姫路城は23円だった!? 国宝25城を網羅した『決定版 図説国宝の城』
#本
「ともちん(板野友美)のかわいさは国宝級」のように、国宝は幅広く使われている言葉だが、そもそも国宝とはどういった基準で定められているのだろうか。戦後まもなくの1950年、文化財保護法が成立。それまで国宝と定められていたもの(旧国宝)をすべて「重要文化財」とし、その中から「世界文化の見地から価値の高いもの」で「たぐいない国民の宝」たるものが、あらためて「国宝」として指定されることとなった。法的には国宝も重要文化財の一種となる。
現在、国宝指定されている城郭は、姫路城、松本城、彦根城、犬山城の4城であるが、旧国宝では名古屋城など24の城が国宝とされていた。『決定版 図説国宝の城』(学研)は、現・旧国宝の25城(住居として国宝指定された二条城を含む)を紹介した本だ。世界遺産として名高い姫路城、加藤清正が築城し、西南戦争の激戦地となった熊本城、沖縄・琉球王国のシンボル首里城など、北は北海道から南は沖縄まで、城郭ファン必見の国宝名城を完全網羅。城の由来や、城にまつわる逸話、城の構造、断面図など、各種データが仔細に記され、焼失以前の景観を残したモノクロ写真も数多く掲載されている。特に空襲で炎上する名古屋城の写真は貴重な一枚だ。
注目したいのが、第2章「国宝の城の維持管理」だ。明治維新後、維持費のかかる城を保持するだけの予算が新政府にはなく、1873年(明治6年)、廃城令が布告され、数多くの城が破却された。現在、世界遺産となっている姫路城は23円50銭(現在の貨幣価値にして約10万円ほど)というとんでもない安値で売却されている。その後、陸軍省によって買い戻された姫路城は、市民団体の働きかけもあって、寄付と国費によって保存工事が行われた。工事は大規模なもので、30年にわたり計82件に及んだ。戦時中は、黒い擬装網を天守全体にかけて空襲から守り、また天守を直撃した焼夷弾が不発となる幸運も重なり、奇跡的に焼失を免れた。空襲の翌朝、姫路城の無事な姿を見て、市民は涙したという。
街の中心にそびえ立つ城は、その街の人々にとって誇りであったに違いない。度重なる政変や戦争を経て、いまなお姿形を留める城は、街のシンボルを残そうとした先人たちの努力の結実であるのだ。そんなことを思いながら大手門をくぐれば、国宝の城もまた違った姿に映るだろう。
(文=平野遼)
小田原城は国宝じゃないのかね?
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