」、いまだに地元での人気は高い。「ヒバゴンの鼻くそ」というやや食欲が萎えるお菓子や、「ヒバゴン丼」という定番のご飯メニュー、各種キーホルダーなど貧弱な発想のヒバゴングッズがささやかな経済効果を及ぼしているのだ。

 だが、肝心のヒバゴンが消息を絶って久しい。1970年から74年にかけてヒバゴンは、広島県比婆郡西城町・比婆郡比和町・庄原市と暴れまくった後(暴れまくったといえば格好がいいが、単に徘徊していただけともいえる)、忽然と姿を消している。

 その後、80年になると広島県山野町で毛だらけの獣人が目撃され、地名からヤマゴンと命名、さらに82年になると広島県久井町でも毛だらけの獣人が目撃され、今度は久井町からクイゴンと命名された。

 山野町も久井町も比婆山系と距離的に近いことから、ヒバゴンが移動したものと判断され、ヤマゴンもクイゴンもヒバゴンと同一個体と見られている。つまり、82年以降、ヒバゴンは目撃されなくなってしまったのだ。しかも心配なことに、82年の目撃者によると、その毛だらけの獣人の体毛には”白い毛”が混じっていたというのだ。

 この”目撃されなくなったという部分”が、ヒバゴンの正体暴きの中で重要なファクターになってくる。つまり、ヒバゴンは種ではなく、あくまで類人猿の個体であるという可能性が高い。万が一、種ならば複数体が何十年にわたって目撃されてしかるべきである。言い換えれば、なんらかの理由で生まれた”特殊な個体”が82年以降に老衰で死亡した、と判断するのが合理的なのだ。

 この”特殊な個体”だが、一体どこから来たのであろうか。これはあくまで筆者の推論に過ぎないが、太平洋戦争末期(44~45年)、広島県周辺(近県の可能性も)にあった動物園の飼育係が、政府から発令された動物たちの毒殺命令を無視して比婆山系に類人猿(チンパンジー)を放した。その後、広島に原爆が投下、混乱の中、山中で類人猿は独自の進化を遂げていった。だが、しょせんはリアルな生物であり、野生化したチンパンジーも、約40年後老衰で死んだというわけだ(この仮説に関しては、以前コアマガジンのコミックで漫画原作を担当したことがある)。

 このままヒバゴンは忘却のかなたに消え去ってしまうのだろうか。実は、比婆山にて最近、二足歩行する小さい類人猿の目撃事件が発生している。これはいかなることであろうか。ヒバゴンの子孫なのか、それよもヒバゴンは個体数が少ない絶滅危惧種であったのだろうか。
(文=山口敏太郎)

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最終更新:2018/12/18 15:22
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