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<東北>ってなんだ!? 異色の日本近代史『こども東北学』

kodmotohoku.jpg『こども東北学』(イーストプレス)

 ”だれも教えてくれない、この世を生き抜くために大切なこと”が詰まった教養書シリーズ『よりみちパン!セ』。これまで、みうらじゅん氏の『正しい保健体育』や、西原理恵子氏の『この世でいちばん大事な「カネ」の話』、以前このレビュー内でも紹介した平沼正弘氏の『世界のシェー』(※記事参照)など、書き手の独特の視点と、ちょっと尖った内容で中学生から大人まで幅広い世代から支持され、のべ55冊以上、累計180万冊の大ヒットを記録してきた。

 だが、昨年10月、版元だった理論社が民事再生法適用を申請。その後の動向が注目されていたが、今年8月、全シリーズがイースト・プレスに引き継がれることとなった。 

 そして、その第1弾となる新刊『こども東北学』が刊行された。

 タイトルから察して、震災以降、常に注目され続けている東北地方をテーマに、「歴史や地理について、子ども向けに分かりやすく書かれている本」かと思いきや、ぜんぜん違うのだ。

 そもそも、”東北学”とはどういうものなのか。
 
「まん中じゃないところにも目を向けてみよう」
「ほんとうに、まん中なんてあるのかな」

 と、何やら大きな話から始まる本書。「んっ、どういうこと?」と、初めはちょっと戸惑うのだが、読み進めていくと、「東北学」とは、東北地方を知るという側面だけではないことに気付かされる。”まん中”、例えば、東京のような大都会や、どこかしら発展している場所で暮らす人々の考え方を基準として物事を考えるのではなく、北海道や沖縄、もっといえば、差別・貧困・お年寄りなど、ありとあらゆる”まん中”からはみ出てしまった場所や物事のことを、<東北>と捉え、中心にして考えてみよう、という学問なのだ。

 おじいちゃんやおばあちゃんの昔話であったり、宮城県の三陸沿岸部、50戸ほどから成る小さな村の出身である著者の山内明美氏が、村で過ごしてきた記憶をもとに、東北の”ふつう”が伝わる内容になっていて、どんどん惹き込まれていく。

 小学生のころ、将来、都会に出て困らないようにと、毎週水曜日にみんなで標準語の発音練習をしていたこと。何か始末に負えない出来事が起きると、お茶飲みをしているおばあちゃんたちが「狐に化かされたなぁ」と真面目な顔で話し合いをしていたこと。中学校に入るか入らないかのころ、父親に「自分で食うコメは自分で作れ」と言われ、小さな田んぼをもらい、約150キロのお米を収穫したこと。

 そして話は、都会で使う電気を作るための原発が、なぜ東北にやって来たのか、と続いていく。

 今でこそ、米どころとして有名な東北。けれど、もともと東北は寒冷地であり、実はコメを作るということは大変難しく、自然災害も多い。ひとたび飢饉(ききん)が起きれば、村は全滅。7、80年前までは、若い女性には「娘売り」なんてこともあった。それゆえ、日本の近代化への歩みの中で、出稼ぎを生み、ついには原発誘致という結論を導き出してしまったのか……。

 山内氏もまた、今回の大震災の被災者。

「村は、まるで爆弾を落とされた跡のような戦場となり、何も残っていなかった」「甚大な地震と大津波、そして原発事故を前にして、一歩も進めそうにない自分がここにいる」としながらも、100年後の東北で暮らすひとびとを想像し、<東北>の未来を描こうと、執筆している。

 ”まん中”になり得なかった東北の人々が、どうやって生きてきたのか。何度も読み返すことで、じわじわと「東北学」の奥深さが伝わってくる1冊だ。
(文=上浦未来)

●やまうち・あけみ
1976年宮城県生まれ。慶応義塾大学環境情報学部卒業。現在、一橋大学大学院言語社会研究科博士課程在学中。専攻は、歴史社会学、日本思想史。20代前半より民俗学者の赤坂憲雄氏に私淑、大学時代は社会学者の小熊英二氏に学ぶ。論文に、「自己なるコメと他者なるコメ――近代日本の<稲作ナショナリズム試論>」「近代日本の<稲作ナショナリズム>」など。著書に『「東北」再生』(共書、イースト・プレス)などがある。

こども東北学

生きる術。

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最終更新:2013/09/10 12:24
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