マスコミが讃えた”楽園”のその後、ひとりの少女の成長記録『愛しきソナ』
#映画 #パンドラ映画館
そこは”地上の楽園”と謳われ、9万人以上もの人々がユートピアを求めて海を渡った。これはファンタジーのお話ではなく、戦後の日本で起きた現実の出来事。1959年から84年にかけて行なわれた北朝鮮への”帰国事業”のことだ。当時は在日への民族差別がキツく、日本での就職が難しいことから多くの若者たちがまだ見ぬ祖国へと次々と入国していった。社会主義国の北朝鮮では完全就職と生活保護が約束されていたのだ。日本の大手新聞もこぞって「民族の大移動」「バラ色の地上の楽園」「新国家の建設」と美化して讃えた。しかし、北朝鮮と日本は未だに国交が結ばれず、一度北朝鮮に渡った人たちの日本への再入国はほとんど許されていない。では、理想を抱いて”地上の楽園”に向かった人たちは、その後どのような生活を送ったのか? その疑問に答えたのが、在日二世である梁英姫(ヤン・ヨンヒ)監督のドキュメンタリー映画『ディア・ピョンヤン』(05)だった。
70年代、大阪で生まれた梁監督が6歳のときに、3人の兄たちは帰国事業で北朝鮮へと渡った。父親が朝鮮総連のバリバリの幹部だったこと、2番目のコナ兄さんが建築家を目指し、日本では就職が難しかったことなどの理由で帰国事業に参加した。当時は韓国よりも、ソ連の援助を受けていた北朝鮮のほうが経済的に安定しているように見られていた。しかし、実際の北朝鮮での生活は甘くなかった。”地上の楽園”という謳い文句は、絵に描いたモチに過ぎなかったのだ。その上、ソ連が崩壊したことから、90年代の北朝鮮は数百万人にも及ぶ飢餓者を出すなど、生活状況はさらに厳しいものになっていく。そんな中、梁監督は朝鮮学校の修学旅行で北朝鮮に初めて入国したのをきっかけに、3人の兄たちとの交流を深めていく。3人の兄たちは慣れない環境で苦労しながらも、母親の仕送りに助けられ、北朝鮮の首都・ピョンヤンでそれぞれ結婚し、慎ましく家庭を築いていた。
梁監督はピョンヤンで暮らす兄たち家族の何気ない日常生活をビデオカメラで10年間にわたって記録し続けた。兄たちの住むマンションは手入れが届いていて意外と暮らしやすそうだが、水道は早朝の2時間しか使用できないこと、頻繁に停電が起きること。街を歩いているとパレードの練習に励んでいる集団に出くわすが、中にはイヤイヤそうに練習に参加している人もいること。道端でヤミ商品である練炭があけっぴろげに日干しされていること。外貨レストランでお金を払えば、アイスクリームを食べることができること。姪っ子のソナは目を輝かせてアイスクリームをひと匙ずつ大事そうに食べる。マスコミ報道が伝えない、素顔のピョンヤンが梁監督の映像には収められていた。『ディア・ピョンヤン』は、ベルリン国際映画祭最優秀アジア映画賞、山形国際ドキュメンタリー映画祭特別賞など各国で高い評価を受ける。だが、梁監督が自分の家族のプライベート映像として撮影した『ディア・ピョンヤン』の公開後、梁監督は北朝鮮政府から入国を禁じられてしまう。
さん。ピョンヤンで生まれた孫たちの成長ぶり
が何よりもの生き甲斐だ。
「ピョンヤンで撮影した映像は、出国の際に空港で全部検閲されたものなんですけどね。”あいつを入国させると、また面倒を起こすに違いない”と思われてしまったみたいですね。兄たち家族に会えないのはツラいし、淋しいけど、まぁ、しゃあないです(苦笑)。北朝鮮に誉めてもらうつもりで作ってないので」と梁監督は語る。朝鮮総連からは”謝罪文”を提出すれば入国を許すと言われたそうだが、梁監督が謝罪文を書く代わりに作ったのが、5年ぶりの続編となる『愛しきソナ』。前作は3人の息子たちを北朝鮮へ送ったことに後悔の念を抱く元総連幹部の父親と”放蕩娘”梁監督との和解が主軸となっていたが、今回はピョンヤンで暮らす姪のソナをヒロインに据え、これまで撮り溜めた120時間に及ぶビデオテープを再構成している。
95年、コナ兄さんの娘、ソナが3歳のときから梁監督はビデオカメラを回し始めた。『愛しきソナ』の英題は”SONA,the other Myself”。梁監督は”在日二世”として大阪で生まれ、朝鮮学校で北朝鮮の教育を受けて育った。ソナもまた、日本からの”帰国者二世”としてピョンヤンで生まれ、日本からの仕送りのお陰で元気に育っている。日本と北朝鮮の狭間で悩みながら育った梁監督にとって、姪っ子のソナはカワイイだけの存在ではなく、「もしも、自分も北朝鮮に渡っていたら」という、もう一人の自分の姿なのだ。吉本新喜劇を見て育った陽気なコナ兄さんの娘であるソナも茶目っ気たっぷりな女の子。日本と北朝鮮とのダブルスタンダードの中で、ソナがどのようなアイデンティティーを培っていくのか、梁監督は気になって仕方ない。
梁監督の母親が今もせっせと仕送りを続けているお陰で、ピョンヤンで暮らしている兄たちは北朝鮮の標準以上の生活を維持できている。とはいえ、日本のような自由はなく、また日本からの帰国者であることから差別にも遭う。やがて、ソナは日本にいる祖父・祖母を思いやる賢い少女に育っていく。たまに日本から来る”気ままな叔母さん”梁監督の土産話にワクワクしながらも、決してカメラの前で「日本に行きたい」とは口にしない。不用意な発言をすれば、自分だけでなく家族に迷惑が掛かることを子どもながら、すでに理解しているからだ。梁監督がNYや東京で観てきた演劇の話をせがみながらも、その前に「カメラを止めてちょうだい」とそっと言う。
あるソナちゃん。梁監督が北朝鮮へ入国禁止に
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ソナの家庭は、正直かなりヤヤこしい。ソナの父親であるコナ兄さんはピョンヤンで3回結婚しており、3人いる子どものうち、2人の兄とソナは母親が異なる。ソナのお母さんは病院での診察代を倹約したことから、若くして病気で亡くなってしまった。3番目の奥さんは、3人の子どもたちと血は繋がっていないが、内職をしながら子どもの世話に励んでいる。コナ兄さんは建築関係の仕事に就いているものの、国からの給料だけでは一家は食べていけないからだ。日本からの仕送りもいつ途切れるか分からない。だが、家族の絆は非常に固い。ソナがイジメに遭って泣いて帰ってくると、ソナの兄はイジメっ子がソナに二度と手を出さないようボコボコにしてしまうそうだ。食べたいものを食べ、聴きたい音楽を聴き、思ったことをそのまま口にする自由は、ピョンヤンでの生活にはない。では不幸なのかというと決してそうではない。不自由=不幸ではないことが、梁監督の映像から伝わってくる。
梁監督が北朝鮮への入国を禁じられたことから、ピョンヤンの映像は2005年で終わりとなる。梁監督がカメラを回せない代わりに、16歳になったソナから英語で綴られた手紙が届く。金日成総合大学英文科に合格できたことを知らせる内容だ。NYに留学した経験を持つ梁監督の影響を受けたのだろう、ソナの将来の夢は世界各国を巡る通訳になることだそうだ。
梁監督が撮った『ディア・ピョンヤン』と『愛しきソナ』は、自分の家族を描いた極めてパーソナルな映像記録だ。だが、両作品はとても大事なことを教えてくれる。”ユートピア”とはどこかに行けば待っているものではなく、自分たちの手で築くものだということを。
(文=長野辰次)
●『愛しきソナ』
監督・脚本・撮影/梁英姫 配給/スターサンズ
4月2日(土)よりポレポレ東中野、4月23日(土)よりK’s cinemaほか全国順次公開
<http://www.sona-movie.com>
「憎らしくも愛おしい」。
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