地震、津波、原発事故……それでも続く、日常を生きる意味『神様 2011』
#本 #東日本大震災
「くまにさそわれて散歩に出る。川原に行くのである。春先に、鴫を見るために、防護服をつけて行ったことはあったが、暑い季節にこうしてふつうの服を着て肌をだし、弁当まで持っていくのは、『あのこと』以来、初めてである」(『神様 2011』本文より)
2011年3月11日を境に、私たちが住む世界は180度変わってしまった。巨大地震による津波などの被害で死者・行方不明者合わせて2万人以上の犠牲者を出し、原発が爆発した。原発から飛び散った大量の放射能は地球を何周もし、海や大地、そして農作物を汚染した。「ベクレル」や「シーベルト」、「内部被曝」「除染」なんていう、いままで聞いたことのなかった言葉が当たり前のように使われるようになり、専門家も誰も、この先私たちがどうなってしまうのか、確かなことは何も分からない。そんな見えない恐怖に日本中が包まれている。けれど、これもまた、「日常」の1ページであることには変わりない。
『神様 2011』(講談社)は、川上弘美が18年前に書いたデビュー作の短編『神様』を、震災後に改稿した作品だ。初出は文芸誌「群像」6月号(同)で、この2つの作品を同時に掲載した。
隣人である「くま」と主人公が散歩する、という寓話的なあらすじは変わらないのだが、『神様』に登場するマンションの住民や子どもの姿は『神様 2011』からは消え、替わりに「防護服」や「ストロンチウム」、「累計被曝量」などといった無機質な単語が登場する。「あのこと」という言葉が出てくるたびに少しドキッとして、何とも言えない、嫌な感じが胸に残る。『神様』と『神様 2011』、どちらの世界が現実でどちらが幻なのか、不思議な感覚に陥ってしまう。
川上は何気ない「日常」を描くのが得意な作家だ。どこにでもあるような、だけどたまらなく愛おしい、そんな日常。原発事故の前と後で、その日常は様変わりしてしまった。そのことへのやりきれなさと、何も知らなかった、知らないふりをしていた自分への静かな怒りが、デビュー作を書き換える作業へと川上を駆り立てたようだ。
「日常は続いてゆく、けれどその日常は何かのことで大きく変化してしまう可能性をもつものだ」(『神様 2011』あとがきより)
確かに、”終わりなき日常”は終わった。けれど、私たちがいま生きる世界も、まぎれもなく日常であることには変わりない。たとえ、それが3.11前に想像しなかった最悪の現実であったとしても、「もう嫌になった」と投げ出すことはできない。
暗闇の中でじっと目をこらせば、きっと見えてくるものがある。その「何か」は、人それぞれ違うだろうが、それこそが、いま私たちが生きる意味なのだろう。
人生は続いてゆく。
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