日本の被曝医療構造はピラミッド型? 切り捨てられる低線量被曝
#雑誌 #出版 #元木昌彦 #週刊誌スクープ大賞
第1位
「福島第一原発”最高幹部”が語るフクシマの真実(後編)『新工程表はデタラメ』」(「週刊朝日」7月29日号)
第2位
「被曝医療 市民の検査はできません」(「AERA」7月25日号)
第3位
「独占スクープ告白『わが子のオシッコからセシウムが出て』」(「週刊現代」7月30日号)
福島の子どもたちを夏の間だけでも北海道あたりへ「疎開」させる運動を、仲間と始めようと思っている。
これは先週(7月13日)、大阪・熊取にある京大原子炉実験所へ小出裕章氏を訪ね、話し合ったことがきっかけになった。
小出氏はかつて原発の平和利用に憧れを抱き、大学で原子力工学を学んだが、その後、原発の危険性に気が付き、現場に踏みとどまり、反原発の先頭に立っている人である。
小出氏の主張は一貫している。低線量でも人体には必ず影響がある。どんなにわずかな被曝でも、放射線がDNAを含めた分子結合を切断・破壊することは、これまで放射線の影響を調べてきた国際的な研究グループが認めている。
しかし、時間を戻せない以上、私たち大人は、放射線によって汚れてしまった環境の中で、汚染された食べ物を食べながら生きるしかない。
だが、放射線への感度が高い子どもたち、原発に何の責任のない子どもたちには、安全なものを食べさせてほしいし、できれば即刻、放射線量の少ないところへ避難させてあげてほしいと語った。私を見つめる目は「深刻」であった。
「現代」の記事は、福島市に住む子ども10人のオシッコを検査した結果、全員からセシウム134と137が検出されたことを受け、その親たちにインタビューしたものである。
この報を受けた斑目春樹原子力安全委員長や高木義明文科相は、健康への影響は考えられないと一顧だにしなかった。
政府のあまりにも無責任な対応に怒り、一人の親は、息子2人を兄の住む街に避難させることを決め、もう一人は、妻と息子を新潟の佐渡へ避難させた。
彼らが選んだ苦渋の決断は、多くの迷っている親たちに勇気を与えたはずである。
本来は、県や市町村、もっと言えば、国がやるべきことであるはずだ。しかし、権力争いに明け暮れるバカな政治家たちに期待しても無駄であろう。
そこで、まずは100人ぐらいの単位で、小学生以下の子どもを北海道へサマーキャンプに行かせ、思う存分自然と遊ばせてあげようという計画である。
苦しい避難生活ではなく、楽しい疎開生活をさせる。それがきっかけになって、多くの親たちが動き出し、国に疎開を求めていけば、いくら無責任な政治家でも動き出さずにはいられないはずだ。
親の世代や高齢者は、戦中のようにその場に踏みとどまり、放射能で汚染されたものを食べながら生き抜いていくしかない。それが原発を止められなかった者の責任と覚悟であると、小出氏から学んだ。
余談になるが、小出氏のところを辞する間際に、電話がかかってきた。そうした時間はないとすぐに切ったが、誰からですかと尋ねると、海江田万里経産相からだと教えてくれた。
面識はないと言う。菅直人に反旗を翻した海江田が、何用あって反原発のカリスマのところへ電話を寄こしたのだろうか。
第2位は、読んでいるうちに腹が立ってしょうがない「AERA」の記事である。
福島県二本松市の三保恵一市長は、独自に放射線量を測っている。原発事故発生当初は毎時5~8マイクロシーベルトもあり、最近は少なくなってはいるが、7月2日は毎時1.30マイクロシーベルトで、福島市や郡山市を上回っている。
悩んだ市長は、子どもたちの外部、内部被曝を調べ、どういう医療を施せばいいのかを検討するため、ホールボディカウンター(全身測定装置、WBC)で調べてもらおうと、福島県立医科大学付属病院に懇請したが、「一般市民の検査はできない」と、あっさり断られてしまったのだ。アメリカでは、被曝医療は感染症対策と同じように、普通の公衆衛生行政として扱われている。
拒否した理由は、日本の緊急被曝医療体制にあるというのだ。被曝医療は厚労省ではなく文科省の担当である。
現在のような緊急被曝医療体制が作られたきっかけは、1999年9月に起きたJCO東海事業所での臨界事故による。多量の放射線を浴びた作業員3人のうち2人が死亡した(この2人のうち、大量の被曝をした大内久さんの、83日間にわたる壮絶な闘病と医師の必死の救命活動を記録した、新潮文庫のNHK東海村臨界事故取材班の『朽ちていった命』をぜひ読んでいただきたい)。
この事故に狼狽した原子力安全委員会は、「緊急被ばく医療のあり方について」という報告書をまとめ、緊急被曝医療を担う医療機関を、初期的・救急的診察をする原発近辺の医療機関を1次にするなど3段階に分けたのである。
今回、診察を断った福島県立医大付属病院は2次機関に位置付けられ、断った理由は、原発構内の高線量被曝者や半径20キロ圏内での警察や消防関係者への対応が役割だからだというのだ。
先の報告書では、放射線によって健康不安を抱く住民への精神的ケアを施すことを促してはいるが、低線量被曝は緊急医療の対象とはしないという原則が明確にされていると、記者は追及している。
さらに、低線量被曝を切り捨て、ピラミッド型の被曝医療構造を文科省に置いたままにしたのは、原発推進派に都合のいい被曝医療体制の構造作りに医学界が協力したのだと言及している。
それは今回のように、大人口が被曝し、医療需要が極端に膨れあがったら、その騒ぎだけで反・脱原発の機運を高めることになる。そのことを恐れてのことだろうと推測している。
数千人以上の被曝者に接してきた肥田舜太郎氏は低線量被曝についてこう語っている。
「微線量でも障害が生じる可能性があることは、海外の医学界の常識です」
こうした医学界ぐるみの原発擁護と重大な情報の隠ぺい体質が、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)のデータ一時隠ぺいや、年間20ミリシーベルトの被曝まで許容するという許し難い校庭利用基準が、文科省から福島県側への通知だけで事足れりとすることに表れているのである。
これほどの事故が起こっても、いまだに原発を守り、東電を存続させようと画策する、政治家、官僚、財界の悪のトライアングルを破壊しない限り、福島の住民はもちろん国民の健康は顧みられることはない。
今週も第1位は、「朝日」の「最高幹部が語るフクシマの真実」の後編である。
前編がきっかけとなり、他のメディアも福島第一原発の現状や、工程表のいい加減さを競って取り上げている。
今回は、東電が4月19日に発表した工程表は、現場の意見を無視したものだったということが明らかにされる。フクイチの現場からは1年半というスケジュールを出したのに、これでは菅総理が納得しないと本社が9カ月に短縮してしまったのだ。
現在の作業を妨げている最大の要因は、汚染水。もし核燃料がメルトスルーしているならば、汚染水は非常な高濃度になっているから、チェルノブイリで日本の技術がしたように、地下にトンネルを通し、セメント、ベントナイト(粘土鉱物)などを注入して固めてしまう方式にしたいが、国土交通省と経産省の連携がうまくいかず、適切な対応策が講じられていないという。
さらに1~4号機から白い煙が出ている。あれは水蒸気だが、その「湯気」の中にはやはり、放射性物質が含まれていると言っている。
また、3月11日午後3時36分に1号機で水蒸気爆発が起きたが、その後の政府の避難指示のやり方が拙かったと率直に話す。
「現場ではもっと広い範囲、少なくとも半径50キロは避難していると思った。(中略)避難範囲が半径30キロ圏内と聞いたときも、『大丈夫か?』と思ったのが正直な印象ですね。(中略)爆発が相次ぐ中、当時私自身、半径30キロどころか、青森から関東まで住めなくなるのではないかと思ったほどです。本社と政府の話し合いで決まったんだろうけど、余震の危険性などを考えれば、最低でも50キロ、万全を期すならば半径100キロでも不思議はなかった。(中略)いま原発は何とか安定していますが、放射性物質がかなり飛散しているのが実態です。避難地域の見直しが必要だと思います。実際、もう半径20キロ圏内は戻れないと、そろそろ発表してもいいんじゃないか。子どもたちが学校に通うのは無理です。最初からもっと広範囲で避難させていればと悔やまれます」
最高幹部は、フクイチから上げられる膨大な量の情報のうち、国民に公表されているのはその10%、いや、1%かもしれないというのである。
現場と本社は衝突ばかりで、情報公開を巡り、本社幹部は、「そんな情報が保安院や政府に分かると、大変なことになる」と言い放ち、最後にこう言ったそうだ。
「私の立場や出世はどうなるんだ。キミは分かっているのか!」
原発を担当してきた官僚たちの責任追及、東電解体をしてからでなくては、脱原発、再生可能ネルギー政策を考えるわけにはいかないと、私は思うのだが。
(文=元木昌彦)
●元木昌彦(もとき・まさひこ)
1945年11月生まれ。早稲田大学商学部卒業後、講談社入社。90年より「FRIDAY」編集長、92年から97年まで「週刊現代」編集長。99年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長を経て、06年講談社退社。07年2月から08年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(2006年8月28日創刊)で、編集長、代表取締役社長を務める。現「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催、編集プロデュースの他に、上智大学、法政大学、大正大学、明治学院大学などで教鞭を執る。
【著書】
編著「編集者の学校」(編著/講談社/01年)、「日本のルールはすべて編集の現場に詰まっていた」(夏目書房/03年)、「週刊誌編集長」(展望社/06年)、「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社/08年)、「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス/08年)、「競馬必勝放浪記」(祥伝社/09年)、「新版・編集者の学校」(講談社/09年)「週刊誌は死なず」(朝日新聞社/09年)ほか
放射能の恐ろしさ。
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