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本多圭の「芸能界・今昔・裏・レポート」Vol.124

「恩讐の彼方に」香川照之 父・猿之助と45年ぶり和解の裏で涙する市川右近

teruhikokagawa1003.jpg『慢性拳闘症』(講談社)

芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!

 俳優の香川照之が父・三代目市川猿之助と和解し、歌舞伎役者としての活動も始めるという。かつての家庭内の泥沼を、猿之助は「恩讐の彼方に」という言葉で払拭し、スポーツ紙は美談としてこれを報じた。だが、筆者は香川の策が見事にはまったことで、その影で泣いているであろう市川右近の心中を察すると複雑な思いがしてならない。

 猿之助は、1965年に元宝塚女優の浜木綿子と結婚。同年、長男の香川が生まれるが、猿之助は初恋の人であった”日本舞踊藤間流”の故・藤間紫のことが忘られずに、彼女の元に不倫に走って、妻子を捨てた。

 浜は、女手ひとつで香川を育てた。香川は母親の愛情に報いるために東大文学部に入学。卒業後、俳優になった。一方、猿之助はスーパー歌舞伎を生み出して、歌舞伎界からは異端児扱いされたものの、歌舞伎の新しいジャンルを確立したと国内外から高く評価された。ところが、2003年に脳梗塞で倒れて以来、舞台に立つことはできず、現在は演出面に回っている。

 そんな猿之助に代わって、スーパー歌舞伎を支えてきたのは、猿之助の部屋子となって長年修行してきた市川右近だった。かつては猿之助も、後継者は血縁がなくてもいいというような発言をしており、関係者の間では、四代目猿之助は右近が襲名すると思われていた。ところが、今回の和解を機に、香川のいとこにあたる市川亀治郎が四代目を襲名することも決定した。右近にとっては、青天の霹靂だったことだろう。これも、香川の企てであるような気がしてならない。

 というのも、香川は自分がなりたかった歌舞伎役者の夢を長男・政明に継がせ、将来、猿之助の名を襲名させたいと願っていたからだ。こうした思いは、先日の会見での「『この船(筆者注:140年の歴史がある一族の屋号・澤瀉屋)に乗らなくていいのか』と彼(政明)が生まれたこの7年、ずっと思ってきた」という言葉からも見てとれる。やはり、自身に流れる歌舞伎の血を自分の息子に継がせたかったのだ。

 そもそも、歌舞伎関係者の間では、古くから香川と右近の間での、猿之助襲名をめぐる確執がささやかれていた。もし香川が歌舞伎界に戻ってくることがあれば、猿之助継承の大本命になる。しかし、香川も40歳を過ぎ、さすがに今さら歌舞伎界に戻ってきても、重ねられる芸歴からいって猿之助を襲名できるところまではいけないだろうと思われた。それゆえ、右近の猿之助襲名が有力視されていたのだ。ところが今回、亀治郎が猿之助を襲名することになった。同時に香川が歌舞伎界入りし、市川中車を襲名。さらに政明に市川団子を襲名させた。これは、亀治郎の後、政明に猿之助襲名させるための布石と見るのが妥当だ。自分に猿之助襲名の資格がないならば、一度はいとこに預け、将来、息子に”奉還”してもらおうということだ。

 猿之助は8年前に脳梗塞を患い、2年前には故・藤間さんに先立たれ、心細い日々を送っていた。その心の隙間に香川が入り込んでいった。息子に猿之助を襲名させるためだ。妻子を捨てて、故・藤間さんの元に走った猿之助を浜さんは許さなかったが、今回は孫のためということで許したという。それを聞いて猿之助は「浜さん、ありがとう。恩讐の彼方に。ありがとう」と感謝した。しかし、そうした言葉の影で、右近は泣いているはずだ。歌舞伎界で異端児扱いされているスーパー歌舞伎の後継者の右近は、猿之助襲名の夢が破れただけではなく、後ろ盾であった猿之助の思いが香川一家や亀治郎に移ったことで、歌舞伎界での立場も微妙になった。こうなると、いくら「血は水よりも濃し」といっても、近年、猿之助に代わって、スーパー歌舞伎の発展に尽力してきた右近が哀れだ。香川や亀治郎には、猿之助が育てたスーパー歌舞伎をどうするつもりなのか、ぜひ問うてみたい。
(文=本多圭)

慢性拳闘症

役幅広い。

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最終更新:2013/09/11 12:32
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