うつ病増加の一因!? 現代人が陥った「空虚な承認ゲーム」って何だ?
#本 #インタビュー
2008年6月、東京・秋葉原の歩行者天国にトラックが突入し、通行人ら17人を殺傷した事件は記憶に新しい。せんだって一審で死刑判決が出た事件の被告人は、インターネット上の掲示板に頻繁に書き込みをすることで、インターネットの世界でだけでも”承認”を求めていたのではないか? という議論があった。
そんな、現代にまん延していると言われる承認不安を真正面からとらえ、フロイトらを援用しながら現代の承認欲求への処方せんまでを考察したのが、批評家・山竹伸二氏の『「認められたい」の正体 承認不安の時代』(講談社)だ。今回、山竹氏に、学校や会社などで行われている”空虚な承認ゲーム”について聞いた。
――”承認”に関しての本を執筆しようと考え始めたのは、いつごろですか?
山竹伸二氏(以下、山竹) 最初は、承認に関する本を書く予定ではなかったんです。もう少し倫理的な問題、道徳哲学的な本を書きたいと考えていました。
――具体的に道徳哲学の中でも、どんなことを書きたいと思っていたのですか?
山竹 道徳哲学といっても堅い道徳の議論というよりは、人間の実存的な悩みに結び付くようなものが最初のモチーフとしてありました。要するに、正しいことをしなければいけないとか、困っている人を助けなければいけないというのが一般的な道徳の議論ですが、正しいことをしなさいと言われるだけでは、なかなか人間は動きません。しかし、何か善い行いをして、他人や仲間、社会などにそれを認めてもらう。単純なことですが、そういう部分が確保されていれば、人間は善い行いができる。そう考えると、やはり承認という問題が大きいのではないかと考えました。
――本書の中で出てくる「空虚な承認ゲーム」とはどのようなものですか?
山竹 例えば、仲間の承認を得るために、自分の本音を抑えて仲間の言動に同調するような態度を取ったり、リーダー格の人間の気分を敏感に察知して、場の空気を読み、絶えず仲間が自分に求めている言動を外さないように気を使う、というような行為がありますよね。価値のある行為によって認められるわけでも、愛情や共感によって認められるわけでもない。つまり、空虚な承認ゲームとは、その場の空気に左右される、中身のない承認をめぐるコミュニケーションのことです。
――それは、現代に特有なものですか?
山竹 現代に特有というものではなく、昔からあると思います。一般的に身近な人間に受け入れられたい、そのためにやや同調しがちになったり、自分の意に反して同調して、相手の意に沿うような行動をしてしまうことは昔からあるわけです。
――よく言われますが、昔は宗教やいわゆる大きな物語により、社会規範や価値観がしっかりしていた。
山竹 身近な宗教グループの内で、人間関係の齟齬があっても、一方で、教義や神を信じて、それに準じた行動をすれば神の承認を得られるわけです。そして、そのことで身近な人たちから多少仲間外れにされたとしても自分が間違っているわけではないという、自分の存在価値を確保できる。
――翻って現代は「空虚な承認ゲーム」が横行している?
山竹 現代の方が増幅しやすい条件が揃っていると思います。今の時代は中心的な価値観が非常に揺らいでいる。はっきり言ってしまえば、中心的な価値観がない相対主義の時代です。そういう時代になると、自分がどうすれば、何を拠り所にすれば、承認されるのかがわからない。社会の中で規範がしっかりしていて、価値観も共有されていれば、その価値観や社会規範に準じた行動をすれば大抵の人は承認してくれるわけですが。
――そうした「空虚な承認ゲーム」の横行が、自殺者やうつ病患者の増加につながっているのでしょうか?
山竹 それは大いにあると思います。うつ病になりやすい人には特有の性格がある、と昔から言われています。それは、生まじめ、几帳面、人に配慮する、夜遅くまで残業し、休日出勤を繰り返す、何かをもらえば必ずお返しをする、というような一見すると何の問題もない、とても良い人なんです。これは、テレンバッハが主張したメランコリー親和型という性格類型ですが、私なりになぜこのような性格の人がうつ病になりやすいかを考えると、夜遅くまで残業をして、休日出勤を繰り返さないと、自分は認められないんじゃないかという不安が根本にある可能性が高いと思います。
――具体的に言いますと?
山竹 一生懸命働いて業績を上げなければ、周りは自分を見放してしまうんじゃないか、認めてくれないんじゃないかと。そういう強固な思い込みがあって、そこから抜け出せない。他者への配慮も同調主義に近いものがあります。過剰な配慮をしてしまうのは、これをやっておかないと相手に変に思われてしまう、という不安感があるのです。でも、そんなことを繰り返していると疲弊してきます。疲れて、どこかでダウンしてしまう。それまでは、強迫的にその不安を回避しようと行動していた。ところが、実際にそんなことをしていると能力的にも仕事の質的にも低下してくるし、対人配慮もできなくなる。もともと自分に対する要求水準が高いので、少しでもできなくなると、どんどん後ろめたくなる。それでうつ病になってしまう。
――お話を聞いていると、現代は一見すごく自由だと思うのですが、「空虚な承認ゲーム」の枠内だと心理的に自由ではないように思えてきました。
山竹 空虚な承認ゲームの中であれば、与えられるものは、自由ではなく、苦しさですよね。おかしなことに、社会は昔より自由になっているはずですが、実際には自由を感じられない。これを私は「自由と承認の葛藤」ととらえています。先ほども言った話につながりますが、あまり自由でなかった時代、宗教的な時代では、宗教的な規範や価値観でがんじがらめだったわけです。少しでも違うことを言えば抑圧されるような不自由さがあった。しかし、逆に宗教的な規範や価値観通りに行動していれば承認は維持されるわけで、承認不安はないわけです。もっと言ってしまえば、アイデンティティーの不安もあまりない。生まれながらにしてやることは分かっているし、何をすれば認められるかも分かっている。決まった役割以外は許されないし、そういう役割として生まれて死んでいくわけなので、自分が何者なのかという問い自体あまりないですよね。
――今の時代だと、アイデンティティー不安などがあります。
山竹 近代になって、自由に生きることが可能な時代に少しずつ移行してきた。しかし今度は、自分はどうしたらいいのかという迷いが出てくる。それは単に自分が何をすればよいのか分からないという悩みではなく、どうすれば認められるのかということが複雑に絡んでいる問いなのです。世の中、自分のしたいことをしていいけれど、自分が思った通りにやると批判されるんじゃないか、でも認められたい。それは非常に強い葛藤を生むわけです。これをやると承認されない、これをやると承認されるけど自由がないという、このせめぎ合いが近代になって生まれてきました。
――出版後の反響はいかがですか?
山竹 承認の概念を大きく変えるものではないか、と言ってくださる方もいましたが、まだ出版したばかりなので、今後の評価を楽しみにしています。
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社会は昔より自由になっているが、承認ゲームの中では自由にはなっていないという山竹氏の指摘が、とても面白く新鮮に感じた。承認不安を抱いている読者の方も多いと思う。自らを客観的に見直すためにも、一読をお勧めする。
(文=本多カツヒロ)
●やまたけ・しんじ
1965年広島県生まれ。学術系出版社の編集者を経て、現在、哲学・心理学の分野で批評活動を展開。大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター客員研究員。著書に『「本当の自分」の現象学』(NHKブックス)『本当にわかる哲学』(近刊、日本実業出版社)『フロイト思想を読む』(竹田青嗣氏との共著、NHKブックス)などがある。
つーか、褒められたい。
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