【じゃんけん大会優勝】AKB48篠田麻里子の半生を検証 劇場アルバイトから優勝への軌跡
#アイドル #AKB48
9月20日開催の「AKB48 24thシングル選抜じゃんけん大会」で、優勝を果たした篠田麻里子。5回戦を勝ち抜き、自身初のシングルセンターの座を獲得した。身長168cmのスレンダーボディでファッション誌『MORE』(集英社)のモデルとしても活動する篠田。だが、彼女は知られざる努力を続け、自らを向上させてきたのだった。そんな篠田の素顔と歴史を、早くも4刷に達したヒット本『泣けるAKB48 メンバーヒストリー 少女たちの汗と涙の軌跡』(http://cyzo.biz/nakeruakb48/)から抜粋。グループ最年長メンバーで、飾らない人柄から後輩からの支持も厚い彼女の半生に迫る。
◆AKB48不合格!! カフェっ娘からのメンバー昇格第1号
AKB48劇場完成時から2008年まで、劇場に併設されていたAKB48カフェの店員、通称”カフェっ娘”から正規メンバーに昇格した第1号である篠田麻里子。05年12月からカフェっ娘を務めていた篠田は、劇場が満員にならなかった当時、街頭でAKB48のチラシを配るなど、まさにひとりのバイトとして働いていた。「チラシとかチケットも配ってたくらいなんですけど。みんな目を合わせてくれなかったんですよ、近寄ってもサッて(避けられる)。だから『あぁ、東京の人って冷たいんだ』って(笑)」(ウェブサイト「ライブドア」)と、地元・福岡から東京に上京してきたばかりの彼女は、都会の世知辛さを肌で感じていたようだ。だが、彼女のルックスの良さはファンの間で話題を呼び、正規メンバーへの起用が決定する。
AKB48の名物のひとつであるサプライズの第1弾となったのが、この篠田の正規メンバー入りだった。結成当時は正規メンバーとカフェっ娘を人気投票で入れ替えるコンセプトがあり、そのトライアルの一部とも考えられる。秋元康総合プロデューサーから、正規メンバー昇格を告げられ、篠田はわずか4日で振り付けを覚え、ステージデビューを果たす。
「あのときは死ぬ気でしたね。1日目はうれしかったんですけど、ビデオを見てやってみるとありえないぐらい難しくて、しかも先生が2日間しかつかなくて、メンバーにもわからないようにステージに立つから時間を調整してレッスンしてました」(ウェブサイト「スクランブルエッグ」)と、チャンスをつかみ取ろうと必死だったことを語っている。そんな形で”1.5期生”として加入した彼女は、やはり遅れて入った分、苦労も多かったようだ。ファンクラブサイトで公開された『AKB48Channel』ではこう述懐している。
「最初はなじめなかったんですよ。でも、みんなと泣いたりして、ゆきちゃん(06年に卒業した宇佐美友紀)の千秋楽で初めて、メンバーやファンの温かさがわかった。一人で入ったから話せなくて、悲しいことを一緒に味わって『仲間だな』って。それからいろいろ話すようになった」
1期生として加入し、チームAの1st公演千秋楽で卒業した宇佐美。当時最年長でメンバーを支えていた彼女の存在は大きく、そんな宇佐美の突然の卒業に、メンバー全員が大きなショックを受け、大号泣した。だが、辛い時間を共有したことでメンバーとの間に絆が生まれていったようだ。
そんな経験を糧に、篠田は2nd公演『会いたかった』では、主力メンバーが出演する「背中から抱きしめて」に参加。A3rd『誰かのために』公演では、ユニット曲「Bird」「制服が邪魔をする」のほか、全体曲の「小池」では、ひとりで台詞を担当。自分がかつて振った男の子を意識してしまう女心の機微を描いたこの台詞を毎回感情を込めて披露することで、篠田は表現力を養っていった。
◆松井珠理奈を救った篠田の”PON!” 年長者だからできるメンバーへの気遣い術
07年には、4月から現在も続く中京ローカルの『BOMBER-E』(メ~テレ)の司会に抜擢。この番組では、東方神起、Perfume、AAAなどさまざまなアーティストを迎え、ゲストの魅力を引き出すトーク術を学んでいった。9月には、藤原紀香も所属する大手芸能プロダクション・サムデイに移籍を果たし、08年7月には、AKB48メンバーとしては初となるソロ写真集『Pendulum』(ワニブックス)を発売。後に続くメンバー写真集発売ラッシュのトップを飾る。写真集のためにダイエットを行い、夜8時以降食べない、毎日30分のウォーキングすることなどを自らに課してストイックな生活を送り、スレンダーボディに磨きをかけた篠田。そんな彼女の写真集に秋元氏から「親愛なる麻里子様。せめて、この写真集だけでも、独り占めさせてください」というメッセージが寄せられた。
続いて、このころからソロ活動が活発化。7月からは女性ファッション誌『MORE』で自ら長年憧れていた専属モデルを開始。アイドルでありながら、モデル業に進出した影響力は大きく、”モデル・篠田麻里子”から彼女を知り、AKB48に興味を持った女性ファンも増加。さらに、ソロでのテレビ番組出演も急増し、『another sky – アナザースカイ』(日本テレビ系)では、ワールドレポーターとしてフランス、ドイツ、スペインなど世界各地を歴訪。スペイン・イビサ島では、ハイパーメディアクリエイター・高城剛氏と対談。高城氏が「世界一夕陽がキレイ」と語る幻想的な落日を鑑賞する見識を広めていく。また、初の舞台『THE☆どツボッ!!』にも挑戦し、着メロでパラパラを踊りだす盛り髪頭のギャル・山口由紀子をコミカルに熱演した。
ソロでも活躍しながら、篠田はグループ最年長でもあり、後輩には心を砕くことで知られている。SKE48のオーディションに合格し、即AKB48の選抜メンバーにも抜擢された松井珠理奈も実の姉のように篠田を慕っている。当時11歳で突如プロの世界に放り込まれ、不安だらけの珠理奈は、篠田のある行動に助けられたと明かしている。
「08年の秋はチームSの初公演と、AKB48のシングル『大声ダイヤモンド』の選抜メンバーとをかけもちしていた時期。今までで、いちばんツラかったかも。チームSの練習には、なかなか参加できないし、選抜では新人で最年少の私がミスを連発してるし。私が未熟なせいで、みんなが迷惑してると思ったら、申し訳なくて、くやしくて。もうダメかも……と思ったとき、チームAの篠田麻里子さんが、無言で私の背中を”ポンッ”と叩いてくれたんですよ。その瞬間、こわばっていた私の背中が軽くなって、がんばることができた。あの”ポンッ”がなければ、今ここにはいなかったかも」(『Myojo』)
珠理奈の背中をポンと叩いた手。それは単なるスキンシップだけではなく、そこには「がんばれ」「応援してる」など、さまざまな思いが集約された行動だったはずだ。グループに突如加入した11歳の新人にメンバーたちはどう接すればいいのかわからない状況だった。「愛の反対は無関心」であり、人間にとって他人から黙殺されることは最大の恐怖だ。だが、その中で篠田は自身もチームAに途中から加入するという集団の輪に遅れて入る難しさを知っているだけに、珠理奈にシンパシーを寄せていたのだった。
(文=本城零次)
そのほか、どれだけ多忙でも責務を果たそうとする篠田のステージへの信念、知られざる高橋みなみとの信頼関係に迫っていく――。続きは現在発売中のAKB48評伝本『泣けるAKB48 メンバーヒストリー 少女たちの汗と涙の軌跡』(サイゾー)に掲載。詳細はこちら(http://cyzo.biz/nakeruakb48/)。
■『泣けるAKB48メンバーヒストリー 少女たちの汗と涙の軌跡』
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