『デビルズ・ダブル』原作者の告白「ウダイを殺れなかったのが心残り」(後編)
#映画 #インタビュー
■西洋も青い目をしたフセインばかり。システムが個人を処刑しているんです
”悪魔のプリンス”ウダイ・フセインの影武者を4年間にわたって務めたラティフ・ヤヒア氏。身の危険を感じたラティフ氏はイラクから国外脱出するが、そのためにラティフ氏の父親は処刑されている。だが、ラティフ氏がイラク国内に残れば、当然ながらウダイの追っ手に捕まり、さらに酷い拷問に遭っただろう。もしくは地下に潜っての過酷な逃亡生活を余儀なくされたはずだ。それでもラティフ氏は、自分の生まれ育った祖国を棄てたことを後悔している。
ラティフ 「やはり、もう一度やり直すチャンスがあれば、自分の家族と共にイラクに残ることを選択すると思います。それは何故かというと、結局は海外で暮らしていても、イラクとまったく変わらないことが分かったからです。イラクを脱出したばかりの頃は、海外での生活に期待していました。きっと西洋のどこかには本当の民主主義が守られ、人権を大切にする国があるのではないか、自分の新しい故郷と呼べる国があるのではないかと思っていたんです。ヨーロッパのいろんな国で過ごしましたが、結局はどの国でも姿を変えたサダム・フセインにしか会うことができませんでした。アイルランドでは、大学で講義をする機会もあったのですが、米国が犯したマイナス面について、特に米国の外交政策についてイラク人である私が言及しようとすると逮捕されそうになりました。発言の自由は認められることはなかったんです。イラクでは独裁者に従わないとすぐに処刑されましたが、西洋社会ではすぐに殺されることはなくても、非常にゆっくりと処刑が行われるんです。システムによって、気がつかないうちに殺されるんです。私はどの国で暮らしていても、いまだに正式なパスポートは与えられていません。イラクから亡命した私には国籍がないままなんです」
地獄のような生活から大きな犠牲を払って脱出したものの、海外の国々も決して安住の地ではなかった。探し求めれば、ユートピアが見つかるというものではないようだ。
処せられる。ラティフ氏は完成試写中に当時の
記憶がフラッシュバックする恐怖を味わった。
ラティフ 「アイルランドで15年間を過ごしていますが、それまではさまざまな国を1年ごとに変えて暮らしていました。国際弁護士として働いているので、お金はちゃんと稼いでいるんです。でも、いくらお金を払っても”祖国”を買うことはできません。西洋の国で自由な発言を控えて大人しく暮らしているか、もしくは各国の諜報機関に協力していれば50億円くらいもらえて、パスポートも与えられたかもしれません。でも、私はそうしませんでした。特にCIAに協力するようなことはしませんでした。CIAに情報提供を求められましたが、それは断固拒否したんです。もし、CIAに協力すれば、それはイラクを売るような行為です。イラクにいる間にウダイに強制されていたとはいえ、協力させられていたことと同じことを繰り返すことになってしまうからです。結局は西洋諸国も、青い目をしたサダム・フセインたちが支配しているんです」
生きるために、自分であることを棄てざるを得ない。『デビルズ・ダブル』はアイデンティティーとは何かについて考えさせる作品でもある。
ラティフ 「私はイラクから脱出した際にアイデンティティーを喪失しました。ウダイと過ごした4年間は、まだ自分のアイデンティティーは自分の内側に仕舞い込むことができていたんです。でも、国外に逃亡してからはアイデンティティーを持つことはできていません。”母”と呼べる祖国を私は失ってしまったんです。CIAや各国の諜報機関に協力することは、自分の”母”を外国に売ることになるわけです。そうやって生きながらえても、そこには生きた人間としての尊厳はありません。イラクを出たときに自分はアイデンティティーと祖国を失ったのですが、自分の祖国を外国に売ってしまえば、自分は全てを失ってしまうことになってしまうんです」
■金正日にも影武者はいたはず。独裁者は自己愛が強いから
諜報機関への情報提供料が50億円という驚くべき数字が飛び出したが、これは決してホラではない。イラク戦争で米軍によってバグダッドが占拠された後、ウダイは弟クサイと郊外の隠れ家に潜伏していた。だが、この隠れ家を提供したイラク人によって通報され、米軍の急襲を受けて2人とも射殺された。通報したイラク人には情報提供料として数十億円が支払われたと言われている。イラク戦争開戦前のフセイン家の情報なら、もっと値が付いていただろう。さて、若手男優ドミニク・クーパーが『チャップリンの独裁者』(40)よろしくウダイとラティフ氏の一人2役を演じた映画だが、ラティフ氏本人にはどう映っただろうか?
ラティフ 「私は映画の原作となった手記を書き上げたことで、ずいぶん気持ちの整理ができました。手記の発表後、多くの映画化のオファーをもらいました。私からの映画化の条件は、なるべく原作のストーリーを外れすぎないようにということでした。ハリウッド映画のように、ただの消耗品のエンターテインメント作品にはしてほしくなかったんです。その点、今回のベルギーで作られた『デビルズ・ダブル』は60~70%は原作に沿った形にしていますし、私が訴えたかったことも、きちんと理解した上で映画に盛り込んでくれています。ドミニク・クーパーの演技も素晴らしく、私は満足しています。マルタ島でオープンセットが組まれた撮影には、私も何度も足を運んだのですが、撮影スタッフはみんなまるでファミリーのような温かさに溢れていましたね。スタッフひとりひとりの働きぶりもよく、ケータリングのスタッフが淹れてくれた一杯のコーヒーも美味しかった(笑)。ただし、バイオレンスシーンは当初に予定されていたものの、10~20%程度になっています。実はバイオレンスシーンはもっと撮っていたのですが、全部見せてしまうと映画館に来たお客さんたちは5分も我慢できずに席を立ってしまうだろうということでカットしたんです(苦笑)。
1996年に実際に起きたウダイ暗殺未遂事件も劇中では再現されている。ラティフ氏もその場にいたら、自分が銃を撃ちたかったのではないだろうか?
ラティフ 「もちろん! この映画を観た方の多くは、どこまでが実話かフィクションなのか知りたくなると思います。実は劇映画としてではなく、ドキュメンタリーとして別にもう一本製作しているところなんです。もうすぐ、こちらも完成します。そちらを観てもらえれば、リアルな部分がもっと分かるはずです。ドキュメンタリーも楽しみにしてください」
取材したのは2011年12月19日。北朝鮮の金正日総書記死去のニュースが飛び込んできた日でもある。金正日にも複数の影武者がいると言われてきたが、独裁者には影武者が必ずいるものなのか。体験者であるラティフ氏に聞いてみた。
ラティフ 「答えはイエスです。歴史をひも解いてみても、ヒトラー、ムッソリーニ……と独裁者にはみんな影武者がいたといわれています。では、それは何故か。独裁者は自己愛が強すぎるのでしょう。独裁者に限って、『自分は神だ』『自分は死ぬことはない』と考えるのです。だから、民衆の前に立ち、殺されることを恐れるのです。そのために人前には影武者を立たせたがるのです。サダム・フセインも1997年に死んでおり、その後は実は影武者だったんではないかといわれています。金正日もそうですが、独裁者は死ぬことを恐れ、危険な行為は影武者に押し付けるわけです。でも、そうやって長生きしても、200歳、300歳と生きることはできません。結局はどれだけ長生きしたかよりも、自分が死んだ後にどのような歴史を残すことができるかで、その人の価値は決まるのではないでしょうか。私はそう考えます。
ラティフ氏と握手を交わし、「笑顔でイラクに帰る日が来ることを願っています」と別れの言葉を告げた。ラティフ氏が返してくれた最後の言葉が胸に突き刺さった。
ラティフ 「サンキュー。でも、それは夢の中でしか叶わないことですね。私が脱出した後のイラクは米軍の暴力によって歪められ、昔のイラクではありません。私が暮らしていたイラクは、もうどこにもないんです」
(取材・文=長野辰次)
●『デビルズ・ダブル ある影武者の物語』
原作/ラティフ・ヤヒア 監督/リー・タマホリ 出演/ドミニク・クーパー、リュディヴィーヌ・サニエ 配給/ギャガ R18 1月13日(金)よりTOHOシネマズ六本木ヒルズほか全国公開 <http://devilsdouble.gaga.ne.jp>
●ラティフ・ヤヒア
1964年イラク・バグダッド生まれ。実業家の息子として生まれ、エリート学校に入学し、ウダイ・フセインの同級生となる。大学卒業後、軍隊に所属していたが、ウダイに呼び戻されて影武者になることを強要され、87~91年をウダイの影武者として過ごす。その後、ヨーロッパに亡命し、作家・国際法律弁護士となる。亡命後もCIAに協力しなかったことから拷問に遭ったと告白している。また正式なパスポートを持たないため、2011年11月の初来日時は成田空港で入国拒否に遭い、アイルランドにUターン。2度目の来日で無事に入国を果たした。
ディスカバリーチャンネル ZERO HOUR:サダム・フセイン拘束
これも影武者?
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