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それは虚礼か絆か? 年賀状の変遷から見る戦後の風景『年賀状の戦後史』

nengajo.jpg『年賀状の戦後史』(角川書店)

 収集のため、朝早くから郵便局に並んだり、友達と交換したりと、デジタル以前の年代の人にとって、切手ならびに手紙は今よりも身近な存在であっただろう。携帯電話や電子メールの普及により、はがきの発行枚数が年々減ってきている。平成23年の官製はがき発行枚数は35億6,000枚と、ピークであった平成10年の41億9,545枚から減少しての数字だが、それでも膨大な量であることには変わりない。

 日本人の慣例となっている年賀状であるが、戦後、年賀状の是非をめぐり、さまざまな議論があったことはご存じだろうか。『年賀状の戦後史』(角川書店)は、郵便学者の内藤陽介氏が、GHQの占領政策からWindows95以降の現代まで、戦後、年賀状がどのように移り変わり、取り扱われてきたかを描いた新書だ。オイルショックやストライキ、消費税導入、プリントゴッコの登場など、年賀状と年賀郵便が時代状況にいかに左右されてきたかが詳しく記されており、戦後史のある一面として興味深い。

 「年賀状は虚礼である」との理由で、昭和15年から廃止されていた年賀郵便は、終戦後もしばらく執り行われず、昭和23年末になってようやく再開された。戦災の中、お互いの身元確認を取る手段として、年賀状は貴重な連絡の手段であり、また傾いた国家にとって大きな財源であった。そんな中、考案されたのが「お年玉くじ付き年賀はがき」だ。昭和24年、大阪の雑貨店経営者・林正治によって発明されたくじ付きはがきは、世界初の発明で、大変画期的なアイディアであった。初めてのお年玉はがきは完売したものの、「通常のお年玉はがきより高い1円の寄付金を加算された3円で販売された」こと、「寄付金込みお年玉はがきが1億5,000万枚発行されたのに対し、寄付金なしのはがきが3,000万枚しか発行されなかった」ことによる不満が相次ぎ、あまり評判は上がらず、郵便局員が自腹を切って購入することも少なくなかった。ちなみにその年のお年玉はがきの特等はミシン。だが、6等の小型切手シートのほうが人気が高かったという。

 先だっての12月12日、2011年を表す漢字は”絆”であると発表された。東日本大震災や台風被害においての支援の輪、家族の大切さ、また、女子サッカー・なでしこジャパンのチームワークが主な理由であるという。戦後、日本人は焼け跡の中、年賀状をやり取りすることで絆を確認し合った。悲しい出来事があったこの年だから、絆を再確認するために年賀状をしたためてみてはいかがだろうか。虚礼でない、心のこもった手紙は、互いの絆をより深く強固なものとしてくれるだろう。
(文=平野遼)

●ないとう・ようすけ
1967年、東京生まれ。郵便学者。東京大学文学部卒業後、切手の博物館副館長などを経て、郵便学(郵便資料を用いて、国家と社会、時代や地域のあり方を読み解く研究)分野での著作・講演活動をおこなっている。主な著書に『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『切手と戦争』(新潮新書)、『事情のある国の切手ほど面白い』(メディアファクトリー新書)などがある。

年賀状の戦後史

お早目に。

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最終更新:2013/09/10 12:02
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