「復興支援は新たなステージに」これからの被災地支援のカギとは?
#ボランティア #東日本大震災
現在、ガレキは片付いたものの、大きく変わっていない。
■よりベターな方法を考案できるリテラシーが必要
――8カ月に渡る活動の中で一番強く感じていること、教訓などはありますか?
西條 まずは被害の規模ですよね。知れば知るほど、本当にひどいことが起こったんだと痛感しています。最初に支援したからそれでいいという災害ではないですよ。行政のシステムに関していえば、今回の震災を踏まえ、変えた方がいいことはたくさんありますよね。
たとえば、姉妹都市は今回かなりうまく機能していたので、”臨時姉妹都市”をつくっちゃえばいいと思うんですよ。宮城県石巻市と全国の40くらいの市町村をつなげて、「今日から姉妹都市です、助けましょう」と。「勝手に動いていいです」と。いまの枠組みというのは、国も県も「何かあったら言ってください。そしたら動きますよ」という「要請主義」なんです。けれど、すべてが壊滅している中で要請なんてできない。そんなの、死にそうになって倒れている人に、「どこか悪いところがあったら言ってくれれば手当てしますよ」と言っているようなもので、そんな無茶な話はないんですよ。駆け寄って手当てしてあげなきゃいけないわけで、それをやったのがボランティアだった。
赤十字も以前は要請主義だったようなのですが、それではダメだということで最近は「能動主義」に移行していたため、今回は”とにかく北へ向かえ”と、震災直後から数十のチームが現地入りし、かなり機能しました。それを市町村レベルでもやるべきですよね。これは今からでも遅くはないですし、むしろ平時からそうした提携を結んでおく”緊急時援助姉妹都市”といった制度として成立させておけばよいと思います。
――今回、赤十字を通した義援金がなかなか被災者のもとに渡らなかった問題についてはどのようにお考えですか?
西條 おそらく、すべての人にとって想定外の有事だったので今回は仕方がないとは思うのですが、物資支援の仕組みにしても、県に上げてそこから自治体に下げていくという仕組みはどこか詰まったら終わりで、実際、県や自治体の倉庫がいっぱいになったので、「要りません」となってしまったわけです。被災地の行政が壊滅的な打撃を受けたこれだけの規模の被害になると、従来のやり方では通用しないわけですから、僕らは新たな仕組みを考えたわけです。
それと同じで、赤十字の義援金が渡らなかったのも、上から下ろしていく構造上の問題だと思っています。地元自治体は壊滅的な打撃を受けて本当に大変な状況ですから、そこを介さずに直接義援金を渡す仕組みを考えるべきです。僕だったらNHKや地元新聞紙を使って、ここに連絡くださいとアナウンスします。罹災証明書のコピーとその他必要な書類を送れば直接振り込みます、と。そういうやり方ひとつで、地元の行政を介さないで必要としている人に直接義援金を送る事もできるわけですよね。
家電にしても、赤十字は仮設住宅に入った人には6点セットを渡しますが、屋根まで津波にやられて重要な家電はすべて失っている個人避難宅の人にはひとつも配布しないわけです。なぜかといえば、おそらくどこに住んでいるのか確認できずに、管理することができないためだと思います。しかし先に述べたように、とにかく広く周知して、罹災証明書のコピーとその他必要な書類を直接赤十字に送ってもらうようにすれば十分対応できるはずです。
最も何をしても5%ぐらいのミスや批判はあるかもしれませんが、そういう些細な過誤を気にして、必要なときに全員に届かないといった致命的な失敗をしてしまっては本末転倒です。5%をゼロにしようとすると、そこに膨大なエネルギーを注がなければならなくなるので、とたんにパフォーマンスが下がります。ですから、特に有事においては5%以内のミスはよしとして進める方が機能的なんです。行政による支援も、そうしたスタンスを明示して、何かあったら国が責任を取りますといってどんどん押し進めればいいと思うんですよ。それがリーダーシップというものだと思います。
あと一番大事なのは、やっぱり「方法の原理」のような、どんな状況になっても自分たちで考えて柔軟に対応できる方法を考案していくようなリテラシーを広げていくことですね。どんなに想定したって、それ以上が起こるというのが自然現象であり、そのことはみんな痛感したはずなので、想定外の事態に陥っても、それぞれが状況と目的を見定めて自律的に動けるような訓練こそが、原理的に重要になってくると思います。
――「ふんばろう」の今後のビジョンについては?
西條 最終目標としては「ふんばろう」自体が必要なくなるのが一番いいですが、まだまだ支援は必要ですから、現地の状況を見て判断したいと思っています。ただ、完全なボランティアって、持続可能性という観点からするとやっぱり限界があるんですよ。ボランティアは「被災した方々のために何かしたい」という”気持ち”だけをエネルギーに動いています。ほとんどの人は、日中は会社で働きながらプラスαで作業していたり、中には完全無償のボランティアに専念している人もいるので、持続可能な形にしていく必要があるんですね。その意味では、各プロジェクトの体制を整えて、無理のない形で、独立的に、最小限のエネルギーで動けるような形にしていくことが必要と思っています。
またこれからは特に、いかに企業活動と矛盾しないかたちで被災地のためにもなる事業を作っていくか、ということがポイントになりますね。ですから今後、より一層、企業とのつながりをつくっていきたいと思っています。実際、PCプロジェクトや就労支援プロジェクトなど、僕らが「ふんばろう東日本企業連合」というプラットフォームになることで、様々な企業に参加していただき大きく進めているところです。持続可能な形にするためには、できるだけ現地に、企業を、と心がけていくのがよいと思います。
――行政との連携も視野に入れていますか?
西條 もちろん連携できるところはしていきたいと思っています。これまではスピードが重要でしたが、これからは雇用創出などが重要課題になるので、地元行政との連携は重要になってきます。実際、これまでも仙台市・大阪市・横浜市・山形県庁・岐阜県庁・愛知県庁・宮城県庁といった自治体において行き場をなくした膨大な物資をマッチングして、必要としている被災者のもとに届けてきましたし、PCプロジェクトでは、宮城県東松島市といった行政と組んで進めていっている地域もあります。あとは、全国の行政が「方法の原理」といった考え方を普段から身に付けておいて、有事のときは既存の枠組みにとらわれず、柔軟に対応していく訓練をしていくことも重要になると思います。
――最後に読者のみなさんに伝えたいことは何かありますか?
西條 中には「少しぐらい支援しても何も変わらない」という人もいるのですが、僕はそうは思いません。たとえば、「ミシンプロジェクト」では、ミシンという物を支援しているのではないのです。そうではなく、一台のミシンをきっかけに、仕事に就けて、ひとつの家族の生活を支え、その貯金で、子どもたちが望む進路にいけるようになる「可能性」を生むわけです。そうした家庭の中から将来、先生になりたいといって、教育学部に進み、震災の辛い経験を乗り越えて立派な教師になり、何千人という子どもたちを育てる人だって出てくるかもしれません。みなさん一人一人の支援は、そういう「可能性」を生むことにつながっています。時間を止めて固定的に見ると、何も変えられないように思うかもしれません。でも、未来は小さなことをきっかけに大きく変わります。小さな力が集まることで、被災地の方々が前を向いて生活していくことにつながり、子どもたちの明るい未来を作る「可能性」になっていきます。僕らは「可能性を生む力」、すなわち「未来を変える力」を持っているんです。「ふんばろう東日本支援プロジェクト」は、距離と関係なく、誰でも参加できるプロジェクトです。これを読んでいる方全員に必ずできることがあります。ぜひ、「ふんばろう」のHP(http://fumbaro.org/)を見て、自分にできることを行動してみていただければと思います。
(取材・文=編集部)
●さいじょう・たけお
1974年、宮城県仙台市生まれ。早稲田大学大学院(MBA)専任講師。専門は心理学や(科学)哲学。「構造構成主義」というメタ理論を体系化。2011年4月に「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げ、代表を務めている。Twitter→@saijotakeo。
●ふんばろう東日本支援プロジェクト
<http://fumbaro.org/>
みんなでふんばろう。
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