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【震災3カ月】「防災対策庁舎は保存すべきか?」津波被害の宮城県南三陸町 現地レポ(3)

mnmsnrk01s.jpg震災3ヶ月目の6月11日に、防災対策庁舎の前で
黙祷をする町民たち。既に「震災の象徴としてモニュメント化して
いる」(町民)との声も多い。(クリックすると画像が大きくなります)

 3月11日の地震と津波で甚大な被害を受けた宮城県南三陸町。同町役場では地震直後、危機管理課の24歳の女性職員が、防災無線で津波到達の寸前まで避難を呼び掛け、自らは津波に流されて命を落とすという悲劇が起こった。この事実はテレビや新聞で報道され、女性職員が死の直前まで放送を続けた防災対策庁舎の”残骸”の映像が繰り返し全国へ流されることになった。

mnmsnrk02s.jpg復興が待たれる震災後3カ月を迎えた宮城県南三陸町の現状。奥右
に見える四角い建物が災害対策庁舎(クリックすると画像が大きく
なります)

 震災時にはこの庁舎の3階にいて、自身も建物の手すりにしがみついて一命を取り留めたという佐藤仁町長が、「私個人としては」との前提で、「この庁舎を残すことは震災を後世へ、心に残す方法だと考えている」と、保存に前向きな発言。これを機に町民の間では、庁舎を「防災モニュメント」として残そうという動きが起こっている。一方、「見るたびにつらくなる。早く壊して」との声も少なくなく、町民の間でも保存か解体かで意見が分かれているようだ。

 その庁舎は現在、赤錆びた鉄骨の骨組みだけが残り、津波で流されてきた魚網や瓦礫をまとわりつかせながら、焼け野原のように荒涼とした大地にたたずんでいる。外壁がすっかり破壊されてしまったため、外からは倒壊した什器や事務机、防災用の機械類などが見える状態だ。正面入り口には今も献花がたえず、震災3カ月後の6月11日には、何組もの町民が訪れて手を合わせ、僧侶を伴い経を唱えてもらう町民の姿も見られた。

 いきおい、取材陣にとっては”象徴的な”絵が撮れる場所でもあり、6月11日にはNHKはじめ民放各社のカメラクルーが早朝から待機し、町民が献花に訪れると一斉に動きだして撮影を開始するという光景が見られた。この建物がさまざまな意味で、今回の震災を象徴する存在であることは確かなようだ。

mnmsnrk03.jpg献花に訪れた遺族とそれを撮影する報道陣

 そんな中、震災から3カ月が経過した今、町民は庁舎の保存をどう思っているのだろうか。現地で声を拾ったところ、ある20代の男性は「年が上にいくほど残そうという声が多い。若い世代は早く解体して次へ進もうという空気が強い」(20代男性)と言い、その割合については「正確なアンケートはされてないけど、役所の友人から聞いたところでは半々くらいらしい」(40代男性)、「仲間内の話では6:4で『残すべき』が多いという印象」(40代男性)とさまざま。年代や置かれた立場により意見は分かれるが、一定数の町民が「なんらかの形で後世へ残そう」と考えていることは確かなようだ。以下は、ある男性町民の声。

「自分は55歳。南三陸町の志津川(地区)で育ったこの年代の人間は、チリ地震津波、宮城県沖地震、それに今回の震災と、大規模な津波を3回も経験している。規模の比較的小さい津波を含めたら50回、あるいはもっとだと思う。だから、若い人と比べて津波の怖さは身に染みている。過去の経験の蓄積を伝えてきたけど、それでも全然ダメだったじゃないかという悔しさはある。それだけに、津波被害を風化させないという気持ちは、どうしても若い世代より強くなると思う」

 実際、議論されている防災対策庁舎は、「一般基準の125%の強度で設計されていて、自家発電装置も3階に置くなど、配慮はされていた」(町関係者)といい、さらに町では詳細な解説が付された「ハザードマップ」を全戸配布し、「過去の津波の浸水実績をもとにした避難所や避難経路、水門、防波堤などの整備を進めてきた」(同関係者)ともいう。100年に一度の巨大津波とはいえ、こうした取り組みが必ずしも十分に効果を発揮しなかったことへの悔しさが、中高年層には特に強いということなのだろうか。

 もっとも、「保存派」の中にも「なにも広島の原爆ドームみたいに全部残さないでも」という意見はあるようだ。別の30代の男性は、「なんらかの形では残すべき」と言いつつ、「鉄骨の一部を高台の公園にモニュメント化して残すことで、津波の悲惨さと防災の重要性を後世へ残すという目的は果たせる。それが現実的で合理的」と提言する。

 折しも、前述の亡くなった女性職員の両親が、このほど仮設住宅への入居を辞退。その理由を「仮設住宅から防災庁舎が見えてつらいから」と説明したことが現地紙で報じられた。「そういう人たちの気持ちも配慮すべき」(50代女性)と、”原爆ドーム式保存”に疑問を呈する声も少なくない。

 残すべきか、壊すべきか。同じ町民でも思いはさまざまだ。同町震災復興推進課では、「あくまで震災復興基本方針に基づきながら、今後の地域懇談会などで住民の声を吸い上げて決めていきたい。具体的なことはまだ何も決まっていない」としている。
(文=浮島さとし)

報道写真全記録2011.3.11-4.11 東日本大震災

この目に、焼き付けておく。

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最終更新:2013/09/12 20:51
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