ダミーサークルで信者を勧誘する教団と、それにハマる市民はなぜ生まれる?
#宗教 #インタビュー #オウム真理教 #麻原彰晃
■前編はこちらから
オウム真理教幹部でアーレフの元代表でもあった野田成人氏と、新進気鋭の宗教学者・大田俊寛氏との対談は、宗教学や社会学のあり方と、そこに携わる研究者たちの姿勢に疑義を呈しつつ、「公として、死の扱い方には関知しない」といった国家的な構造が、オウムを生んだ一因という議論に発展していった。後半は、そんなオウムの後継団体であるアーレフ(現アレフ)の信者たちが「なぜ今も教団を離れないのか?」という疑問から、話は展開していった。
――オウムの中では、「死」というものはどのようにとらえられていましたか?
野田成人氏(以下、野田) 教義の中では、輪廻転生という思想とその再生の過程というように解釈していました。
大田俊寛氏(以下、大田) それに関連して、野田さんにお聞きしたいことがあります。『革命か戦争か』(サイゾー)の中で、アーレフという教団においては、かつての終末予言は魅力を失っているし、人類の救済という大義名分もいまや非現実的なものとなっていると論じられている。ところが、なぜまだアーレフという教団にある程度の数の出家信者が残っているのかと言えば、いま教団や麻原を見捨ててしまうと、自分自身が来世で地獄に堕ちてしまうかもしれないという恐怖感があるからだと書かれています。しかし、現代人の一般的な見方からすれば、地獄に堕ちることが怖くて教団から離れられないというのは、あまりリアリティーが感じられない部分だと思われるのですが。
野田 補足して言うならば、大田さんがご著書で書かれていたように、アーレフという全体主義的な共同体の価値観の中に溶け込んでいたいという願望は、大きな要因としてあると思います。一生懸命やっている信者は、しっかり修行をすれば来世は大丈夫なのだと思っている。教団を離れられない信者は、そういったところを否定しきれないのです。また、事件後に新しく入ってきた信者がアーレフにはいるのですが、彼らは都市化した無機質な、つながりのない群衆の中での孤独にさらされていて、そういった状況から、統一的な全体像をつかむための価値観を求めている部分があります。現状、アーレフには新しい信者も古い信者もいますが、来世で自分は良い世界に行けるか行けないかというのは、信者の中の中心的な興味のひとつであると思います。それだけではありませんが。
――オウムでは、洗脳する時に、地獄に堕ちるというような、かなり恐ろしい映像を見せていると言われていますが。
野田 過去にはそういうこともしていました。映像を見せていたのは、95年前後ではないでしょうか。
大田 野田さんも、そういう映像を見せられた経験があるのですか?
野田 私は94~95年には幹部でしたので、そういった映像を見た記憶はありません。私が出家したのは、87年の10月頃です。それから、アメリカやドイツへ布教活動に行きました。87年当時は、教団はまだかなりソフトで、麻原への帰依も強要されませんでした。昔は教団で出していた月刊誌があったのですが、その表紙は美人信者だったりしました。ところが、いつのまにか麻原を表紙にして、麻原色を強めていきました。それがどんどん強くなっていったのが、90年代半ばくらいです。
大田 現在、アーレフの信者数は、増加傾向にあるのでしょうか。
野田 辞める人もそこそこいますので、大体、横ばいか少し増えている程度だと思います。私は、アーレフは死んだ宗教だと思っています。新しく入って来る信者は、年齢的には20歳前後で、地下鉄サリン事件が起きた時は4~5歳だったりするので、事件があったことすらよく知らない信者もいます。
大田 新しい信者を惹きつける、一番の魅力になっているものは何でしょうか?
野田 それは端的に言って、麻原です。教団の中では、麻原は10億宇宙にただひとりの存在であると見なされています。宇宙が10億集まった中で、一番の魂だということになっているのです。地下鉄サリン事件のことをどう説明しているのかというと、教団の中で統一的にどうかは分かりませんが、ひとつは「陰謀論」です。事件はやっていないけれども、フリーメイソンによってそう仕立て上げられているとか、そういう説明をしています。だから、本当の救世主である麻原は不当に牢獄に閉じ込められていると。
――そのような陰謀論が信じられているのですか?
野田 信じる人は信じるし、おかしいと思う人の中には、私のところに相談に来てから、アーレフを辞めていった人もいます。言い方を変えると、いまの宗教が私的領域に追い込まれているので、何でもありという形になってしまっているところがあるのです。
――偶像として麻原が掲げられているのは分かるのですが、麻原やアーレフが自分たちに何をしてくれるのかということについては、どう考えているのでしょうか。
野田 アーレフの勧誘形態として、自己啓発セミナーで新たに勧誘するということがある。教団の幹部が、セミナーで麻原の役を演じることもあります。もうひとつの要因としては、信仰というものの特性です。信じることそのものが、力を持つことがある。信じることによって、実際に麻原を拝んでいたら仕事が見つかったとか、願いが叶ったとか、「暗示の効果」に近い部分もあります。生きた教祖は教団にはいませんが、アストラル次元でつながっていると教団では言うのです。それを信じて、実際に力を得ている人もいますね。
――教義はともかく、麻原を信じれば救われると考える人もいるということですが、確かに、いきなり素人に難しい教義の話をするよりは、その方が分かりやすいのかもしれませんね。
野田 教義に惹かれる人も、ある程度はいます。一応、仏教的な戒律を一生懸命守っていますので。何が正しいか、何が間違っているか分からない今の社会の中で、ひとつの指針になるものとして惹かれる人もいます。
大田 地下鉄サリン事件への関与をオウムが正式に認めたのは、95年からかなり時間が経ってからのことですよね。それは現在、内部でも正式に認めているのですか? それとも、先ほどうかがったように、陰謀勢力の仕業と言っているのでしょうか。
野田 結局、教団が公に認めたのは、99年のことです。96年から98年までは、事件への関与を認めるべきかどうか、現役信者や在家信者への影響を考えていました。認めるかどうかの判断は、私が意思決定をしていた部分でもあります。結果的に、表に対しては認めたのですが、信者はほとんど関心の対象としていないようです。あまり考えないようにしているというか、考えても整合性がつかないから、答えようがない。少なくとも出家信者に関しては、修行をしておけば高い世界に行けるからという理由で、その問題を棚上げしています。
大田 その辺りが、外部から見ると腑に落ちないところです。新しい信者が来た際、当然、地下鉄サリン事件とは何だったのか聞かれると思うのですが、納得のいく説明をするのは非常に難しいのではないですか?
野田 そうですね。教団内の信者で、それを整合的に説明できる信者はいないと思います。だから、陰謀論を出してきたり、ともあれ自分はこの修行によって恩恵を受けているのだから、といった形で済ませてしまう。しかしやはり、事件が勧誘のネックになっていることは事実です。ですから、ヨガや仏教のダミーサークルを作って、そこで信頼関係を構築してから、その後でアーレフということを明かします。そこでもちろん、離れていく人もいます。しかし逆に、あんなに悪い教団と思っていたのにイメージと違うということで、中に入って確かめようという人もいます。
■カリスマ言論人を求める出版界の事情
――最近では、スピリチュアルなものが盛り上がっています。スピリチュアルなものは新興宗教に入るひとつの入口になると思うのですが、アーレフはそういったものに関わっているのですか?
野田 GREEやmixiなどで、ヨガや潜在意識で能力を開花させるといった、ダミーサークルを作っています。
――スピリチュアルなものを求めている一般の方についてはどう思いますか?
野田 今の社会の構造として、死や生の意味付けに関する取り扱いの基準が欠けているという状況があるため、いろいろなものが乱立し、スピリチュアルなものを求めるという現象も生じていると思っています。
――宗教学者としては、スピリチュアルなものの隆盛をどう思われますか?
大田 やはり、今回の対談で話してきたように、何のために生きているのかというとても大きな問題があります。人は生きている間に、さまざまな喜怒哀楽の感情を経験したり、日々の努力を重ねて必死に生きたりしていますが、そもそも死ねば全てがなくなってしまうのに、なぜこんなに苦労して生きていかなければならないのだろうと、ふと分からなくなる瞬間がある。生きるということは、死ねば全てが無に帰するのではないかという圧倒的な問いの前に、常にさらされているわけです。スピリチュアルなものは、その問いに対して非常に分かりやすく、簡略的で簡便な答えを与えようとしているように思われます。
――占いなどでは、とても簡便な答えが求められているように感じますね。
大田 スピリチュアルなものが、本当に社会のあり方を変えるのかと言われれば、私にはとても信じられません。資本主義的な社会を生きていく上で、その生きづらさをごまかすというか、生や死の問題について仮初めの幻想的な答えを与えて、生きづらさを一瞬だけ緩和するという機能しかないのではないかという印象を持っています。ただ、一時的にではあれ、それらに触れて救われたように感じる人がいることも否定できないので、ナンセンスの一言で済ませられない部分もありますね。
――オウムを総括する本を出された大田さんや、大田さんの世代(30代半ば)が今後果たして行く役割とは何でしょうか?
大田 近代のシステムは万能ではないし、野田さんのおっしゃるように、資本主義は陰を生んでいく。それは本質的にぜい弱なシステムであり、いつ崩壊するかも分からないシステムです。しかしだからといって、悩める現代人に対して俺が生き方を教えてやろうとか、こうすればこれまでの問題がすぐに解決できるといったことを軽々に発言しないということが、研究者が今後最も気をつけるべき点だと思います。人々に生き方を教える「カリスマ言論人」になって欲しいという圧力は、研究者や知識人の周囲にとても強く存在しています。それこそ資本主義の問題なのですが、そういうカリスマ言論人の本は部数も伸びるので、出版社側も、一大ブームを起こして本を売りたいという願望があるのでしょう。
――カリスマ言論人に出てきてほしいという思いは、我々出版に関わる人間には、根強いのかもしれません。
大田 オウム事件のような宗教的問題を含め、ある問題が生じたときには、不安定な社会に生きる一員として、研究者もそういう状況に巻き込まれて生きていかざるを得ません。そして、その問題をどう解決できるのかということはすぐには分からないけれど、その問題自体がどのようにして成立してきたのか、どのような構造を備えているのか明らかにするということが、研究者の役割であると思っています。
――お2人とも、出版後の反響はどうでしたか?
野田 私は叩かれると思っていたのですが、本はほとんど売れず、あまり反響はなかったですね。ある意味で事件を肯定するようなことも言っていたので、拍子抜けしました。
大田 次の本を書きませんかという依頼はいくつかいただきましたが、肝心の宗教学者からの反応は、一部を除いてほとんどありませんでした。どう考えても、私の本に応答するべき、オウム問題について私より責任の重い先人たちがたくさんいるはずなのですが。
最後に、私の方から申し上げたいことがあります。私は元々、グノーシス主義という古代の宗教を研究していたことから、今でもどこか、古代から現代を見ているところがあります。そういう歴史的な目で見ると、近代というのはとても特殊な時代に思われます。それまで人間社会の規範として存在してきたもの、その運動を制御するリミッターとして機能していたものが外されて、人口が膨大に膨れ上がり、その人口を支えるための政治的・経済的システムが、ここ100~200年の間に急速に複雑化しました。そして、誰も社会の全体がどうなっているのか分からないという、前代未聞の状況が成立してしまった。そういう世界を生きているのだということを、我々はよく自覚する必要があると思います。
――そういった社会に、どう対処すればいいのでしょうか?
大田 社会がどのような仕組みで動いているのか、そこで生じるさまざまな問題にどのように対応するべきなのかといった事柄に答えを見出すことは、実際には非常に難しく、また当然そこから、「誰か答えを教えてほしい」という社会的欲求が出てくることになります。そして、そうした欲求に答える存在として、「私が答えを教えてあげよう」と称する知識人が輩出され、それと並行する形で、結局のところ人類の行く末はハルマゲドンかユートピアかだという、オウム的な二元論も生まれてきたのです。しかし、複雑な問題や状況に対して、安易な答えを与えることや、それらを単純な二元論にすり替えることは、私はすべて虚偽であると考えています。その意味において、野田さんの提示する「革命か戦争か」という二元論は、オウム的な思考の枠組みを、まだ完全には脱していないところがあるのではないか。むしろ、簡便な答えにすがったり、単純な二元論に陥ったりすることなしに、社会や人間に関わる問題をいかに粘り強く探求し続けることができるのかということが、真の「オウム以後」の課題ではないかと思うのです。
※ ※
オウム真理教の内側を綴った『革命か戦争か』、オウム真理教事件を外側から総括した『オウム真理教の精神史』(春秋社)。内側と外側を対比させながら、オウムの事件について再度考察してみるのはどうだろうか。
(構成=本多カツヒロ)
●のだ・なるひと
1966年生まれ。1987年東京大学物理学科在学中にオウム真理教に入信・出家。95年教団内で正悟師の地位に就く。以降、幹部として教団運営において指導的役割を果たす。2007年アーレフ代表に就任。09年3月「麻原を処刑せよ」と主張したことによりアーレフから除名。現在はNPO「みどりの家族」を立ち上げ、ホームレスの自立支援や脱会信者の支援に力を注ぐ。独自にオウム事件被害者の賠償問題にも取り組んでいる。
●おおた・としひろ
1974年生まれ。専攻は宗教学。一橋大学社会学部卒業。東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。現在、埼玉大学非常勤講師。著書に『グノーシス主義の思想――<父>というフィクション』(春秋社)がある。
外からの視点。
中からの視点。
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事