「人生を甘く考えている部分がある」佑ちゃんに抱かれた年上女性が苦言
#雑誌 #出版 #元木昌彦 #週刊誌スクープ大賞
第1位
「告白『私を抱いた佑ちゃんへ』」(「女性セブン」5月12・19日号)
第2位
「田中好子さんも勘づいていた!夫の『裏切りハワイ旅行』」(「週刊女性」5月10・17日号)
第3位
「50キロ自己規制 自分の身だけを守る卑怯な記者たち」(「週刊文春」5月5・12日号)
オバマ米大統領は5月1日夜(日本時間2日)、ホワイトハウスで、2001年9月11日の米同時多発テロを首謀した、国際テロ組織アルカイダの指導者オサマ・ビンラディン容疑者が死亡したと発表した。
アメリカの一部ではお祭り騒ぎのようだが、これで反米テロが収束するわけではない。ビンラディンは”殉教者”になり、勢いづく反米グループのアメリカ本土を狙ったテロが再び起こるのではないか。
オバマは「正義はなされた」と言った。だが、正義や大義はどちら側にもあり、ビンラディン殺害が、反米側の正義に大義を与える可能性は十分にある。
さて、今週気を吐いたのは女性週刊誌である。その前に、1ページの短い記事だが、大手メディアのだらしなさを批判している、上杉隆氏の記事を取り上げる。
政府は、福島第一原発から20キロ圏内を「危険区域」に設定して、20キロから30キロ圏内は避難指示を出さなかったため、大手メディアも「30キロ圏外は安全です」と繰り返し報じてきた。
しかし、もともと大手メディアの記者たちの多くは、社内規定で50キロ圏内に入っていけないと決まっているので、30キロ圏内はおろか20キロ圏内などに入ったことはないというのだ。
そうした大手メディアの身勝手さを上杉氏が取材してみると、その後変更された可能性はあるが、やはり「NHKが四十キロ、朝日新聞が五十キロ、時事通信が六十キロ、民放各局が五十キロ圏外に社員は退避、と定めていたのだ」。
自分たちははるか遠くの安全圏にいて、放射能汚染の不安に直面している被災地の安全をうんぬんしているのは欺瞞だと、氏は憤る。しかも、身代わりに、フリーの記者や制作会社のスタッフを行かせて、省みることがない。
こうした問題は、「週刊女性」でも扱っていて、こう書いている。
「4月14日、取材陣と警察が一緒に原発から10キロ圏内に入りました。同行したテレビ局は、NHK、TBS、フジテレビです。新聞は産経と毎日だけでした。読売や朝日、共同など、そのほかの新聞社や通信社は社の安全基準が厳しくて、取材に同行できませんでした」(全国紙社会部記者)
赴任地で戦争などが起きれば、真っ先に引き上げるのは日本の大手メディアである。そこに働く多くは、ジャーナリストとしての覚悟などなく、安定しているという理由でメディアに入ってきた連中ばかりである。
そんな人間に、今起きている大災害の真実を伝えることなど期待できないこと、言うまでもない。
第2位は、乳がんで55歳の若さで亡くなった元キャンディーズ・田中好子の夫のスキャンダルである。
こんな時期にこんな記事をやってという批判はあるだろう。だが、悲劇の裏にある人間ドラマを掘り起こすのも週刊誌の役割である。そうした編集部側の”覚悟”を含めて、第2位に取り上げた。
あれだけAKB48のスキャンダルを追いかけていた「文春」が、この合併号のグラビアで「原色美女図鑑スペシャル どこよりも早いAKB48総選挙予測」を恥ずかしげもなくやることに比べれば、なんぼかいい。
田中が結婚していたのは、夏目雅子(急性骨髄性白血病で27歳で亡くなった)の兄の小達一雄氏(56歳)。
「週刊女性」によれば、小達氏には10年ぐらい前から愛人がいて、現在40歳前後だそうだ。しかも、その愛人との間に「小学校高学年」くらいの女の子がいるのだが、そうしたことに「田中好子さんも勘づいていた」というのである。
目撃したのは昨年の7月14日。成田空港のハワイ・ホノルル行きのゲート前で、「パパ」と駆け寄る女の子に、「どれがいい」と、小達氏は優しく声を掛けていたそうだ。
二人のことをよく知る関係者は、こう言っている。「田中さん、探偵をつけたり、自ら張り込んだりもしたそうです」。また、小達氏は、母親に「オレの子供に会いたくないか、孫を抱いてみないか」とも言っていたのだそうだ。
合併号中ということもあって、後追い記事はまだ出てこないが、他誌がどうこれを扱うのか、注目したい。
今週の大賞に輝いたのは、元ハンカチ王子こと日ハムの斎藤佑樹投手(22歳)のスキャンダル。
何といってもタイトル横の斎藤の写真がいい。キャプションに「ラブホテルでくつろぐ斎藤」とあるが、心を許した女性の横で、セックスの後で疲れたのか、まどろんでいる斎藤の何とも言えないかわいい寝顔は、男でもほおを寄せたくなる。
年上の女性に導かれて童貞を失うということは、男にはよくあるパターンである。だが、斎藤にはずいぶん浮いたウワサがあったから、そうではあるまい。しかも彼女は斎藤より一回り近く年上だという。
彼と彼女が出会って親密な関係になったのは、斎藤が大学1年の6月から翌年の4月ごろまで。きっかけは、彼女が送ったファンレターだった。1カ月ほどして、斎藤からメールが来る。最初はメールや電話のやりとりだったというが、こんなことを斎藤が言っていたそうだ。
「”投げる前は何考えているの?”と聞くと、”ヒーローインタビューで何を話そうかって考えてる”」
二人が初めて会ったのは07年6月28日。日米大学野球選手権大会の日本代表に選ばれた斎藤が、アメリカへ出発する前日、「時差ボケしないために朝まで一緒にいてほしい」と言ってきたのだそうだ。なかなか手なれた口説き文句だ。
その後は、高田馬場や練習場と寮のある東伏見のラブホで逢瀬を重ねた。写真のほかに「斎藤が自己紹介」した動画もあるそうだから、こっそり隠し撮りしたのではないようである。
彼女があれと思ったのは、ホテル代は彼女持ちだし、大変な「パパ好き」なことだった。
「毎回父親の話をするし、”お父さんのことが好き”だって言っていました。正直、20歳の男性なのに大丈夫かなって思いましたね」
彼女が今回、斎藤の話をしたのは、どうやら複雑な彼女側の事情があるようなのだが、それは省く。彼女が斎藤に言っておきたい言葉が、現在の斎藤にピタリと当てはまるのがおかしい。
「彼は、ちょっと人生を甘く考えている部分がある。これまで、たくさんのことを彼に話してきました。最後にあなたに教えるけど、”これが勉強だよ”っていうことを言っておきたいんです」
現時点で、2勝無敗。打たれながらも打線の援護を得て、勝ち星は挙げている。だが、テレビでも見た元投手の解説者が、斎藤のピッチングを30過ぎのピッチャーのようだと評していた表現が、的を射ている。
元巨人の桑田真澄氏(43歳)は、背は斎藤ほどもないだろうが、しなやかなフォームから投げ込むストレートは威力があった。だから変化球が生きた。
ストレートの速くない変化球だけの投手では、早晩つぶれること間違いない。女も人生もプロ野球も甘く見ているとしたら、今回のように手痛いしっぺ返しを食う。今は目の前の1勝よりも、体を鍛え、投げ込み、もう少し速いストレートを投げられるようにすることだ。今回のスキャンダルを機に、甘かった自分を反省して、もっと高みを目指してほしいものである。
(文=元木昌彦)
●元木昌彦(もとき・まさひこ)
1945年11月生まれ。早稲田大学商学部卒業後、講談社入社。90年より「FRIDAY」編集長、92年から97年まで「週刊現代」編集長。99年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長を経て、06年講談社退社。07年2月から08年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(2006年8月28日創刊)で、編集長、代表取締役社長を務める。現「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催、編集プロデュースの他に、上智大学、法政大学、大正大学、明治学院大学などで教鞭を執る。
【著書】
編著「編集者の学校」(編著/講談社/01年)、「日本のルールはすべて編集の現場に詰まっていた」(夏目書房/03年)、「週刊誌編集長」(展望社/06年)、「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社/08年)、「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス/08年)、「競馬必勝放浪記」(祥伝社/09年)、「新版・編集者の学校」(講談社/09年)「週刊誌は死なず」(朝日新聞社/09年)ほか
怖ろしく似ていない。
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