「たけし、さんま、タモリの育ての親じゃない!?」故・横澤彪氏の葬儀にBIG3は出席せず
#お笑い #本多圭の「芸能界・今昔・裏・レポート」 #本多圭
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!
今月8日、肺炎のために急死した元フジテレビのゼネラルプロデューサーの横澤彪さんの葬儀が15日に東京の池上本門寺で営まれたが、弔問客の中にビートたけし、タモリ、明石家さんまの姿がなかったことに違和感を覚えた読者は多いかもしれない。
横澤さんは1980年代の”漫才ブーム”のキッカケになったフジテレビ系の『THE MANZAI』や『オレたちひょうきん族』『笑っていいとも!』などのプロデューサーを務めたことでお笑いの仕掛人と言われ、たけし、タモリ、さんまの”お笑いBIG3″の育ての親と、訃報と共に報道された。
だが、横澤さんによって初めてテレビ番組に起用してもらった元B&Bの島田洋七は「たけし、タモリさん、さんまの3人は、横澤さんの力ではなく、実力でのし上がったんですよ」と報道を否定した。
昔、『ひょうきん族』のディレクターだったY氏と六本木のスナックで飲んだことがあった。Y氏は「横澤さんはたまたま、視聴率が良かった番組のプロデューサーだっただけだよ。ディレクターたちが優秀だったから、視聴率が取れたんだよ」と言っていたのを記憶している。
確かに『ひょうきん族』は、たけしが構成まで買って出て作り出した番組だった。漫才ブームにしても、『THE MANZAI』がスタートする前に日本テレビ系の『お笑いスター誕生』でブームの火はついていた。横澤さんの力が関係していたのは間違いないだろうが、どれだけ影響したかは未知数だ。洋七は「『THE MANZAI』と、番組名を横文字にしたのは、わいのアイデアですよ」とも言う。
筆者が記憶する限り、当時、たけしが所属していた太田プロは”営業の太田プロ”と言われて、地方興行やイベントなどの営業に強かったが、女副社長が横澤さんに積極的に接触して、たけしだけではなく、片岡鶴太郎や山田邦子を『ひょうきん族』に出演させて、”東の吉本興業”と言われるまでに急成長した。太田プロが大きくなったのは、同プロを贔屓にした横澤さんの実績といっていいだろう。
前出のY氏は「横澤さんは、お笑いタレントのギャグが面白くないと、耳元で『このギャラ泥棒』と罵るんですよ。冷酷な男だとお笑いタレントからは嫌われてましたね」と言っていた。横澤さんのお笑いに対する厳しさの一面がうかがえるエピソードだが、通夜や告別式に訪れたお笑いタレントが少なかったのも、その厳しさが関係していたのかもしれない。
横澤さんはフジを退社後、吉本興業に”天下り”した。吉本としては横澤さんを入社させることで、フジとのパイプを太くしようと思ったのだが、横澤さんにはそんな力はなく、思惑は見事外れた。
そんな横澤さんの素顔を「死者に鞭打つべきじゃない」とお笑い関係者の誰一人として語らなかったのが、せめても救いかもしれない。改めて合掌!
(文=本多圭)
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