“球界一の愛妻家”楽天・岩隈に愛人発覚! 糟糠の妻は何を思う?
#雑誌 #出版 #元木昌彦 #週刊誌スクープ大賞
第1位
「楽天・岩隈『3年愛人』と愛欲の5泊6日」(「週刊ポスト」12月2日号)
第2位
「正力、務台、渡辺『読売天皇三代記』佐野眞一」(「週刊ポスト」12月2日号)
第3位
「史上最年少三冠ジョッキー池添謙一騎手が私にした『馬乗りDV』」(「フライデー」12月2日号)
池添謙一はエライ! 日曜日の競馬「マイルチャンピオンシップ」見た? 池添の騎乗した5番人気のエイシンアポロンが直線鋭く伸びてG1を快勝した。
エイシンから馬単で流していたから、思わず「All the Way!」と叫んでしまったが、2着がフィフスペトル(11番人気)でガックリ。結局、1着、3着、4着でおカネにはならなかったが、本命にしたエイシンの快走には納得だった。
だが、レース前はかなり迷ったのだ。道悪上手なエイシンで勝てると読んだのだが、鞍上が不安だった。それは金曜日に出た「フライデー」の記事である。
池添に見初められて不倫関係を続けてきたという札幌・すすきのの高級クラブホステスが、衝撃告白したからだ。
「フライデー」によれば、池添が店に来たのは09年の7月ごろ。いきなり「すすきのの風俗情報誌で君を見た」と指名してきて、彼女の誕生日には一晩で70万円も使ってくれたというのだ。出会って3週間くらいで関係ができ、1~2カ月滞在する夏の北海道シリーズのときには、札幌でたびたび逢瀬を重ねた。中山、京都、小倉にまで遊びに行き、「ミニクーパー」までプレゼントされていたというから、池添の入れ込みようが分かる。
ちなみの池添の年収は1億円を軽く超えるから、これぐらいは軽いのだろうな。
だが、次第に池添が嫉妬深くなり、他の客と同伴したりアフターに行く度に怒り出し、暴力を振るうようになってきたというのだ。殴る蹴る、ときには馬に見立てて(?)彼女に馬乗りになり、頭を拳で叩き、途中で本人が「骨が折れた!」と騒ぎ出すほどの激しさだったというから、ただごとでない。病院に行くと、5日間程度の自宅安静と通院を要すると診断された。その診断書の写真も掲載されている。
それでも池添とすぐに別れなかったのは、暴力を振るった後に必ず「俺が悪かった」と泣きながら謝罪するからだった。
「もうすぐ離婚するから」という池添の言葉を信じたが、あるひと言で、その言葉がウソだと分かり別れを決意したそうだ。
この秋オルフェーヴルで菊花賞を制し、史上最年少の三冠ジョッキーになった池添に思わぬアクシデント発生。馬でいえばレース前に骨折したようなスキャンダルで、精神的にも冷静に騎乗できるか心配だった。
だが、騎乗ぶりはパーフェクトだった。もともと追い込み馬に乗せると達者な騎手だったが、今年は一流ジョッキーの仲間入りを果たし、この秋も好調を持続している。
これだけのスキャンダルにも動じない(?)で騎乗できたのだから、これからの池添は買いかもしれないな。
今週の第2位は、清武英利読売巨人軍球団代表(その後解雇)の会見騒動の余波が続く中、ひと味違った切り口を見せてくれた「ポスト」の記事。
目次を見たとき、巻頭の「巨魁・渡辺恒雄への『引退勧告』」に期待したのだが、内容はさしたるものはなかった。佐野の記事は一連の清武騒動特集の一本だが、正力松太郎を軸に読売新聞の実相を明らかにした『巨怪伝』(文藝春秋)を書いた佐野だけに、ナベツネ批判にも頷けるところが多い。
のっけから佐野は読売の体質を「男の嫉妬の世界なんだよ、読売って会社は」と断じる。プロ野球興業に始まり、テレビの開局、原発導入という国家的な事業に関わった正力を「百年に一度出るかどうかの怪物だった」と評する。
その後を継いだ務台光雄は、正力と対立して徹底的に冷遇されたが、それに耐え抜いて社長の座に就いた。
ふたりの確執はすさまじいものがあり、務台は夢の中にまで正力が出てきたといい、正力は、いつか務台に殺されるのではないかと周囲に語っていたという。
務台は544万だった部数を1,000万にまで伸ばすために巨人軍をフルに活用した。毎朝務台の「御前会議」が開かれるのだが、議題はいつも前夜の巨人戦の講評だったという。
先週も書いたが、務台が巨人のテレビを見ていて、ピッチャーの交代までダッグアウトにメモを入れさせて指示していたのは、新聞の拡張には巨人が常に優勝することが絶対必要だと考えていたからだ。
そうしたふたりに比べると、ナベツネははるかに劣ると佐野は言っている。
「ほろ酔い気分で、スポーツ記者を怒鳴りつける渡辺を見ると、悲しくなってくる。大物ぶっているけれど、こういう男を日本語で普通チンピラとか小物って言うんじゃなかったっけ。正力は自分こそ最大の権力者だと思い込んでるから政治家なんてハナから相手にしなかった(笑)。(中略)今回の騒動の本質は人々が報道機関を眺める視線が厳しいからこそ浮かび上がってきたトップの老醜と、読売新聞の衰退なんだ」
「ポスト」の巻頭記事の中で、読売の売上げが「大手信用調査機関」の調べによると、グループ連結ベースで毎年100億円ペースで減り続けているそうだ。
それなのに大手町の本社建て替えに200数十億円を投じ、大阪の「よみうり文化センター」を54階建てのマンションや複合施設にする計画があり、総事業費は300億円は下らないといわれている。
こうした何が何でも1,000万部を死守し、買収と拡大路線をとるナベツネ流のやり方に、内部からも批判が出てきているという。
他紙の人間から聞いた話だが、読売の部数は実数で600万から700万程度で、あとは押し紙でごまかしているといわれる。そのために販売店の不満が募り、いつ爆発してもおかしくないそうである。
正力のような偉大な業績もなく、務台のような強引さもなく、氏家(日本テレビCEO)という親友もいない今、渡辺主筆の現状をあらわす言葉は「老残」がいちばんふさわしいのではないだろうか。
映画『ゴッドファーザー PART3』で、アル・パチーノがひとり寂しく公園のベンチで崩れるように死んでいくシーンが思い出される。渡辺恒雄さん、人間引き際が肝心です。
今週はスポーツ選手受難の週のようだ。「ポスト」にしては珍しくグラビアも使って楽天・岩隈久志(30)の女性スキャンダルを報じている。
これをグランプリに選んだのは、写真がいいからでもある。グラビア巻頭の、若い愛人が岩隈にねだるように口を近づけている写真といい、クルマの中でディープキスを交わしている写真といい、「フライデー」真っ青のカメラワークと迫力である。
この写真は、岩隈がオフの調整のために千葉・幕張のホテルに滞在しながら、病院に通っている時期に撮られたものだ。
この愛人、背も170センチ近くあり、190センチの岩隈と並んでも遜色ない。ふたりは仲良く飲食したり、愛車の中でキスしたり、深夜の都内のゴルフ練習場でタマを打ったり、初心者らしい彼女にゴルフの手ほどきをしたり、量販店で海外旅行用の大型旅行用スーツケースを購入したりと仲むつまじい。
岩隈はいったん夫人と子どものいる仙台に戻るが、すぐに東京へ戻り、成田空港からトレーニング地のアリゾナへ旅立って行った。
球団関係者の談によると、ふたりが知り合ったのは3年ほど前、千葉ロッテマリーンズの試合に遠征したときだという。
岩隈は日本を代表するピッチャーというだけではなく、球界一の愛妻家としても知られているだけに、この愛人報道は衝撃的だ。
しかも今年2月の沖縄・久米島キャンプでも、岩隈の義理の父が二軍の打撃コーチをしているにもかかわらず、彼女を連れて来ていたというから、単なる火遊びではないようである。
岩隈は06年に「第1回ベストファーザー in 東北」にも選ばれていて、夫婦でトークショーに出たときも「(妻のことが)好きなんです」と真顔で話していた。ふたりは創価学会の熱心な信者で、学会の中でも「目指すべき夫婦像」になっているという。
さあ、夫婦の最大の危機について糟糠の妻がどう答えるのか。
「ポスト」がインタビューすると最初は、「私の義理の妹です」と、そう思い込んでいたみたいで動揺は見られなかったが、岩隈と彼女がクルマの座席に座っている写真を見せると、表情が凍りついた。
岩隈が彼女とホテルに連泊していると聞くと、「家族が円満なら、旦那は何をしてもいいという主義なんです」と答え、懸命に夫の行為が大事にならないよう「賢妻の配慮」を見せていたという。
岩隈の方は、代理人の弁護士から回答拒否という書面が届いたそうだが、愛人の携帯電話にかけると、海外ローミングに変わっていたというのだ。彼女は岩隈と一緒にいるのか?
FA宣言間近の岩隈は、夫・父親としてもFA宣言するのか決断を迫られていると結ばれている。
この世に不倫は数知れずあるが、これほど「これから大変だろうな」と思わせる不倫も珍しい。
しかし、彼女の携帯電話の番号まで知っていたとすれば、「ポスト」の情報源はかなりふたりに近い人間に違いない。その意図は、スキャンダルを明るみに出してふたりを別れさせることにあるのか? 今後の展開に注目である。
(文=元木昌彦)
●元木昌彦(もとき・まさひこ)
1945年11月生まれ。早稲田大学商学部卒業後、講談社入社。90年より「FRIDAY」編集長、92年から97年まで「週刊現代」編集長。99年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長を経て、06年講談社退社。07年2月から08年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(2006年8月28日創刊)で、編集長、代表取締役社長を務める。現「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催、編集プロデュースの他に、上智大学、法政大学、大正大学、明治学院大学などで教鞭を執る。
【著書】
編著「編集者の学校」(編著/講談社/01年)、「日本のルールはすべて編集の現場に詰まっていた」(夏目書房/03年)、「週刊誌編集長」(展望社/06年)、「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社/08年)、「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス/08年)、「競馬必勝放浪記」(祥伝社/09年)、「新版・編集者の学校」(講談社/09年)「週刊誌は死なず」(朝日新聞社/09年)ほか
いろいろ悪名高いです。
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