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深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】vol.110

“粋”を愛したフランスの伯父さん J・タチ主演『イリュージョニスト』

iryu01.jpgスコットランドの離島で育った少女アリスは、パリからやってきた
タチシェフの奇術を本当の魔法だと思い込んでしまう。
(C)2010 Django Films Illusionist Ltd/Cine B/France 3 Cinema All Rights Reserved.

 目の前に立ち塞がるどうしようもない現実の重みを、ほんの一瞬だけでも忘れさせてくれるのが一流のイリュージョニスト(奇術師)だ。ドラえもんの四次元ポケットのように、シルクハットの中から次から次へとサプライズを取り出してみせ、観客にひと時の夢を楽しませてくれる。もちろんシルクハットの底には仕掛けが隠されているが、イリュージョニストは決してタネを明かすことはしない。そそくさとステージを降り、観客が見た一瞬の夢を永遠の夢に変えてしまう。イリュージョニストは”粋”でなくては務まらない職業なのだ。映画『イリュージョニスト』は、フランスの喜劇王ジャック・タチ(1907~1982)が書き残したシナリオ”FILM TATI No.4″を、『ベルヴィル・ランデブー』(02)の人気アニメーション作家であるシルヴァン・ショメ監督が現代に甦らせたもの。ジャック・タチ作品ならではの”粋”の極意を、ショメ監督が哀惜の念を込めて見事にアニメーション化している。

 『ぼくの伯父さんの休暇』(52)、『ぼくの伯父さん』(58)で、子どもと犬たちに慕われる”とぼけたオジさん”ムッシュ・ユロを演じ、世界的な人気を博したジャック・タチ。彼の監督作品の中でSEXや暴力が描かれることはなく、その上パントマイム出身だけに台詞もほとんどない。無声映画を思わせる静謐な世界だ。市井の人々の暮らしのおかしみに、額縁職人の家系に生まれた美術センスとシャレた音楽を施すことで、傑作コメディーに仕立てている。”FILM TATI No.4″は、『のんき大将』(48)、『ぼくの伯父さんの休暇』『ぼくの伯父さん』に続く、長編第4作『イリュージョニスト』として人気絶頂期に実写化されるはずだった。

iryu02.jpg主人公タチシェフのキャラクターは、往年の
喜劇王ジャック・タチの容姿や立ち振る舞いが
丹念にコピーされている。

 『イリュージョニスト』は1950年代終わりのパリから物語は始まる。ベテラン手品師のタチシェフ(ジャック・タチの本名!)は、パリの劇場でシルクハットから白うさぎが飛び出す昔ながらの演目を続けてきたが、今のパリっ子は誰も見向きもしない。腰をくねらせる長髪の歌手の金切り声に、若者たちは夢中だ。仕事のない老手品師は、やむを得ず、欧州各地へのドサ回りの旅に出る。言葉の通じないスコットランドの離れ島でも淡々と”営業”を続ける老手品師。ただ一人、ボロ旅館で働く無垢な少女アリスだけが、目を輝かせてくれる。世話をしてもらったお礼にと、タチシェフは少女に赤い靴をプレゼントして、島を去っていく。

 ところが、少女はタチシェフの奇術を本当の魔法と思い込んで、付いてきてしまう。いまさら、赤い靴は買ったものだとタネ明かしすることもできない。このとき老手品師は思う、自分は大勢の人たちに夢や驚きを与えるプロのエンターテイナーのつもりで生きてきたが、実は純真な子どもを騙してきたペテン師だったのではないかと。身寄りのない少女を島に追い返すことができず、老手品師と白うさぎと少女とのエジンバラでの共同生活が始まる。生まれて初めての都会に驚き、喜ぶ少女。老手品師は、街に似合う新しい靴とコートを魔法で取り出す。もう彼の財布はすっからかんだ。それでも老手品師は言葉の通じない街で不慣れなアルバイトをしながら、少女の前で魔法を使い続ける。

 大衆演芸、自転車、駄犬への狂おしいまでの愛情を詰め込んだ『ベルヴィル・ランデブー』での長編デビューを控えていたシルヴァン・ショメ監督に、シナリオ”FILM TATI No.4″の存在を教えたのはジャック・タチの愛娘、ソフィー・タチシェフ。ソフィーはジャック・タチの晩年の作品『トラフィック』(71)や『パラード』(74)にフィルム編集者として参加しており、ジャック・タチの世界観を誰よりも理解している女性だった。ショメ監督が『ベルヴィラ・ランデブー』の劇中に、『のんき大将』の映像を使用したいと頼んだ際、ソフィーは父親の世界観と若いショメ監督のイメージする世界が通じることを感じとり、映像の使用許可だけでなく父親の遺稿を託すことを決める。まさに明断だ。彼女自身が、父親が残した魔法を見たかったに違いない。だが残念なことに、ソフィーは『イリュージョニスト』の映画化をショメ監督に依頼して間もなく、2001年に他界してしまう。

iryu03.jpgウサ公と放浪の旅を続ける手品師のタチシェフ。
旅先の風景や大衆演芸の世界の描写にショメ
監督は並々ならぬ情熱を注いだ。

 でもなぜ、ジャック・タチは『イリュージョニスト』の脚本づくりに2年の歳月を費やしながらも、製作に踏み切らなかったのだろうか。『ぼくの伯父さんの休暇』『ぼく伯父さん』の人気キャラクターであるユロ氏を愛したファンの前に年老いた姿を見せたくなかったから、手品シーンを完璧に演じることができなかったから……さまざまな理由があったようだ。それに加えて、もうひとつ言われているのが、『イリュージョニスト』の内容がジャック・タチにとって、あまりにリアルすぎるため映画化が見送られたという説。というのも、ジャック・タチ自身が映画界に入る前の独身芸人時代に婚外子をもうけていたことが最近になって明らかになったから。若い頃はさぞモテただろう元二枚目の老紳士が、イギリスの片田舎で暮らす少女のために甲斐甲斐しく尽くす『イリュージョニスト』の物語は、”贖罪”の意識で書かれたのではないかと。

 もしジャック・タチが映画界に転身せずに、演芸の世界にこだわり続けていたら。そして、もし旅先で生き別れた自分の子どもに会っていたら。『イリュージョニスト』は、ジャック・タチが果たせなかった、切ない願望の世界であるらしい。結局、ジャック・タチは『イリュージョニスト』の企画はお蔵入りさせ、主人公がいない画期的な大作コメディー『プレイタイム』(67)に着手するが、『プレイタイム』は大コケしてしまい、生涯借金に追い立てられることになる。

 実写では生々しくなるエピソードを、シャメ監督は温かみのある手描きのアニメーションとして端正な一本の映画に昇華させてみせた。シャメ監督もアニメ製作に理解のないフランス映画界には随分と不満を持っており、フランス映画界の異端児的存在だったジャック・タチに深いシンパシーを抱いていたようだ。喜劇王ジャック・タチの幻の作品が、娘ソフィーからショメ監督へと粋なバトンリレーによって新たに命を吹き込まれて劇場公開される。これを”イリュージョン”と呼ばずして、何と呼ぼうか。
(文=長野辰次)

●『イリュージョニスト』
オリジナル脚本/ジャック・タチ 脚色・作曲・キャラクターデザイン・監督/シルヴァン・ショメ 声の出演/ジャン=クロード・ドンダ、エルダ・ランキンほか 3月26日(土)よりTOHOシネマズ 六本木ヒルズほか全国順次公開
配給/クロックワークス、三鷹の森ジブリ美術館 <http://illusionist.jp>

ベルヴィル・ランデブー

食わず嫌いはもったいない。

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最終更新:2012/04/08 22:53
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