「ただ物資を送っているだけではない」被災地の未来をつくる新しい支援のかたち
#ボランティア #東日本大震災
東日本大震災から8カ月。原発問題を除き、被災地の現状がニュースとして伝えられる機会はめっきり減っているが、8カ月経ったいまも被災地の生活はそれほど大きくは変わっていない。被災地支援は、緊急物資から雇用の創出や心のケアへと徐々に移ってきている中、わたしたちは何ができるのか――。震災直後の4月から被災地に対する幅広い支援活動を行っているボランティア団体「ふんばろう東日本支援プロジェクト」(以下、ふんばろう)代表で、早稲田大学大学院MBA専任講師の西條剛央氏に話を聞いた。
――4月に立ち上がった「ふんばろう」ですが、現在までに(2011年10月末時点)約3,000カ所以上の避難所・仮設住宅・個人避難宅を対象として3万5,000回以上、15万5,000品目に及ぶ物資支援を成立させてきたと聞いています。
西條剛央氏(以下、西條) 立ち上げのころは、大きな避難所には支援物資が山積みになっているのに、本当に必要としている人の元には届いていないという状況でした。ですから、行政の手が回らない小さな避難所で必要な物資を直接聞き取り、それを「ふんばろう」のサイトにアップしてTwitterで拡散させ、全国の人が直接、物資を被災者に送るという仕組みで支援を始めました。それが瞬く間に広がって、現在までのボランティア登録数は1,600名を超え、ある程度継続的に活動している人だけで数百名はいると思います。最初はふたりで立ち上げたプロジェクトでしたが、現在では被災地3県(宮城県・岩手県・福島県)のほか全国各地に支部があります。
――運営はどのようにされているんですか?
西條 たまにミーティングを行うこともありますが、基本的に通常の運営はFacebook上で行っています。
――緊急物資支援のほか、一般家庭から中古家電を届ける「家電プロジェクト」や、ガイガーカウンターを無料で貸し出す「ガイガーカウンタープロジェクト」、重機免許が無料で取得できるよう支援する「重機免許取得プロジェクト」など、本当にたくさんの活動を行っていらっしゃいますね。それぞれのプロジェクトに対して、西條さんはどれくらいイニシアチブを持っているんですか?
西條 Facebook上に立ち上がっているグループは、チームやプロジェクト単位で全部で50くらいあります。立ち上げたばかりのプロジェクトについては、いろいろな人をつなげたり、体制が整うまでは僕が中心となってやっていますが、ある程度軌道に乗ったら、各プロジェクトのリーダーに任せて、何か重要な局面では相談を受けて舵取りしていくという形を取っています。ひとつのプロジェクトが軌道に乗るまでは、だいたい1カ月くらいでしょうか。
■仕事がなければ自立することは不可能
――震災から8カ月が経ちましたが、被災地の現状を教えてください。
西條 場所にもよりますが、生活機能的には大きく変わっていないように思います。避難所から仮設住宅に移ってプライベート空間を手に入れただけで、復興ということでいえば、ようやく始まったばかりだと思います。たとえば、宮城県南三陸町では信号3機しか残らないくらい壊滅してしまって、ガレキも当初よりはなくなっていますが、震災後新しく建ったのは5軒ほどのプレハブのコンビニほか数件に過ぎず、そういう意味では何も変わっていないんです。
――いま現地で一番求められている支援はどのようなものなんですか?
西條 僕は雇用創出と就労支援という「仕事」、「心のケア」、そして「教育」の3本柱だと思っています。仕事がなければ不安にもなりストレスも増大しますし、子どもの教育環境も整えることもできないので、「仕事」は根本的に重要ですよね。震災直後は物を買う店も何もないので物資を送るしかなかったんですが、現地に仕事があれば自分で好きなものを買えるわけですからね。
――現在は、先に触れた「重機免許取得プロジェクト」や、被災地の女性たちにミシンを贈って仕事にしてもらう「ミシンプロジェクト」など、雇用創出・就労支援を特に積極的に行っているのでしょうか。
西條 重機免許については、かなり初期の段階から考えていたんです。これだけガレキだらけになってしまったら、重機はどう考えても必要になるだろうと。いまは仮設住宅ができただけで、本格的な町をつくるのはこれからです。マイナスからすべてつくらなければならないわけで、建築系の仕事は今後長期にわたって需要がある。それは間違いないことなのだから、重機免許を取ってもらえれば仕事につながるだろうと思ってスタートさせました。このプロジェクトが動き出したのは4月末くらいだったんですが、みんな避難所にいて何もやることがない状況で、それは精神的にもよくないし、自分たちの手で町が復興できればそれは希望にもつながる。申し込み者が殺到し、岩手県陸前高田市で計121人が免許を取得しました。いま第2弾が、宮城県岩沼市で100名規模で始動しています。重機免許は数万円で取得できるんです。生活費の数万円はすぐになくなってしまいますが、重機免許を取得して仕事に就ければ年に数百万稼ぐことも可能になります(http://wallpaper.fumbaro.org/licence/)。
「ミシンプロジェクト」は、被災地の女性たちにミシンを贈ることで元気になってもらい、将来的にミシンでの作品づくりを仕事につなげていただこうというプロジェクトです。「ミシンがあったらサイズのあわない服などの支援物資を調整したりできるから便利なのに」という被災地の声がきっかけで立ち上がりました。ただミシンを贈るだけではなく、特定の商品を作っていただけるようになるための講習会を開催し、帰りにミシンをお渡しして、その後、商品を納めていただいた方には制作費をお支払いするというかたちを取っています。また様々な会社からお声掛けいただいています。2万円のミシンが、これから200万円をつくる道具になる。僕らはただ物資を送っているのではなく、被災地の人たちがまた前を向いて生きる希望が持てるようになるための支援を行っているんです。これからは全国の関連企業さんのお力も必要になります。商品受注や販路確保のお話はもちろん、中古の工業用ミシンや裁断機を提供できるという方もぜひご連絡いただきたいですね(http://wallpaper.fumbaro.org/machine)。
■win-winの社会的事業の構想
――現在は、企業の協力を得た雇用創出・就労支援も進んでいるそうですね。
西條 「ふんばろう東日本企業連合」というプラットフォームに各企業さんに参加してもらい、就労支援プロジェクトを進めています。おおまかにいえば、現場ではお金が必要で、地元自治体にはさまざまな補助金が落ちていますが、それをもとに事業をつくるという作業が追いついておらずギャップが生じているので、そこを埋めることで地元に雇用を創出していこうというwin-winの社会的事業の構想です。これからも関心のある企業や自治体の方からご連絡いただければ前向きに対応していきたいと思っています。
――すべてにおいて無駄がなく、すごくうまくいっているように見えるのですが、今までの失敗談などはあるんですか?
西條 肝心なところはうまくいっていると思うのですが、ひとつひとつのプロジェクトをかたちにしていき、それら全体をマネジメントしていくのは簡単なことではないですよね。立ち消えになってしまった企画もあります。「モバイルトップス」という、被災地で求められる機能性とおしゃれさを兼ね備えた「被災地専用Tシャツ」を作ろうという話になってユニクロさんに持ち掛けたんですが、そのまま夏が過ぎて消えていった(笑)。
もっとも、重要なプロジェクトは確実に成果を上げていますが、それは意識の高いボランティアのみなさんのご尽力の賜物ですね。表には見えないのですが、みなさん仕事が終わってからミーティングに来たり、夜中まで作業されたりと本当にすごいんですよ。「ふんばろう」は、そうした素晴らしい人たちの”気持ち”と”行動”によって成り立っています。
(取材・文=編集部/中編につづく)
●さいじょう・たけお
1974年、宮城県仙台市生まれ。早稲田大学大学院(MBA)専任講師。専門は心理学や(科学)哲学。「構造構成主義」というメタ理論を体系化。2011年4月に「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げ、代表を務めている。Twitter→@saijotakeo。
●ふんばろう東日本支援プロジェクト
<http://fumbaro.org/>
まだまだこれから。
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事