トップページへ
日刊サイゾー|エンタメ・お笑い・ドラマ・社会の最新ニュース
  • facebook
  • x
  • feed
日刊サイゾー トップ > カルチャー > 本・マンガ  > 調査して分かった「英語を話したがる女性」と、日本的男女差別の実態
話題の書『英語は女を救うのか』北村文氏インタビュー

調査して分かった「英語を話したがる女性」と、日本的男女差別の実態

onnnaeigo.jpg『英語は女を救うのか』(筑摩書房)

 大多数の日本人にとって、英語は近いようで遠い存在である。中高6年間、英語を勉強したのにまったく話せない。そうした危機感を煽るように、電車に乗れば英会話スクールの広告を目にするし、書店に行けば英語の教材であふれている。

 さらに、英語を話せるようになれば給料も上がるし、カッコイイし、異性にモテるのではないか。男性である筆者は、そうした幻想を少なからず抱くが、英語習得への欲求が男性に負けず劣らず強いとされる女性の場合はどうなのか? 英語を身に付けた女性たちの心理とは?

 そんな疑問に応えてくれるのが、英語にかかわっている36人の女性にインタビューをし、社会学的に考察した『英語は女を救うのか』(筑摩書房)である。著者は、明治学院大学で英語の専任講師を務め、社会学者でもある北村文氏だ。今回、北村氏に”英語と日本女性の関係”をテーマに話を聞いた。

――北村さんはハワイに留学の経験もあり、現在は明治学院大学(以下、明学)で英語の講師として教鞭を執っていますが、この本を書くキッカケはそんな経験からですか?

北村文氏(以下、北村) 私が英語を大学で教え始めたのが2007年で、そのころから英語と女性の関係について考察しようというアイデアはありました。普段、大学で私は学生にすごく厳しいんです。そんな中でも、明学は女子が多いというのもあるんですが、私になついてくれる学生は女子ばかり。その子たちは「先生みたく英語を話せるようになりたい」と言ってくれる。そう言われてものすごくうれしいのですが、その反面、自分がこういう影響を及ぼす立場になったことを実感しました。世の中には、「女性は英語をできるようになりたがっている」という言説があふれていて、学生の中にもTOEICやTOEFLの学校に行って、大金を使ってしまった子もいる。私一人が英語の教員として「英語ができるようになるためには、大金を使ったりする必要はないよ」などと言っても、なかなか世間に浸透しないと思い、この状況を社会学的に見ていこうと執筆しました。

――私自身の経験や周りを見回しても、女性で英語が得意な人は多いですし、ワーキングホリデーや語学留学に行くのも女性が多いという印象があります。そこには何か要因があるのでしょうか?

北村 一般的には、日本社会は女性が能力を生かせる場所が少ないから、英語という下駄を履くと良い、ということが言われています。社会学者の仕事としては、そうした背景にある社会的要因を、いろいろな変数を使って統計的に考察すべきなのかもしれません。でも、私はそういうやり方が苦手で、個々の持っているライフストーリーの中に何かがあるんじゃないか、そう思って今回も多くの女性にインタビューをしたのですが、してみたら、女性たちは必ずしも一般的に言われているように、英語という下駄を履くことで仕事や人生の幅を広げているだけではないということが分かりました。

――確かに、日本の社会はいまだに女性に対して差別的だと思います。その中で、女性が仕事でやりがいを感じたり、出世をしたり、名誉を得たいと思ったりする時、英語はひとつのツールとなるのでしょうか?

北村 今回インタビューした女性の中には、フリーランスで翻訳の仕事をしている人が多かったのですが、そのうちの一人が言うには、「翻訳の仕事は末端の仕事」でしかなく、「重要なビジネス上の決定や交渉は男性がしている」と。彼女たちは、その周りの仕事を与えられているだけで、それが充実感や名誉につながるかといえば全然そうではなく、完全に黒子なわけです。その意味では、身に付けるのに時間やコストを要する割には、英語は使い勝手の悪いツールにとどまっているのではないでしょうか。ただ、コピー取りとデータ入力だけよりはましかもしれない。日本の中で英語を使って仕事をしていると言えば、「カッコイイね」とも言われますしね。

――また、本書の中で「英語にはジェンダー化されたイメージがある」と言っています。もう少し具体的に説明していただけますか?

北村 本書の中で、シェーン英会話の広告を取り上げていますが、その広告にはビジネスマン風の男性と主婦/OLといった感じの女性の写真があり、男性は「TOEICのスコアアップ」が打ち出され、女性は「わたしもはじめた!英会話」となっています。これがジェンダー化された英語のイメージを如実に表していると思います。男性にとっては、たくさんあるビジネスツールのうちのひとつでしかなく、それがなくても他のステップアップのツールや手段がある。でも、女性にとっては、それにすがるか、夢を見させるようなうっとりさせるようなイメージが常にあり、メディアがそれを増幅させていると思います。男性誌で英語の特集はあまり見ないですし、あったとしてもビジネスで使えるフレーズ集だったりしますよね。

――最近のビジネス誌だと、中国語が多いですね。

北村 なるほど、まさにそうだと思います。しかし、女性誌では「an・an」(マガジンハウス)が年に1回英語の特集を組んでいるほどです。私がバックナンバーを取り寄せようとしたら、売り切れていました。役に立つから売れるわけではなく、見ていて気持ちが良かったり、夢を抱かせてくれるから売れるのだと思います。

――夢を抱かせるような、ロマンチックな英語のイメージは、具体的に女性にどういう影響を与えていますか?

北村 メディアが夢を抱かせるようなイメージを発しているからといって、女性たちがすぐに英語に飛び付くかというのは別の次元の話です。やはり、送り手と受け手の思いが一致しないことが多いのではないでしょうか。私はメディアが勝手に煽っているだけで、女性たちはもっと冷ややかに見ていると思うんです。例えば、美容室などで雑誌を渡されて、つかの間を楽しんで閉じたらもう終わりで、自分の生活に戻っていく。その意味で消費者としての女性は、そんなに馬鹿ではないと思っています。

■ビジネスの現場でもめちゃくちゃの英語が氾濫中 !?

――世間では楽天やユニクロが社内で英語を公用語とするというニュースが注目を集めたり、会社によっては昇進の際にTOEICのスコアが求められたりする時代です。これらの企業に学生を送り出す側、大学の先生としてこのような傾向はどう思われますか?

北村 企業がグローバル化したら、日本語だけでやっていくのは難しいのはしょうがないというのはあります。ただ、英語を公用語として使う会社と昇進の条件として使う会社では状況が違うと私は思っています。昇進の条件として使う会社の中には、実際に海外出張がないのにTOEICのスコアを求めるところがあります。そういう会社は、「この人は本当に会社が求めるものにしっかり合わせて努力をするのかどうか」を見ていると思います。

――それはTOEICでなくても、例えば簿記の試験でもいいわけですよね?

北村 ただ、簿記のように等級ごとより、TOEICの方が点数にグラデーションが出るので分かりやすいという側面があるのではないですかね。

――企業がグローバルに展開すると、もちろん英語がネイティブでない人と話す機会が多くなりますね。例えば、インドや中国の人とでも英語で話すわけですが。

北村 おそらくそこで使われる英語はアメリカ英語でもイギリス英語でもなく、Pidgin(ピジン)英語になると思います。Pidginというのは、アメリカなどで移民の人たちが移民コミュニティーで使っている、すごくブロークンな簡単な英語です。実際にインタビューした中で、外資系の企業に勤めている方もいたのですが、一人の女性が言うには、めちゃくちゃな英語で社内で会話していますと。とにかく単語を並べて会話をしている人が、大きなビジネスをやっていたりするという話も聞きました。実際に世界中でそういうことが起きていて、英語という言語が、これは私が好んで使う表現ですが「撹乱」されてきているように思えます。英語が偉くて他の言語はダメ、という言語間の序列を、これからはたくさんのPidginがかき乱していくかもしれません。

――本書が出版されて1カ月(インタビュー時)がたちますが、出版後の反響はどうですか?

北村 インタビューした方々からポツポツと感想を寄せていただいているのですが、「自分の経験や自分の中でモヤモヤしていたものに言葉を与えくれたことで、こういうことだったのかと理解できた」という感想が一番うれしいですね。

――それはモヤモヤしていたものが、整理されたということですか?

北村 そうですね。社会学というのは、そのためにあると私は思っています。日常の混沌としたわけの分からない現実に語彙を与えて、それがなにか分かってくるというような。本書は一般書として書いたので、本当は「オリエンタリズム」や「言語帝国主義」などといった言葉を使うかどうか迷ったのですが、私は使わなければ意味がないと思い、使いました。もちろん、ちゃんと説明して分かるように使っているつもりです。やはりそういう概念やパースペクティブを与えられて、こういうことだったのかと世界の見方を与えられるのが社会学の醍醐味だと思うので、それができていればいいなと思います。

――ズバリ本書のタイトル通り”英語は女性を救いますか?”

北村 それは救う時もあるし、救わない時もある。それ以上のことは言えないでしょうね。救うとも思わないし、救わないとも思わない。「英語は女を救うのか」という問いは擬似問題でしかない、それが本書で私が伝えたかったことです。
(取材・文=本多カツヒロ)

●きたむら・あや
1976年滋賀県生まれ。東京外国語大学外国語学部卒業後、東京大学大学院人文社会系研究科、ハワイ大学大学院アジア研究科を経て現在、明治学院大学教養教育センター専任講師。専門は社会学(相互行為論、アイデンティティ論)、ジェンダー研究、日本研究。著書に『日本女性はどこにいるのか』(勁草書房)、『合コンの社会学』(光文社新書/共著)がある。

英語は女を救うのか

どうでしょうか。

amazon_associate_logo.jpg

最終更新:2013/09/13 13:24
ページ上部へ戻る

配給映画