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ウダイ・フセインの"影武者"インタビュー

『デビルズ・ダブル』原作者の告白「ウダイを殺れなかったのが心残り」(前編)

int_main_01.jpg『デビルズ・ダブル』の原作者ラティフ・ヤヒア氏。
自分と顔が似ているウダイ・フセインと出会った
ばっかりに過酷な人生を歩んできた。

 もしも、人間の姿をした悪魔に出会ったら、あなたならどーする? そして、その悪魔の顔があなたにそっくりで、「思いのままの生活を保障するから、オレの身代わりを務めないか」と持ち掛けてきたら、どーする? ベルギー映画『デビルズ・ダブル』はホラー映画ではなく、実在した悪魔から”影武者”になることを強要された男の実話に基づいた社会派サスペンスだ。この実在した悪魔とは、イラクを長年にわたって支配した独裁者サダム・フセインの長男ウダイ・フセイン(1964~2003年)。父親の権力を傘に、欲望のままに生き、”悪魔のプリンス”と恐れられた。殺人、強姦などあらゆる犯罪に手を染め、自分に従わない人間には容赦なく拷問を加えた。父親のサダム・フセインでさえ、「生まれたときに殺しておけばよかった」と手を焼いたワル。『デビルズ・ダブル』の原作者であるラティフ・ヤヒア氏は、ウダイ・フセインとは高校時代の同級生であり、顔がよく似ていたことから影武者になることを命じられた。ラティフ氏が拒むと、1週間にわたる拷問が続き、さらには家族に危害を加えると脅され、屈服させられた。ラティフ氏が影武者として、ウダイの暮らす大豪邸で過ごした4年間が『デビルズ・ダブル』では描かれている。その後、ラティフ氏は命からがらイラクから亡命し、現在は国際弁護士として生計を立てている。来日したラティフ氏に悪魔と過ごした地獄の4年間を振り返ってもらった。

 ラティフ氏がウダイ・フセインと出会ったのは高校時代。超進学校である高校の同級生の中にウダイがいたのだ。当然ながら親の威光によるコネ入学だ。青春時代を暴君Jr.と一緒に過ごすだけでも大迷惑な話。出会った当時のウダイはどんな高校生だった?

ラティフ 「今でも出会いはよく覚えています。私の人生において、ウダイ・フセインとの出会いはサイアクの体験でしたから。ウダイは高校生のときから、もうすでにワルでした。同級生だけでなく、教師に対する振る舞いも尋常ではありませんでした。例えば、彼は黄色いポルシェがお気に入りで、ポルシェで通学していたんですが、校庭のバスケットコートにポルシェを駐車してしまうんです。なので、ウダイが高校に現われると、誰もバスケットができませんでした。授業にはガールフレンドも連れ込んでいました。まったく自分たちとは異なる価値観の持ち主でしたね」

devilsdouble_01.jpgウダイ・フセインの影武者ラティフ(ドミニク
・クーパー2役)は、披露宴中の花嫁をレイプ
するなどの悪行の数々に立ち会うはめに。

 とんでもない高校生がいたもんである。そんなウダイと「顔が似てる」と高校時代から評判になっていたとのこと。

ラティフ 「えぇ、確かに高校時代から、よく言われましたね。1970年代の当時はアフロヘアがとても流行していて、私もアフロヘアにしていたんです。ところが、ウダイもアフロヘアだったこともあり、友達には『似ているなぁ。キミもフセイン一族なのかい?』としょっちゅう尋ねられました。私自身は全然、顔は似ているとは思いませんでしたし、フセイン家とは民族も違い、血縁関係はまったくありませんでした。昔から私のことを知っている友達からは何も言われませんでしたけど、高校に入ってからの知り合いにはよく言われました」

 ラティフ氏はウダイと同じ校舎で学ぶことを嫌い、工学志望だったが法律に専門を変更。大学を卒業するまではしばらく平穏な時間を過ごせたが、イラク男性の義務だった兵役に就いていたところ、バグダッドに呼び戻された。自分の名を棄て、ウダイのボディダブル(替え玉)を務めろという。自分が嫌って避けていた人間の言動を、ぴったり正確にコピーしなくてはならないという不条理。ラティフ氏は1987年から1991年の4年間をウダイの影武者として過ごした。その心境はいかに?

ラティフ 「元々の私はジョークが好きで、よく笑っていたんです。でも、影武者を勤めた4年間は一度も心から笑うことはできませんでした。家族に危害が加えられていないか心配でしたし、私自身もずっと心に痛みを感じ続けていました。その4年間は自分が尊敬できない人間の言動をコピーしなくてはいけなかったわけですが、どんなに強制されていても『自分がウダイではない』という意識が常に脳裏に残っていました。『自分はウダイではないのだ』とずっと自分自身に言い聞かせていたんです」

■悪魔が生まれたのは家庭環境のせい? それとも……?

 ウダイは異常な性欲の持ち主で、イラクの女子学生たちを拉致強姦する常習犯だったことでも知られる。また、父フセインが信頼していた腹心を殴死させているが、微刑で済んでいる。1993年のドーハでは、サッカー日本代表チームとロスタイムで引き分けたイラク代表チームを『負けたら全員ムチ打ち』と脅していたことでも有名だ。父フセインから後継者として認められなかったことが、ウダイを過剰な暴力と狂気に走らせたとも言われているが、いちばん近くから見ていたラティフ氏はどのように感じていたのだろうか?

devilsdouble_03.jpgウダイから寵愛される愛人サブラ(リュディ
ヴィーヌ・サニエ)。だが、ウダイから飽き
られれば、彼女もオモチャのように処分される
身だ。

ラティフ 「権力を自在にかざせる立ち場にいたからだとか、有り余るお金のせいで常識を失ったのだとか言う人もいますが、私はそうは思いません。ウダイに関しては、生まれつきの”悪”だったと私は思います。サダム・フセインをはじめとする政治家たちにも会いましたが、ウダイほど酷い人間は他にはいませんでした。ウダイのことを昔からよく知っている人間も、『ウダイは生まれついてのサディストだ』と言っています。環境のせいではなく、根っからの悪です。ウダイは人間ではなかったと思いますね。

 そんなウダイと4年間も身近に生活を送るとは、まさに災難である。ウダイの暮らす豪邸では美食や美女に囲まれていたわけだが、ラティフ氏の心が和む時間はあったのだろうか。

ラティフ 「いえ、一瞬たりともリラックスできるときはなく、幸せを感じることもできませんでした。ウダイと過ごした4年間の中で心残りがあるとすれば、自分の手でウダイを殺すことができなかったことです。1991年に私はイラクから脱出しましたが、その後、20年間の間に考え続けていたことがあります。もし仮に、私が20年前に後戻りすることができ、『イラクに残るか』『イラクを脱出するか』を選択できるとしたら、私は『イラクに残る』を選ぶかもしれません。そうすれば、少なくともイラクに自分の墓を残すことができたわけです」
(後編につづく/取材・文=長野辰次)

●『デビルズ・ダブル ある影武者の物語』
原作/ラティフ・ヤヒア 監督/リー・タマホリ 出演/ドミニク・クーパー、リュディヴィーヌ・サニエ 配給/ギャガ R18 1月13日(金)よりTOHOシネマズ六本木ヒルズほか全国公開 <http://devilsdouble.gaga.ne.jp>

●ラティフ・ヤヒア
1964年イラク・バグダッド生まれ。実業家の息子として生まれ、エリート学校に入学し、ウダイ・フセインの同級生となる。大学卒業後、軍隊に所属していたが、ウダイに呼び戻されて影武者になることを強要され、87~91年をウダイの影武者として過ごす。その後、ヨーロッパに亡命し、作家・国際法律弁護士となる。亡命後もCIAに協力しなかったことから拷問に遭ったと告白している。また正式なパスポートを持たないため、2011年11月の初来日時は成田空港で入国拒否に遭い、アイルランドにUターン。2度目の来日で無事に入国を果たした。

ディスカバリーチャンネル ZERO HOUR:サダム・フセイン拘束

フセインでさえ手に負えなかった息子……。

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最終更新:2013/09/09 19:55
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