稀代の革命家・見沢知廉が現代社会に投げかけるもの
#映画
6年前、ある男が自宅マンションから飛び降り、帰らぬ人となった。彼の名は見沢知廉。10代より新左翼運動に目覚め、その後、右翼に転向。さらには内ゲバで殺人事件を起こして投獄、獄中で執筆した処女小説『天皇ごっこ』(新潮社)が出所後に高い評価を獲得……と、その人生はスキャンダルに満ちている。
そんな彼を追ったドキュメンタリー映画『天皇ごっこ -見沢知廉・たった一人の革命-』が、10月29日より新宿K’sシネマにて公開される。はたして、見沢知廉とは一体何者だったのだろうか? そして、彼を通して浮かび上がる現代社会とは? この作品のメガホンを取った大浦信行監督にお話をうかがった。
■見沢には未完成の魅力があった
――今回の作品では、なぜ見沢知廉に焦点を当てようと考えたんでしょうか?
大浦信行監督(以下、大浦) 見沢知廉と自分に似た部分を感じたんです。生前の見沢さんにお会いしたことはないんですが、彼の抱えている生きづらさみたいなものに共感しました。彼自身、あまりにも感受性が強く、社会に対する違和感を普通の人より何十倍も過敏に受け取ってしまったのでしょうね。
――今、このタイミングで見沢知廉を取り上げることに意義を感じますか?
大浦 見沢を捉えることで、”生きづらい”といわれてるような若い人たちの希望になりうるんじゃないかと思います。こういう人物が存在したという事実にはとても励まされると思うんです。映画には雨宮処凛さんにも登場してもらっていますが、彼女もリストカットやオーバードーズを経験し、社会からドロップアウトするしかなかった。けれども見沢さんと出会ったことをきっかけに、今ではプレカリアートや反貧困問題の旗手として活躍されています。
――”生きづらさ”というのはここ数年にわたって大きな問題となっていますね。
大浦 見沢の中にあった革命意識や破壊衝動、もしくは生きづらさといったテーマは、例えば秋葉原事件にも共通すると思います。犯人である加藤智大被告の中にあった事件への動機は承認願望でした。そんな願望はきっと見沢の中にもあったんじゃないでしょうか。
――そして、やはりそんな”生きづらさ”が彼を自殺へ追いやったのでしょうか?
大浦 関係はあると思いますが、100%イコールでは結べないと思います。というのも、見沢知廉は刑務所に服役中に精神病院で処方されて以来、さまざまな精神薬を服用していました。晩年は、いわば薬漬けのような状態だったようです。
――映画の中では、新右翼団体「一水会」顧問の鈴木邦男氏や統一戦線義勇軍議長の針谷大輔氏、そして、北海道大学准教授の中島岳志氏ら、錚々たる人物が見沢知廉を語っていますが、誰もがとても楽しそうに見えます。こんなにも人に語らせたがる見沢知廉の魅力とは何だったのでしょうか?
大浦 映画にも登場した蜷川正大氏(二十一世紀書院代表)は見沢について、「あの程度では本物の右翼とは言えない」と語っていましたが、見沢は未完成な人間だったんです。同じ右翼でも三島由紀夫や野村秋介氏(朝日新聞東京本社で自殺した新右翼の論客)などのように完成されてはいませんでした。右翼に転向してもすぐに刑務所に入ってしまったし、作家としても熱望していた文学賞を獲ることができなかった。いつも到達できないであがいている見沢が魅力的です。
――語ることによって、それぞれの見沢知廉像を補うことができるんでしょうね。
大浦 見沢知廉は”色”とか”華”を持っている人でした。見沢の母親は、若いころとても美人だったんですが、今お話しをうかがっていても、とても魅力に溢れた人柄が伝わってきます。見沢もそんな母親の影響を受けているんでしょうね。
――見沢の母親はかつて『ゆきゆきて、神軍』(1987)の奥崎謙三からも猛烈なアプローチを受けていたようですね。
大浦 そのアプローチにはずいぶん困ったらしいですよ(笑)。
■革命と映画の共通点
――大浦監督自身が映画の中で、最も印象に残っている言葉は何でしょうか?
大浦 設楽秀行氏は早稲田中学からの同級生で、ずっと見沢と共に行動し、一緒に殺人を犯してしまった人物なんですが、彼は「見沢の殺人を止めることは自分には考えられなかった」と言っていました。彼にとって、見沢がやられたら自分がやられたと同じこと。そういう関係はなかなか得られるものではありません。理屈を超えた任侠のような関係ですよね。
――今作には、通常のドキュメンタリーと一線を画すようなイメージシーンが多く挿入されますが、この意図を教えて下さい。
大浦 僕の作り方はいつもそうなんです。映画の中にイメージの世界と現実の世界が混ぜ合わされ、それらが織り成すリズムで構成されています。
――そのような構成のため、この作品を見ていると、実際に存在していたはずの見沢知廉がフィクショナルな人物に感じられてきます。
大浦 それは意図したことではないんですが、そう感じていただけるとうれしいですね。現実と想像が渾然一体となる瞬間が映画を媒介にでき上がり、見ている人の中にも変化が起きた。それは祝祭の場です。もしかしたら革命というものも、その積み重ねの中から生まれるのかもしれませんね。革命も人の心に何かを創りだして現実を乗り越える行為でしょう。
――美術家としても活躍する大浦監督は、「遠近を抱えて」で天皇の写真をコラージュし、社会的な物議を醸しました。今回の映画でも、最初はこの作品を取り上げようと考えられたそうですね。
大浦 今回の映画のタイトルにも使用している見沢の小説は『天皇ごっこ』というタイトルでした。”ごっこ・遊び”にすることで、歴史を反転させようとしたわけです。一方、僕の場合は自画像を作ろうとして、天皇の写真を使用しました。そのプロセスは違うけれども、僕と見沢の天皇に対しての視線が重なる瞬間があるんじゃないかと考え、「遠近を抱えて」を使おうと当初は思ったんです。見沢を描くためには、監督として、しっかりと見沢に応答することが必要でした。決して過去の問題を蒸し返すことが目的ではありませんでした。
――脱原発デモを始め、徐々に若者が政治に対して声を上げ始めています。もし、見沢が生きていたらどのような行動を取っていると思いますか?
大浦 映画ではカットしたんですが、雨宮さんも「もし見沢さんが生きていたら一緒に活動をしてくれているんじゃないか」と語っていました。右か左かという次元ではなく、人間として、みんなと一緒になって政治に取り組んでいると思います。見沢はすごくアジテーションがうまかったんです。もしかしたら、雨宮さんとの”師弟コンビ”として、デモ隊でアジっているかもしれませんね。
(取材・文=萩原雄太[かもめマシーン])
●『天皇ごっこ -見沢知廉 たった一人の革命-』
監督・脚本・編集:大浦信行 撮影・編集:辻智彦 録音:川嶋一義
出演:あべあゆみ/設楽秀行/鈴木邦男/森垣秀介/針谷大輔/雨宮処凛/蜷川正大/中島岳志/高橋京子
特別協力:高木尋士(劇団再生)/濱田康作 協力:プロダクション花城
製作:国立工房 配給:太秦
(c)『天皇ごっこ』製作委員会
<http://www.tenno-gokko.com>
●おおうら・のぶゆき
1949年富山県生まれ。19歳から画家を志し、絵画制作を始める。その後、76~86年までニューヨークに滞在。帰国後、天皇をモチーフにした版画シリーズ「遠近を抱えて」が問題となり、作品は富山県立近代美術館によって売却、図録470冊が焼却処分となる。その後、この事件を契機に、同名の映画作品『遠近を抱えて』(95)を制作。映画作品としては他に『日本心中』(02)、『9・11-8・15日本心中』(05)を手掛けている。
今読むべき1冊。
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