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21世紀の奇跡! 吉備の山麓に幻の巨石信仰は実在した!!

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 「岡山文庫」というシリーズがある。これは岡山県にある日本文教出版が発行するもので、1964(昭和39)年以来、現在274タイトルが発行されている大河文庫だ。岡山県内では多くの書店で販売されているし、図書館には必ず配架されているメジャーなシリーズなのだが、おそらく岡山県民以外はほぼその存在を知らないだろう。『岡山の歴史』『岡山の宗教』といった真面目なタイトルがあるかと思えば、エロ話を集めた『岡山の艶笑譚』なんてのもあったり、最近では『岡山の山野草と野生ラン』とか『岡山の考現学』なんてタイトルも。地元民ですら知らないマニアックな郷土の情報が詰まっている、地方出版物の中でもほかに例を見ない濃密な文庫なのだ。

 その中の1冊に『岡山の祭祀遺跡』(八木敏乗著)がある。この本、なにがスゴイかというと丸々1冊、岡山県内の巨石文明の遺跡(歴史的には「磐座」「磐境」などと呼ばれる祭祀遺構)を扱っているのだ。そう、実は岡山県には南部を中心に知られざる巨石を用いた祭祀遺構が現存しているのである。その歴史ロマンを感じてみたいと、旅立った。

■日本にもストーンヘンジがあった

 岡山駅から折りたたみ自転車を担いで、吉備線の二両編成のディーゼルカーに揺られて20分ほど。備中高松駅を下車してからしばらく自転車をこぐと、足守川沿いに丘が見えてくる。この丘自体が「楯築遺跡」と呼ばれる祭祀遺跡なのだ。近年は整備されて「王墓の丘史跡公園」となり訪問がしやすくなっているが、それでも急な坂を登ること5分あまり。頂上には、同心円状に配置された巨石群が待ち構えている。あまりに巨大なため、単に石が並んでいるだけに見えてしまうほどだ。この遺跡は、弥生時代後期に造営された「墳丘墓」と呼ばれるもの。いわば古墳の前段階のものだが、この遺跡はその中でも最大の規模を誇るものだ。

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 発掘調査によって埋葬施設が発見されており、墓であることは判明している。また、地元では「亀石」と呼ばれる不思議な紋様を刻んだ石を安置した収蔵庫もある。かつて、この墳丘の上で、なんらかの儀式が行われていたことは容易に推測できる。眺めもよいし、まさに墓としては一等地である。

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■山頂にそびえる規格外の巨石群
 
 さて、次はどこに向かおうかと思っていたら、偶然出会った地元の人が「日差山という山の山頂に巨石が祭られている」と教えてくれた。なんでも、現在は「毘沙門天」が刻まれているが、由来が分からぬほど古くから祭られているものだという。山頂まで舗装道路が続いているというので、道順を聞いて向かうことに。「自転車で大丈夫かなあ……」という一言が気になったが、登り始めて後悔。舗装はされているが、ものすごい急傾斜のつづら折りが続くのだ。途中、くじけそうになりながらも、なんとか山頂に到着した。ちょっと結界っぽい雰囲気の岩の間を抜けて、社の奥へと進んでいくと、そこには規格外の大岩が鎮座している。なんでも、これ自体がご神体の様子、まさに巨石信仰を象徴するような場所である。また、神社なのに「南無妙法蓮華経」の文字もあり、神仏習合の名残が残っているのも、歴史を感じられるポイントである。

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 さて、規格外に大きすぎるものばかり紹介していてもしようがない。近くの吉備津彦神社には小規模なストーンサークルがあると聞いていたので、そちらにも行ってみることに。同じ山麓にある吉備津神社(吉備津彦神社=備前国一の宮、吉備津神社=備中国一の宮である)よりも少々初詣客の少ない神社前の大きな池に浮かぶ小島にそれはあった。 

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……ホントに小規模で、ストーンサークルかといわれれば間違いないが、ガッカリ感が漂う。そんな気持ちでシャッターを切ったのだが、帰ってから写真をチェックしてみると、すべての写真に神秘の光が! うん、確かに神域であることに間違いはなかったようだ。  

 今回は時間の都合もあり多くに触れることはできなかったが、『岡山の祭祀遺跡』によれば、岡山県には県南部を中心に36カ所。今回訪れた場所以外にもさらに多くの祭祀遺跡が存在するというわけだ。ここまで多くの巨石を用いた遺跡が存在するのは、古墳時代までこの地域に大和朝廷(最近の教科書だとヤマト王権)や出雲に匹敵する吉備国と呼ばれる巨大な地域勢力が存在したことに由来する。

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 残念なことに、大和朝廷との勢力争いに破れてしまったがために、今では地元の神社として信仰を残すのみになってしまった。もうちょっとうまく立ち回れば、今ごろ岡山が日本の首都になっていたかもしれないので、地元出身者としては残念でならない。
 
 ただ、もはや地元の人くらいしか知らない歴史の片隅に埋もれそうなものばかりかと思いきや、近年はパワースポットのブームとかで、それなりに訪れる人もいるそうだ。一つの地域に、これだけの巨石信仰が存在するのは全国でもここだけ。こうなったら”城ガール”の次は”岩ガール”で!
(取材・文=昼間 たかし)  

ぼっけえ、きょうてえ

岡山が生んだもう一つの奇跡。

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最終更新:2013/09/09 19:57
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