「ご先祖様に会ったときに恥ずかしくないように」被災地で死者に語り掛ける納棺師
#雑誌 #出版 #元木昌彦 #週刊誌スクープ大賞
第1位
「石川遼『無免許運転2カ月』なぜ見逃された」(「週刊文春」6月16日号)
第2位
「被災地の納棺師」(「週刊ポスト」6月24日号)
第3位
「スクープ 原発から60km人口29万人福島市内が危ない」(「週刊現代」6月25日号)
私の友人が緊急開発した「安心生活」という放射線測定システムがある。テレビ、新聞などでもずいぶん取り上げられたから、ご覧になった方もいるかもしれない。
これは10秒ごとに正確な放射線量を測定し公開表示、誰でも見ることができる。また、5分間隔で24時間計測した場合、計測データは2,000日分蓄積でき、累積放射線量の測定表も簡単につくれる。
このシステムは、5月末から6月初めにかけて、福島市、飯舘村、伊達市、南相馬市に設置された。6月下旬からは東京都庁周辺にも設置されるという。
福島市長は、設置することを大変喜んでくれたそうだが、大いなる悩みもあると打ち明けたそうだ。
それは、文科省が毎日発表する福島市の放射線量は、見事に年間20ミリシーベルトを越さない数値で推移しているが、市独自で測ったら、場所によっては20ミリシーベルトをはるかに超える数値になっているからだ。
この公開システムを設置することで、住民がその数値を自分の目で確認できるから、これ以上は隠しようがなくなる。しかし30万人近くがいる福島市の住民がすべて避難できる場所などあるだろうか。
設置したのは市庁舎前の植え込みの中で、高さは幼い子どもと同じぐらいの地上から50センチ。市長の言っていた通り、放射線量は年間20ミリシーベルトを超える数値が出て、連日、それを見ようと市民の人だかりができた。
友人によると、都庁前の植え込みの中でも、かなり高い数値が出たそうだ。今週の「朝日」と「AERA」が広範囲にわたる放射能汚染地図を特集しているが、東京でも葛飾区、足立区、江戸川区などの一部地域で、高い数値が出ていると報告している。
3位は、その福島市内が危ないという「現代」の記事。6月7日に、国際環境NGOグリーンピースが主体となって緊急調査が市内で行われた。
それによると、市役所から車で5分ほどの公園の盛り土から毎時6.3マイクロシーベルト。公園の隅の枯れ葉の固まりからも毎時4.2マイクロシーベルト。トイレ裏の雑草で毎時9.1マイクロシーベルト、入り口の排水路では毎時12.5マイクロシーベルトという高い数値が出たというのだ。
さらに、この公園ではセシウム134、セシウム137に加えてコバルト60も検出されている。
原発から60kmも離れた福島市でコバルトが検出されたのは、原子炉のメルトダウンで放出されたことを証明するものだと、九州大学特任教授の工藤和彦氏は言っている。
私立保育園「こどものいえ そらまめ」の正門周辺では、毎時19.6マイクロシーベルトを計測しているという。
グリーンピースのクミ・ナイドゥ氏は、「いまフクシマは、親が住むのに世界で一番つらい場所かもしれない。誰もサポートしてくれない。子どもに何もしてやれない」と語る。
もはや自主避難しかないと「現代」は書くが、今の政府の方針では、自主避難では原発補償の対象にはならない。しかも29万人全員ではなくても、例えば10万人が避難できる所などどこにあるのだろう。
永田町は、ポスト菅をめぐるバカとアホウの駆け引きがヒートアップしているようだが、そんなくだらないことは即刻やめて、日々刻々放射能を浴びている子どもたちを守るために、早急に手を打つべきだ。それとも永田町を福島に移して、放射能の恐怖を実体験しながら対策を考えさせれば、わが事として考えるようになるかもしれないが。
どちらにしても、国民の多くはポスト菅などに関心はない。
2位は、ノンフィクション作家・石井光太による被災地の納棺師の話。納棺師といえば映画『おくりびと』で一躍その存在を知られたが、これは岩手県釜石市に住む納棺師・千葉淳についてである。
石井氏は、被災地で遺族や遺体と出会うたびに、津波で命を落とした者たちの弔われ方が気になっていた。そのころ、千葉と知り合い、それならば僕の仕事を手伝ってみないかと言われたそうだ。
千葉は3年ほど前に葬儀社を退職して年金暮らしをしていたが、今は依頼があるときだけ納棺師として働いている。
廃校になった旧釜石第二中学校の体育館が遺体安置所になったとき、多くの遺体の取り扱いや葬儀社との交渉を、経験がある自分にやらせてくれと市長に申し出たのだ。
彼は死後硬直した遺体を、「腕や関節を揉み解して柔らかくしたり、それでも入りきらないときは棺を替えたり、向きを変えて袋に入れなければならない」が、千葉はそうするときも必ず遺体に語り掛け、こうささやくという。
「もうちょっと頑張って腕を伸ばそう。旅立つ前に着替えた方がすっきりするからな」
ある女性と亡くなった母親との話が出てくる。彼女が遺体と対面したのは、津波が起きてから1週間以上経ってからだった。時間と気温のせいで少しずつ腐敗が進み、褐色の斑点が皮膚に浮かび上がってきていた。
彼女は母親の遺体をしばらく見つめた後、自分の化粧道具を取り出して、このままの顔ではあまりにも寂しいから、お母さんに化粧をしてあげてくれないかと、千葉に頼んだ。
千葉は化粧をしながら、こう語り掛けた。
「最後にきれいにしてあげるからね。あなたの気に入るようにはできないかもしれないけど、精いっぱいやるから我慢してね。あの世でご先祖様に会ったときに恥ずかしくないようにきれいになるんだよ」
そうして化粧を終えると、千葉は化粧道具をお棺の中に入れるよう提案した。もしやり残した個所があれば、あの世で存分にお化粧するようにと声を掛けながら、それを入れた。
千葉の次の言葉が重く響く。
「遺体は誰からも忘れられてしまうのが一番つらい。だからこそ、僕を含めて生きている者は彼らを一人にさせないようにしてあげなきゃならないんだ」
千葉のような納棺師に送られた死者たちは、少し慰められ、旅立っていったのではないか。6ページだが、もっと読みたくなる、いいノンフィクションである。
今週の第1位は、17日(日本時間)から開幕する全米オープンを前にして、我らが石川遼に降り注いだ、「文春」発のスキャンダル。
大筋はこうだ。今年の2月5日から渡米し、マスターズなど6試合に出場したが、その時に石川は、現地の免許と国際免許を取ったのだそうだ。
4月12日に帰国してからは、自分で運転してゴルフ場へ来る姿がよく見られるようになった。だが、これが無免許運転だというのだ。
その理由は、海外で取得した免許には以下のような条件があるからだ。
「日本人が海外で国際運転免許を取得した場合、道交法により、3カ月ルールが適用されます。つまり、免許取得時の渡航が3カ月未満の場合、その国際免許は無効となり、日本国内で運転すると無免許運転になります」(警察庁交通局)
石川のアメリカ滞在は2カ月と少し。しかし、これを知って記事を書こうとした記者に、豪腕パパの勝美氏が「書かないでくれ」と連絡してきて、初めその記事は出なかった。
石川は「文春」が出た後、アメリカで会見をして無免許運転のことを謝罪した。だが、父親の圧力で記事を書かなかったゴルフ記者も情けない。
大相撲、野球、サッカー、競馬、ゴルフなど人気スポーツでは、事件化しない限り、そこに所属する記者クラブの記者たちは、内部のことや選手を批判する記事は書かない。ようやく20歳になろうかという若い石川には、まだまだ覚えなければいけない世の中のルールが多くあるはずだ。それを教えず、ただチヤホヤしているだけでは、中年おばさんたちの遼ちゃん応援団と同じではないか。
やはり、そうしたことができるのは週刊誌しかない。そう思わせる記事である。
(文=元木昌彦)
●元木昌彦(もとき・まさひこ)
1945年11月生まれ。早稲田大学商学部卒業後、講談社入社。90年より「FRIDAY」編集長、92年から97年まで「週刊現代」編集長。99年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長を経て、06年講談社退社。07年2月から08年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(2006年8月28日創刊)で、編集長、代表取締役社長を務める。現「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催、編集プロデュースの他に、上智大学、法政大学、大正大学、明治学院大学などで教鞭を執る。
【著書】
編著「編集者の学校」(編著/講談社/01年)、「日本のルールはすべて編集の現場に詰まっていた」(夏目書房/03年)、「週刊誌編集長」(展望社/06年)、「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社/08年)、「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス/08年)、「競馬必勝放浪記」(祥伝社/09年)、「新版・編集者の学校」(講談社/09年)「週刊誌は死なず」(朝日新聞社/09年)ほか
最期に。
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事