「日本人よ、声をあげろ!」直言居士・嵐山光三郎が吠える
#雑誌 #出版 #元木昌彦 #週刊誌スクープ大賞
第1位
「コンセント抜いたか 嵐山光三郎」(「週刊朝日」4月15日号)
第2位
「スクープ 4号機内で社員2人の遺体を発見」(同上)
第3位
「東日本大震災ノンフィクション 遺されて 石井光太」(「週刊ポスト」4月15日号)
次点
「日本ユニセフ協会『被災者に渡らない募金』が暴かれた」(同上)
今週、一番笑ったのは「現代」のタイトル「『使用済み菅燃料』と官邸で嘲笑される総理大臣の不甲斐なさ」である。短い記事だが、使用済み菅燃料とはうまい!
自粛、自粛の大合唱だ。花見まで自粛せよと、私の住んでいる街の駅前商店街も花祭りの看板とちょうちんを取り外してしまった。おかげで酔客の胴間声を聞かないで花見がユックリできそうだからいいが、花見ぐらい少し騒いでもいいではないか。
「文春」の立花隆氏との対談で堺屋太一氏が、「私が危惧するのは、大震災と原発事故に過剰反応して『自粛不況』が起きることです。世の中が暗くなると、復興はさらに遅れる」と言っているが、その通りである。
最近よく、「日本人は敗戦後、焦土の中から立ち上がり、見事に復興してきたのだから今度も大丈夫だ」と”無責任”に語る人がいることも気になる。
これほど見当違いな考えはない。戦争が終わり、みな貧しくとも光が見えた時代と今では、心の底から湧きたってくる何かが決定的に違うのだ。
本田靖春氏は『「戦後」――美空ひばりとその時代』(旬報社)で、その時代の雰囲気をこう書いている。
「人々は飢えていた。私の場合は住む家がなく、納屋の暮らしから戦後の生活が始まった。着る物がなく、履く靴がなく、鞄がなく、教科書がなく、エンピツがなく、ノートもなかった。しかし、人々は桎梏から解放されて自由であった。新しい社会を建設する希望に満ちていた」
「小沢一郎よ、平成の後藤新平になれ」という”小沢待望論”もやかましい。だが、震災から2週間以上も地元岩手に行かなかった小沢氏が、被災者に希望を与えられるわけがないではないか。
さて、今週は力作ぞろいであったが、まずは「ポスト」の日本ユニセフ(以下、日ユニ)の記事から取り上げよう。
発端は、日ユニが震災3日後に「東日本大震災緊急募金」を告知したが、ただし書きに、必要な資金を上回る金が集まったら、他国・他の地域への復興支援に活用させてもらうと書いたことだった。
これでは「ユ偽フではないか」と募金者から批判が殺到し、慌てて集まった金は全額被災者に渡すことを表明したのだが、後の祭り。
そもそも、日ユニは国連ユニセフの日本支部ではない。その活動を支援する財団法人なのだが、寄付しているボランティア団体でさえ、誤解しているところが多い。
また、日ユニは職員36名で、集めた募金の最大25%が運営経費と認められ、2009年度の事業活動収入は約190億円で、そのうちの27億円を自由に使え、法人税はなし。
01年に東京・高輪に5階建てのユニセフハウスを建設し、大新聞にたびたび広告を掲載して、評議員には朝日や毎日の社長らが名前を連ね、政治界とも密だという。
芸能人の抱き込みにも力を入れ、中でも「日本ユニセフ協会大使」として有名なのがアグネス・チャンである。
震災以降、募金をかたる詐欺行為が続発している。日ユニがそうだとは言わないが、「ポスト」が言うように「もう少し疑惑をもたれないための改革が必要なのではないか」。
被災地ルポは数多くあり、有名人を起用したものも多い。「AERA」の写真家・藤原新也氏もそうであるが、私は、「ポスト」の石井光太氏のルポを写真(一部共同通信)共々、興味深く読んだ。中にこういうくだりがある。
宮城県奥松島の海辺で出会った初老の夫婦。40歳になる娘と孫の遺体を探しているという。
夫は、「せめて、遺体がひどく傷まないうちに見つけ出してあげたいのですが、うまくいきません」と言うが、妻は、「そんなに簡単にあきらめないでください。(中略)まだ、どこかで生きていたらどうするんですか。私、そう思うとあの子たちに申し訳なくて……」と小声で言う。
彼女が、生まれたばかりの孫が生きていると信じる理由は、娘の優しさだった。娘はきっと、自分を犠牲にしても孫を助けたはずだ。きっと避難所か病院で行方不明になっているから早く見つけ出したいのに、夫は娘ばかりでなく孫まで死んでいると耳を傾けてくれないと嘆く。
そして「せめてあなただけは孫が生きていることを信じてください」と、行きずりの石井氏に懇願するのだ。
今度の大震災で、こうした悲劇は数多くあったに違いない。その中の一組の夫婦の物語だが、読み終わった後、いつまでも波の音が心に聞こえていた。やや感傷に流されすぎたきらいはあるが、こういうルポが私は好きだ。
2位は、スクープとはあるが、遺体発見の情報はごくわずかである。だが、ここにあるように、地震発生以来行方が分からなくなっていた東電の社員2人が、3月30日午後3時頃、懸命の復旧作業が続く福島第一原発で見つかったが、「東電は2人が見つかった事実を、発見から3日が過ぎた2日夜の時点でも明らかにしていない」のだ。
ようやく3日になって、「東京電力は3日、福島第一原発で行方不明になっていた社員2人が4号機タービン建屋の地下で遺体で見つかった、と発表した」(asahi.comより)。
2人は当日、勤務中に地震と津波に襲われ、3週間近くも高い放射線量が懸念される「爆心地」に閉じこめられていたのだ。
「朝日」が書いているように、「2人はどのような状態で見つかったのか。放射線量はどのぐらいだったのか。また遺体はどのようにして安置されたのかといった情報はなんの手がかりも得られず、祈る思いで近親者を捜す周辺住民にとっても貴重な情報だ」。事実を速やかに公開しない東電の姿勢には、「朝日」ならずとも疑問が残る。
こうした不透明な東電や政府の在り方に不満を持っている日本人は多いと思う。それなのに、Twitterや掲示板に誹謗中傷して、腹膨るる思いを吐き出して事足れりとする人間のいかに多いことか。
今怒らずして、いつ怒るのか。そんな思いを軽妙な筆遣いながら、痛烈に批判してくれたのが、今週の第1位、嵐山光三郎さんの連載コラムである。
嵐山さんは、彼が敬愛する作家・山口瞳さんがそうだったように、言うときははっきり言う直言居士である。山口さんの、他国に征服されてもいいから武力は持たないと言い切った『卑怯者の弁』や『私の根本思想』(ともに新潮社)が好きな人である。
嵐山流は、「どこかで春が」という童謡を口ずさむところから始まる。まずは、テレビでやたら流れているACのCM批判。「『電気を節約しよう』といっているから、あのCMが出るたびにテレビの電源を切った。ACのCMにいら立つのはやたらと親切だとか思いやりとかの道徳をふりかざすからだ。公共広告機構というのは、道徳おしつけ協会で、この非常時に及んで大きなお世話である」とバッサリ。
さらに、「東日本大震災は『千年に一度』の大震災だというから千年前にはなにがあったかと調べると『源氏物語』が書かれた時代だった。ははあ、源氏は原子のことで、『原子物語』ってわけか。光るウランが数多の女たちを被曝させていった。桐壺が一号炉で、帚木が二号炉、空蝉が三号炉、夕顔が四号炉、以下五十四帖あるから、いまある原子炉と奇しくも同じである。紫式部が千年後の日本を予知して原子を源氏とおきかえて書いたとすれば、超能力のなせる技だ」と展開していく。匠の筆である。
身の安全を脅かされているのに日本人はパニックを起こさないし、略奪行為も起こさないことが美談として外国メディアに報じられているが、「ようするにバカにされているわけです。悲惨な状況に必死で耐えることを賞賛されるのは、声をあげて叫ばない民族だと見なされている次第で、危険事態を外国メディアが代弁すると『風評被害』として片づける。(中略)政府の対応の遅さが原発被害の拡大を招いているのに、日本人は『仕方がない』とあきらめている」のはおかしい! そしてこう結ぶ。
「強者に対して弱すぎる。原爆を落とされて、『ああ許すまじ原爆を』と謳っても、平和利用という名目を与えられると『ああ許すまじ原発を』とは謳わない。原爆の恐ろしさを知ったから、平和利用ということで、逆に『原発』を信仰してしまった。(中略)値の安い原発のおかげで電気をジャブジャブと水道水のように使って安逸な生活をしてきた。そのしっぺ返しがきた」のだから、ネオンを消し、通販やACのCMは中止し、居酒屋はランプで営業しようと説く。まったくその通りである。
(文=元木昌彦)
●元木昌彦(もとき・まさひこ)
1945年11月生まれ。早稲田大学商学部卒業後、講談社入社。90年より「FRIDAY」編集長、92年から97年まで「週刊現代」編集長。99年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長を経て、06年講談社退社。07年2月から08年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(2006年8月28日創刊)で、編集長、代表取締役社長を務める。現「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催、編集プロデュースの他に、上智大学、法政大学、大正大学、明治学院大学などで教鞭を執る。
【著書】
編著「編集者の学校」(編著/講談社/01年)、「日本のルールはすべて編集の現場に詰まっていた」(夏目書房/03年)、「週刊誌編集長」(展望社/06年)、「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社/08年)、「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス/08年)、「競馬必勝放浪記」(祥伝社/09年)、「新版・編集者の学校」(講談社/09年)「週刊誌は死なず」(朝日新聞社/09年)ほか
誰が卑怯者なのか。
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