『血だるま剣法』10万円は適正なのか? 本当に高い”封印マンガ”のお値段【前編】
#プレミアサイゾー
──さまざまな理由で一般の流通からは追放され、古書市場などで扱われている封印マンガ。一見、その出自より、プレミアが付いているかと思われるが、意外にも……。その市場における需要や価格帯について、書店関係者などの証言を元に解き明かす。
圧力団体からのクレームや出版社の自主規制による回収などによって、市場から封印されたマンガは多い。だが、当特集【3】の対談でも触れているように、”法的な拘束力”により発売・流通を禁止されたマンガはほとんどないのが現状だ。
戦前の1938年に旧内務省が定めた「児童読物改善に関する指示要綱」で発禁処分となった図書33点に含まれている作品以降、同処分となったのは2002年、刑法175条のわいせつ図画頒布罪適用を受けたビューティー・ヘアの『蜜室』【1】くらいだ。しかし、1950年代の「悪書追放運動」や、80年代後半から90年代にかけての「有害コミック規制運動」などにより、出版社側の自主規制により回収、絶版に至った作品は枚挙に暇がない。
いわゆる”封印マンガ”と呼ばれるそれらの作品は、いわくつきということで、一般的な作品よりも希少価値が高いことに疑いはないが、これらの封印マンガが現在の古書業界で一定の市場を形成しているのか、という話になると、多少事情は異なっているようだ。マンガ小売業者や出版関係者の話とともに、当該コミックが問題視された経緯や規制の歴史と併せてひもといてみたい。
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まず、マンガに対する批判的な活動が行われたのは戦後間もない55年。PTAらによる「悪書追放運動」がスタートした頃である。問題視されたマンガを学校の校庭に集めて焚書するなど、その活動が過激化、「青少年保護育成条例」が各地方自治体で制定され、その後のマンガ規制の土台が形成されることになったと、規制の歴史に詳しいマンガ家の山本夜羽音氏は語る。
「マンガ批判の風潮が過激化していく中で、批判派と折り合いをつけるために出版社側は自主規制という手法を考案。63年に『出版倫理協議会』が各出版社により結成され、販売自粛や回収といった有害図書に対する出版業界独自の規制を決定していきます」
では当時から現代に至るまで、実際に抗議を受け、問題視された作品にはどんなものがあるのだろうか?差別表現では62年、被差別部落を扱った平田弘史の『血だるま剣法』【2】が部落解放同盟から抗議を受けて絶版。70年には梶原一騎原作・矢口高雄画の『おとこ道』【3】が朝鮮人差別表現を含むと批判され、回収となった。また、75年には手塚治虫の『ブラック・ジャック』で、ロボトミー手術を扱った58話「快楽の座」が掲載された「少年チャンピオン』【4】が精神科医や市民団体から抗議を受け、いまだに単行本や全集に未収録となっている。
ほかにも、80年に実在の中学校名を使用したとして、宮下あきらの『私立極道高校』を掲載した「週刊少年ジャンプ」【5】が自主回収。82年には、スカートめくりで一世を風靡したえびはら武司の『まいっちんぐマチコ先生』【6】が女性差別表現を含むとして抗議を受けている。
90年に入っても、佐藤正の『燃える!お兄さん』(集英社)が学校主事に対する差別表現を問題視され、掲載誌の「週刊少年ジャンプ」【7】が回収される騒動が起こっている。91年には山本英夫の『おカマ白書』【8】が「動くゲイとレズビアンの会(アカー)」から同性愛者への差別表現を指摘され、単行本3巻の発売を見合わせる事態となった。
こうした中、80年代後半になると人種差別問題に関する抗議団体が台頭。89年には、藤子不二雄『オバケのQ太郎』【9】の150話「国際オバケ連合」で、黒人を模したオバケが「黒人差別をなくす会」により問題視され、同回が収録された単行本は回収された。
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