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神保哲生×宮台真司 「マル激 TALK ON DEMAND」 第51回

アメリカを疑心暗鬼にする コモンセンスの欠如と空洞化【前編】

──ビデオジャーナリストと社会学者が紡ぐ、ネットの新境地

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 今年1月、アリゾナ州で起こった下院議員を狙った銃乱射事件は、オバマ政権誕生による保守派とリベラル派の党対立が色濃く投影されているものと見られている。犠牲者を追悼する式典に出席したオバマ大統領は、改めて”アメリカのため”の融和を訴えた。だが、日本屈指のアメリカ研究家である渡辺靖氏は、アメリカ建国の根底には保守思想が色濃く残っていると指摘する。かつて、クリントン政権の民主党がそうであったように、オバマ大統領も保守・共和党との中道政策を見いだすのだろうか? 日本にとって最重要国であるアメリカの”今”を考える──。

今月のゲスト
渡辺 靖[慶應義塾大学環境情報学部教授]


神保 今回のゲストは、最近『アメリカン・デモクラシーの逆説』(岩波新書)を書かれた、アメリカ研究がご専門の慶應義塾大学環境情報学部・渡辺靖教授です。

 ここでは、1月8日にアリゾナ州で起こった銃乱射事件を受け、アメリカ国内にある保守とリベラルの対立について掘り下げたいと思います。また、1月20日でオバマ大統領が就任2周年を迎えました。ちょうどその時期に中国の胡錦濤国家主席が国賓としてワシントンを訪問しているので、米中関係についても議論していきます。

宮台 対中問題は、アメリカを考える上での良い切り口になると思います。大統領が誰であれ、中国の台頭には現実的に対処するしかありません。ところが、特にアメリカの場合、現実主義的な路線を選択しようとすると—-選択するしかないのですが……国民の間で理想主義という名の感情的表出が生じ、結果として国内の分裂が広がってしまう。渡辺さんの本のタイトルにもある通り、これまでもそうした「逆説」が繰り返されてきましたが、それが今後ますますひどくなるのかと思うと、滅入ります。

神保 さっそくですが、アリゾナの銃乱射事件について議論したいと思います。渡辺さんは、この事件をどう見ますか?

渡辺 ティーパーティー運動の中間選挙での躍進、強硬な移民取締法の可決、そして今回の銃乱射事件──アリゾナ州で起こった3つの出来事は、つながっていると考えます。

 根底にあるのは、政府に対する本質的な警戒心であり、「アメリカを連邦政府から取り戻せ」という発想。例えば、ティーパーティーの躍進は、政府が大きくなることについての不満の表出であり、移民取締法の可決は、政府がこれまで移民に対して寛容な態度を取り続けたことに対する不満が表れています。そんな流れの中で、銃乱射事件が起こってしまった。
 
 日本には「政府から国を取り戻せ」という保守は存在せず、これが日米保守の決定的な違いです。アメリカの中には、さまざまな民兵組織や人種差別団体がありますが、よく見ると彼らの主張は共通している。すなわち「連邦政府が寛容な態度を取りすぎた結果、本来アメリカにとってあってはならないことが起きている」という主張です。今回の事件をただの「銃乱射事件」に短絡するのは間違いであり、僕は保守のあり方そのものに関する問題を含んでいるのだという印象を持ちました。

神保 ちなみに、バージニア工科大学でも07年に銃乱射事件が起きています。マイケル・ムーアが『ボウリング・フォー・コロンバイン』で扱った、99年のコロンバイン高校の事件も含め、アメリカでは銃の乱射事件が何度も起きていますが、今回の事件が過去と共通する部分、あるいは異なる部分はなんですか?

渡辺 今回の事件で、民主党の議員の中からは、銃規制を求める声が出てくるでしょう。しかし、これだけの事件を経ても、おそらく銃問題が解決に向かうことはない。アリゾナでは事件発生後、自己防衛のために銃を買う人の数が増えていますし、民主党の議員は全米ライフル協会のようなロビイストの影響から、規制に賛成することができない。そういう意味では、同じようなパターンが繰り返されていると思います。

宮台 僕には、アメリカ国民の「コモンセンスに対する信頼」が失われているとの懸念があります。「銃のせいで凶悪犯罪が増え、それに対する防衛意識で、ますます銃が売れる」という悪循環のせいで、非合理的な水準にまで社会がセキュリティ化し、コミュニティ分断化・相互不透明化・疑心暗鬼化が進んでいます。それが格差放置と犯罪増加につながり、ますます防衛意識が広がって先の悪循環が強化されます。こうしてコモンセンスが崩れます。崩れれば「昔のアメリカはこうじゃなかった」との思いからティーパーティー的表出に拍車がかかります。

渡辺 その結果、コモンセンスの背後に陰謀論を読み取ってしまう。例えば、医療保険改革についても、「民主党は中絶を保険の対象にして、中絶を容認するような社会を作ろうとしているのではないか」と、パラノイア的に分裂しているところがあると思います。

宮台 現状への不満や抑鬱が、政策的な手当の有無という現実主義的問題ではなく、〈最終目標〉たる建国理念への理解無理解という理想主義的問題に、意味加工されちゃう。これでは現実主義的態度が疑心暗鬼の対象になって当たり前。

 アメリカの法哲学者ロナルド・ドウォーキンも指摘しますが、オバマ政権の政策は国民一人ひとりの利益を増進させるもので、全体として理に適っているのに、理に適った政策が激烈な対立を生み、オバマ政権への否定的感情を広げています。客観的には理に適った政策でも、主観的には感情的憤激を招き、理に適った政策で救済されるはずの弱者が、政権に敵対する、という逆説です。
 
 日本でも05年総選挙で同じことが起きました。「政府を小さく、社会を大きく」という新自由主義への、誤解に基づく小泉政権の市場原理主義政策で、最も苦しむことになる都市的弱者が、既得権益構造の一掃という一点でカタルシスを得て、小泉政権に熱狂した。「弱者が、感情的表出を、自らの首を絞める政治に結びつける」といった馬鹿げた事態が多くの先進国で起こっています。コモンセンスが空洞化し、不満が不安と結びついた結果、理に適うか否かへの関心よりも、表出機能の有無にばかり関心が集中するようになります。

渡辺 例えば、ダラスの北方に位置する、ある選挙区には、医療保険未加入者が30%もいます。ところが、その地域は医療保険制度改革に猛烈に反対している。また、モンタナ州の小さな農場を訪ねたとき、「政府から補助金をもらうことは考えないのですか?」と聞くと、非常に苦しい生活の中でも、彼らは「今の自分たちの苦境は、政府の力が大きすぎることが原因なんだ」と答えました。もっとも、それに対して「自分たちの生活が苦しいのは、政府が適切な判断をしていないからだ」という人もいて、なかなかコモンセンスが見いだせません。

神保 アメリカ史を勉強する上で必須の本に『コモンセンス』(トーマス・ペイン)がありますが、一般にはそのコモンセンスが共有されてアメリカという国ができたのだと理解されています。しかし、実際には建国時から、そうした対立が内包されていたということでしょうか?

渡辺 おそらくそうでしょう。合衆国憲法が批准されて、ジョージ・ワシントンが初代大統領の宣誓をしたときに、実はノースカロライナとロードアイランドは、まだその憲法を認めていなかった。だから、当初から政府が「自由を保障する存在」なのか、「自由を制限する存在」なのか、という認識が一致していなかったと考えられます。それが地域的にはっきりと顕在化したのが南北戦争であり、特に80年代あたり、レーガン政権から現代的な意味でのコモンセンスのズレが顕著になってきた印象があります。

宮台 ヨーロッパにはフランス革命後の悲劇から「自由こそが社会の〈最終目標〉なのか」をめぐって自由主義と保守主義の対立があります。アメリカは最初から自由が〈最終目標〉で、この意味での保守主義はありません。代わりに自由主義の内部に、「自由になるために必要な前提を整備するのが政府の役割で、政府は自由実現に不可欠」とするリベラルと、「政府に依存する自由は真の自由でなく、個人の内発性を支えとするものだけが自由だ」とするリバタリアンが分岐します。後者は所有物や家族などの近接性以外を信じないので、旧ヨーロッパのアナキズムに似ますが、アメリカと違って政府を懐疑せずに政策を議論するヨーロッパではアナキズムは傍流です。自由懐疑が議論され、国家を疑わない(アナキズムを切除した)ヨーロッパと、国家懐疑が論争され、自由を疑わない(保守主義を切除した)アメリカとの、対比です。

神保 渡辺さんは著書の中で、ヨーロッパでは「リベラルと保守の分裂」だが、アメリカの場合は「自由を前提としたリベラル内のお家騒動」だと書かれています。近親憎悪のようなものも、対立を激しくする要因なのでしょうか?

最終更新:2011/02/24 10:30
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