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【元木昌彦の「週刊誌スクープ大賞」第104回】

「心を許せる友は暴力団関係者だけだった」島田紳助”黒い携帯メール”

asahi12955.jpg「週刊朝日」9月9日号

第1位
「独占スクープ!これぞ決定版 島田紳助”黒い携帯メール”106通全文入手」(「週刊朝日」9月9日号)

第2位
「『芦田愛菜』ちゃんは一体いくら稼ぐ気か!」(「週刊新潮」9月1日号)

第3位
「『長嶋解任』の確執は今も ミスターの追悼文を拒否した『正力家の怨念』」(「週刊現代」9月10日号) 

 民主党代表選挙は、世界陸上のウサイン・ボルトのフライングほどではないが、意外な結果になった。

 第1回目、海江田万里の得票数は予想されたものだったが、小沢・鳩山派の票をまとめただけで、浮動票はほとんど入らなかった。世論調査では大本命と持ち上げられた前原誠司は74票しか集まらず、泡沫候補などと揶揄された野田佳彦が”予想外”の102票を集め、2位に入った。

 前原は、地方議員やサポーターの票がなかったこと、直前に外国人からの献金問題を自ら明らかにしたが、代表になれば野党から追及されること必至なため、無難な野田に票が流れたのだろう。決選投票は前原、鹿野、馬淵陣営が野田に投票することでほぼまとまり、”泣き虫”海江田総理は消えた。

 しかし、決選投票では野田が215票、海江田177票と案外な接戦になった。34もの票が小沢・鳩山派へ流れたのだ。 野田が代表あいさつの中で「ノーサイドにしましょう、もう」と言ったように、小沢対反小沢という対立構図がそのまま残る形になった。野田新総理は前原、鹿野、馬淵を重用しながら、海江田、小沢の処遇も配慮しなければならない。党内運営はさらに困難になり、対立は先鋭化していくのではないか。

 だが週刊誌にとっては、ふつーのおっさんで平凡を絵に描いたような野田新総理はやりにくい相手かもしれない。財務省の傀儡といわれる野田が、復興増税、消費税増税路線を強引に推し進めていけば批判しやすいが、これだけ反小沢と親小沢が拮抗していたのでは、当分それはできまい。野田雪だるまは坂道の途中で踏ん張れるのか、転がり落ちるのか、予断を許さない。

 さて、今週は小さな記事に読むべきものが多かった。第3位は「現代」の「秘密と嘘」というスーパーワイド特集の1本。

 8月15日に亡くなった正力亨読売新聞グループ本社社主(享年92)の葬儀に、遺族側の意向で、幹部1名を除いて渡邉恒雄会長も白石興二郎社長も参列を許されなかったというのである。 その上、川上哲治、王貞治、原辰徳が哀悼のコメントを出したが、ミスタージャイアンツ長嶋茂雄のコメントがなかった。

 無類の野球好きの正力は、長嶋の結婚式の仲人をやり、監督就任最初の年、最下位になっても長嶋を励まし続けた。長嶋が正力離れしたのは、80年に3位に食い込み、正力オーナーが監督留任を約束していたのに、突然解任されたことがきっかけだったという。

 解任したのは務台光雄読売新聞社長(当時)だが、正力に裏切られたと思った長嶋は、務台の次に最高権力者になった渡邉に接近し、92年オフに監督復帰を果たす。正力はそれを苦々しい思いで見ていたことが、今回の「コメント拒否」につながったのではないかと「現代」は推測している。

 読売をここまで大きくした正力松太郎の長男でありながら、晩年は、渡邉に巨人軍オーナーの座まで奪われ、孤独だったようだ。

 読売新聞は下克上の会社である。大正力の番頭だった務台は自分が社長になると、正力の功績は自分がいたからできたのだと大声で吹聴し、務台に跡目を譲ると指名された渡邉は、読売の最大の功労者は自分であると胸を張る。

 渡邉にオーナーを外された正力亨が、東京ドームバックネット裏の特別室で、ひとり寂しく野球を見ていた姿を思い出す。

 対広島戦だったと記憶している。私は隣の部屋にいた。そこには日本テレビの氏家齋一郎社長や何人かのマスコミ人がいて、酒を飲みワイワイ言いながら観戦していたが、正力の部屋に出入りする者はいないようだった。

 巨人軍の黄金時代を築いた彼が、今の野球界の凋落をどう見ていたのか。一度聞いてみたかった。

 2位は、「マルマルモリモリ~」で今や人気絶頂の天才子役芦田愛菜ちゃんについての、「新潮」のお節介な記事である。

 テレビドラマからCMまで、姿を見ない日はない愛菜ちゃんだが、彼女が出るだけでバラエティーは3%視聴率が上がると言われているそうだ。

「木村拓哉主演のTBSの連続ドラマ『南極大陸』がこの10月からスタートしますが、ここにも愛菜ちゃんの出演は決まっています。(中略)このところ人気が下降気味のキムタクとしては、今度こそ絶対にヒットさせたいという気持ちが強く、数字を持っている愛菜ちゃんをキャスティングして、その人気にすがろうというわけです」(芸能記者)

 彼女は兵庫県西宮市のサラリーマン家庭に生まれた小学1年生。「演技には見えないような子どもらしい演技ができる」(作家・麻生千晶氏)才能と可愛さで、CMのギャラも鰻登り。

 そうなると気になるのは他人のフトコロ。35万枚を突破した「マル・マル・モリ・モリ!」(ユニバーサルミュージック)の歌唱印税やドラマ、CMなどの出演料を合わせると、今年だけで軽く1億円以上を稼ぎ出す計算になるというのだ。

 しかし、『ケーキ屋ケンちゃん』(TBS系)の宮脇健や安達祐実のように、大人になっても子役時代のイメージが強烈すぎて、名子役は大成できないとよく言われる。海の向こうでは、映画『ホーム・アローン』で世界一有名な子役になったマコーレー・カルキンがアルコール依存症になっていたと報じられたこともあった。

 そこで「新潮」は、愛菜チャンの両親の願いをこうそんたくするのである。「これ以上大きくならないで」。これこそ大きなお世話である。

 突然引退を発表して世の中をアッといわせた島田紳助の記事は数多あるが、「朝日」の記事が一番優れていたので今週のグランプリに決定!

 火曜日(8月23日)深夜の記者会見だったため、「文春」か「新潮」に書かれたから、発売前に慌てて引退発表したのではないかというウワサが流れたが、そうではなかった。

 そのあと、「フライデー」「ポスト」「AERA」などもやっているが、「現代」と「朝日」は、紳助と元ボクシング世界チャンピオン・渡辺二郎(07年に羽賀研二と医療関連会社の未公開株の売買を巡って知人男性から約3億7,000万円をだまし取ったとして、恐喝未遂で起訴され、現在最高裁に上告している)が携帯でやり取りしたメールの数を競っている。「現代」は50通だが「朝日」は106通全文入手だから「朝日」の勝ち!

 引退にいたる経緯を簡単に書く。十数年前『紳助の人間マンダラ』(関西テレビ)という番組で、トロトロ走っている右翼の街宣車に文句をつけ、「菊の御紋」を侮辱するような発言をしたことを自慢そうに紳助が話したことがあった。

 その発言に稲川会系の右翼団体が激怒し、連日、抗議行動をするようになり、困った紳助が渡辺二郎経由で、山口組系の極心連合会・橋本弘文会長に解決を依頼し、事なきを得、それが縁で付き合いが深まっていった。

 その橋本会長は05年に競売入札妨害容疑で逮捕され、起訴後保釈されている。06年にも詐欺未遂容疑で逮捕拘留され、その後保釈されているが、メールを読むと、どちらの時期にも紳助は橋本会長に電話しているようだ。

 「朝日」によれば、複数の吉本興業関係者はこう証言している。

「情報提供があったのは、8月13日だったと聞いています。しかし、それ以上は社内でも厳重な箝口令が敷かれていて詳細は分かりません。ただ、事態を重く見た吉本上層部は、吉本興業社外取締役の原田裕弁護士を含む複数の幹部で構成される調査チームを立ち上げ、約1週間にわたって『羽賀渡辺裁判の関係者』と直接、接触するなど徹底した調査をしたそうです。その結果、協力者の情報が大阪府警の捜査報告書に基づいていることが分かり、そこに記されている内容の信憑性も高いと判断した。結局、21日に紳助さん本人の聴取に踏み切ったのです」

 本人はこれぐらいは「セーフ」だと思っていたが、警察および吉本は「アウト」の判定を下したのだ。

 私が推測するに、吉本側がここまで強硬に紳助に迫ったのは、他にも暴力団との疑惑がある芸人がいるからではないか。

 07年に吉本興業前会長・林裕章の未亡人・林マサが「新潮」に告発手記を書いたが、その中でマサは、漫才師・中田カウスが山口組5代目渡辺芳則会長と懇意にしていて、事あるごとにそれをひけらかし、吉本を牛耳っていると批判した。本人はそうした関係を否定したが、その後、カウスの乗っている車が何者かに襲われるなど、不可解な事件が起きている。

 昔から興業界と暴力団は持ちつ持たれつの関係にあること、相撲界と似ている。紳助引退騒動は、新たな騒動への導入部かもしれない。

 誌面には紳助がやりとりしたメールがズラッと載っている。大阪府警が作成した捜査報告書からの引用である。詳しくは「朝日」を読んでいただくとして、興味深いのは、紳助のメールにたびたび「自分は気が小さい」というフレーズが出てくることだ。

「昨日は精神安定剤のんでねました 弱いです私は すいません いつもたよってばかりで!」

「自分の気の小ささに やになります」

「気のよわい私は相変わらず下痢ですが」

 面白いのは、50歳になったとき、55歳で引退することを予感していたようなメールがあるのだ。

「そんな歳になるなんて夢にも思わなかった、一番したかった事してきます、好きな南の島巡り、リュックサック持って、宮古島、多良間島、石垣島と渡り私の店のテラスで夕陽見ながらカウントダウン待ちます いっぱい涙して、あと五年好きに生きます」

 心を許せる友が暴力団関係者しかいなかったことが紳助の悲劇かもしれない。今彼は沖縄にいるそうだ。”元ツッパリ少年”は芸能界を引退して静かな余生を送れるのだろうか。
(文=元木昌彦)

motokikinnei.jpg撮影/佃太平

●元木昌彦(もとき・まさひこ)
1945年11月生まれ。早稲田大学商学部卒業後、講談社入社。90年より「FRIDAY」編集長、92年から97年まで「週刊現代」編集長。99年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長を経て、06年講談社退社。07年2月から08年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(2006年8月28日創刊)で、編集長、代表取締役社長を務める。現「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催、編集プロデュースの他に、上智大学、法政大学、大正大学、明治学院大学などで教鞭を執る。

【著書】
編著「編集者の学校」(編著/講談社/01年)、「日本のルールはすべて編集の現場に詰まっていた」(夏目書房/03年)、「週刊誌編集長」(展望社/06年)、「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社/08年)、「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス/08年)、「競馬必勝放浪記」(祥伝社/09年)、「新版・編集者の学校」(講談社/09年)「週刊誌は死なず」(朝日新聞社/09年)ほか

マル・マル・モリ・モリ!

子役はナマモノ。

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最終更新:2013/09/11 18:14
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