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日刊サイゾー トップ > 社会  > 【震災3カ月】「津波の恐怖は一生忘れない」津波被害の岩手県・陸前高田市 現地レポ(2)

【震災3カ月】「津波の恐怖は一生忘れない」津波被害の岩手県・陸前高田市 現地レポ(2)

rkzntkd02_001.jpg眼下を走る国道とは約8mの高低差があるが、津波は「すぐ足元まできた」。
かつて家屋が建ち並んでいた場所には今、スクラップになった自動車が積まれている。

 岩手県陸前高田市に住む秋山博一さん(仮名・46歳)は、3月11日の大震災以降、4月11日、5月11日という”節目”に、当時を思い出して不安感に襲われたという。

「夢に見るとかいう話はよく聞くけど、自分の場合は昼間、普通に生活をしていて急に不安になったりした」

 精神科医の香山リカ氏は、震災から1カ月が経過したころ、こうした心理状態について毎日新聞の連載「ココロの万華鏡」で次のように書いている。

「1カ月前のあの日のことが生々しく思い出され、恐怖、悲しみが再び襲ってきた、という人もいるのではないだろうか(中略)。大きなできごとから1週間、1カ月、1年など節目節目のときに、感情が激しく揺れてしまう。これは、精神医学の世界で『記念日反応』と呼ばれる現象で、それ自体は異常でも病気でもない」

 「記念日反応」とは一般にPTSDにおける反応のひとつとされ、家族や大切に思っている友人の命日などに気持ちが大きく落ち込んでしまうような現象を指す。秋山さんの症状がそれに相当するかは断定できないが、震災後の4月11日や5月11日の前後に、こうした心理状態に陥ったという声は、ブログやTwitterを介して多くの国民が吐露しているところだ。

rkzntkd02_002.jpg今回の震災では6つの「道の駅」が被害を受
けたが、国交省によれば「壊滅状態(再開困難)
が4つあり、陸前高田市の「高田松原」はその
1つに含まれている。

 こうした中、3回目の”節目”である6月11日を迎えた秋山さんは、数日前からやはり似たような不安感に包まれているという。

 津波のトラウマに悩む秋山さんの自宅は、かなりの高台にある。眼下を走る国道との高低差は約7~8メートル、海岸線からの距離も3キロ以上はある。にもかかわらず、津波は「すぐそこまで来た。あの恐怖は忘れない、もうダメだと思った」。

 見晴らしのいい場所として”自慢”だった家。しかし、そこから見えた”その時”の光景は、音をたててうねり、濁り、猛り狂う波だった。あり得ない光景を目の当たりにしながら、秋山さんは自分の頭がおかしくなったかと真剣に思ったという。

 幸いにも波は家屋まではギリギリ届かず、家族も全員が無事だったという秋山さんは、津波が引いた後は地元の消防団OBとして復旧作業を手伝った。かつて自分も通った小学校の体育館には大量の遺体が毎日運ばれ、その中に知った顔を見つけるたびに涙を流す日が続いた。

「若く経験値が低い団員も多く、連日死体を見てふさぎ込むようになったやつもいた。人間っていうのは思った以上に弱い。この3カ月はみんな本当に必死だった」

 宮城県気仙沼市に職場があった秋山さんだが、この震災の影響でその会社も休業状態。当面の収入が絶たれたことで厳しい生活を余儀なくされている。

「まぁ、それでも借金がなくてよかった。それだけで生きていけると思える。もっとも、貯金もほとんどないけど(笑)」

 震災以降の時間は、その時の精神状態によって「やっと3カ月」とも、「もう3カ月」とも感じられる。いずれにせよ、これからの3カ月もそうして時間が過ぎていくのだろうと考えている。秋山さんが言う。

「津波の恐怖もどうせ一生忘れることができないだろうし、これからもその思いを持ちながら我々は生きていくしかないと、最近ようやく覚悟を持てるようになった。なにより、家族の命が助かっただけで十分と思わないと」
(文=浮島さとし)

心に傷をうけた人の心のケア

こちらも早急に対応願います。

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最終更新:2013/09/12 21:04
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