みんなで見よう! 伝説の放送禁止作品『南ベトナム海兵大隊戦記』上映会が開催決定
#ドキュメンタリー
かつて、政府の圧力で放送中止になったとされる伝説のテレビドキュメンタリー『南ベトナム海兵大隊戦記』の上映会が、来たる1月27日(金)に東京大学本郷キャンパスで予定されている。
この作品は『日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行』などの製作者としても知られる、ドキュメンタリー作家の故・牛山純一氏が1965年に製作したもの。同年2月下旬から2カ月半、当時日本テレビのプロデューサーだった牛山は南ベトナム軍の海兵大隊の作戦を同行取材し、テレビ放映のために三部作にまとめた。
この作品は当時・日本テレビが日曜日の21時30分から東京ガスの一社提供で放映していたドキュメンタリー番組『ノンフィクション劇場』で放映されることになる。この番組は現在でもテレビ史に残る番組で、大島渚が演出し、国籍の違いから補償を受けられない片手片足で両眼を失明した元朝鮮人日本兵を主人公に描く『忘れられた皇軍』や、村でも唯一になってしまった鷹匠の老人に取材した『鷹匠 老人と鷹』(62年カンヌ国際映画祭テレビ映画部門グランプリ)といった作品を残している。
さて、『南ベトナム海兵大隊戦記』の第一部が放映されたのは65年の5月9日のこと。南ベトナム軍の海兵隊員が、射殺した少年の首をカメラの前に放り投げるという、今では絶対に放映できないようなシーンもあった。ただ、当時は日本テレビ内でも「ちょっと残酷だったかな」という意見があった程度で、特に視聴者からの抗議もなかったという。
ところが、11日になって当時の日本テレビ社長・清水与七郎に、官房長官の橋本登美三郎から「茶の間に放映するには残酷過ぎないか」と電話がかかってきた。
これを機に局内では「第二部・三部を放映すべきか否か」をめぐり議論が巻き起こった。局内の意見の大勢は「放映を継続すべき」というものだった。番組審議会も協議尾の末に「残酷な面もあるが、戦争の狂気と悲惨さを訴えるためにはいいだろう」と結論づけた。
ところが、清水社長は、第二部・三部の放映を取りやめ、第一部の再放送も行わないこととなった。
テレビを通じてジャーナリズムを実践することの限界を知らしめたこの事件。この後、牛山は『すばらしい世界旅行』を経て、日本テレビから独立し、映像ライブラリー機関「日本映像カルチャーセンター」を設立。価値を認められずに消えていくだけだったテレビ番組の保存事業に貢献し、97年に死去した。
日本テレビでも、この作品を放送中止に追い込まれた「挫折」は痛みとなって残った。同局は88年8月20日に開局35周年を記念して「テレビ放送三十五年 怒り、悲しみ、そして喜び」と題して報道特別番組を放映したが、その中でひとつの柱になったのが『南ベトナム海兵大隊戦記』のその後を追うものだった。この番組では、『南ベトナム海兵大隊戦記』の主人公として描かれた元南ベトナム軍大尉や、射殺された少年の家族も探し出す熱のこもった取材が行われている。
やはり、この番組が「封印作品」になってしまった経緯で注目したいのは、多くが「放映すべき」という意見だったにもかかわらず、社長が政府からの「圧力」を恐れて放映を中止してしまったことだ。放映を強行した後に、待ち受ける有形無形の「圧力」を恐れたのか?
時は流れて21世紀、もし時の権力から「圧力」を受けた際に、どれだけの人が「それでも放映すべき」あるいは「出版すべき」と、意志を表明できるだろうか。いや、むしろ、今や、権力と対峙したジャーナリズムの姿を想像できない人ばかりかもしれない。単に「放送禁止作品」「封印作品」だとワクワクするのではなく、そこに込められたテレビを通じたジャーナリズムの実践という意志を、ぜひ感じ取りたいものだ。
●TVアーカイブ・プロジェクト
第1回「みんなでテレビを見る会」
テーマ:制作者シリーズ「牛山純一 映像のドラマトゥルギー」
日時:2012年1月27日(金)、18:00-20:30
場所:東京大学本郷キャンパス、工学部2号館9階92B教室
<http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_04_03_j.html>
上映:ノンフィクション劇場『南ヴェトナム海兵大隊戦記』(1965年、50分)ほか
ゲスト:濱崎好治さん(川崎市市民ミュージアム)
<http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/event_detail.php?id=1408>
封印ドキュメンタリーといえば。
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