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ロングインタビュー

黎明期を知る”悪役専門”柴田秀勝が語り尽くした「声優のリアル」を聴け!(前編)

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 俳優歴12年目にして『タイガーマスク』の「ミスターX」役で声優デビューを果たした柴田秀勝。近年は『天体戦士サンレッド』のヘンゲル将軍役で若いアニメファンの支持も得ており、今年に入っても『ウルヴァリン』の矢志田信玄役を演じるなど、その輝きにまったく衰えは見られない。

 かつては歌舞伎俳優を志し、アニメどころかテレビ初期からメディアに関わり続けてきた柴田は、声優業の移り変わりをどう捉えているのか。俳優業のスタートと同時に開店した新宿ゴールデン街の会員制バー「突風」を訪ね、今昔の違いについて訊いた。

──アニメーションの草創期には「声優」という職業はあったのでしょうか。

柴田秀勝(以下、柴田) 声優という言葉はなかったです。ラジオはありましたから、それ専門に「放送劇団」というものがTBSにも、NHKにもありました。それが声優の走りと言えば走りですかね。声を専門にやる俳優さんがいたことはいました。人形劇などで共演する機会は、なくはなかったんです。それ以外ではご一緒することはほとんどなかったですね。

──今でこそ大きな業界になっていますが、当時の柴田さんたちにとって、俳優、声優とは、憧れの職業だったのでしょうか。

柴田 僕の場合は俳優に憧れてなったわけじゃなくてね。昔で言う「どもり」、いまは吃音症と言いますが、それを治すために先生に国語の本を無理やり読まされるところからスタートしていますのでね。それを治したい一心で。

──最初から俳優を目指していたのですか。

柴田 当初目標としていたのは歌手なんですけどね。吃音症でも、歌を歌うとどもることがない、と言われていた。だから歌の世界を目指してのど自慢に出たら……(苦笑)、歌をあきらめて歌舞伎の世界を目指したのがきっかけです。歌舞伎を勉強できる大学は3つしかなかったんですよ、学習院と早稲田と日芸(日本大学芸術学部)と。それで日芸に行った。4年間歌舞伎の勉強をして卒業しました。

──当時の青春とはどのようなものだったんですか。

柴田 そんなに大それたものはなかったです。ほとんど勉強ですからね。江戸文学から始まって、理論の勉強。日芸の4年間は本当の意味での学生生活でしたよ。年に一回の学内発表会と卒業公演を目指してね、授業が終わってから稽古をやる。

──そこで歌舞伎の路に進むぞ、と決意されたと思うのですが。

柴田 そうですね、当時、松竹の社長が大谷竹次郎という方でね。このままでは歌舞伎の世界はだめになる、新しい風を入れなければいけないと言って、僕らの3年先輩くらいから関西歌舞伎に就職する仕組みができまして。いわば学士俳優、これを大谷さんが日芸に求めて。関西歌舞伎という具体的な目標を持って練習していました。

──ところが残念なことに関西歌舞伎が潰れてしまって。

柴田 そうなんですよ、卒業の年に関西歌舞伎が倒産しましたからね。結局、行き先がなくなっちゃって。そうこうしているうちにテレビが開局したので、じゃあテレビに行こうか、という。

──吃音が解消されたのはいつ頃だったんですか。

柴田 定かではないんですよね。いつの間にか消えていた。吃音の障害を持っている自分に声優のお仕事ができるなんて、夢にも思っていませんでしたからね。初めて声のお仕事をした『タイガーマスク』に吃音の出やすいタ行の台詞があったんですよ。「タイガーめ!」という。ミスターXは主役の伊達直人=タイガーマスクを目の敵にしている役でしたからね。番組の終わりには必ず「タイガーめ」と言わなきゃいけない。当初はなかなか「タ」が言いづらかったんですよ。ところが含み笑いをしてから言うと、タが出たんですよ。「ふっふっふ、タイガーめ」と。あれは呼吸法でしょうね。タイガーマスク130本の、ちょうど真ん中辺りには治っていたと思います。

──それが役者としての成長のバロメータだったのかもしれませんね。

柴田 そうですね、『タイガーマスク』が終わってからオレにも声優が務まるかもしれないと思い、それから(声優)専門になっちゃったんですよ。悪役専門でね。声優の悪役商会みたいなものですよ。ずっと悪役ひと筋でね。

●「ギャラは七掛け」声優の地位向上のための戦い

──俳優から声優になったとのことですが、声優という職業をどう捉えていたのですか。

柴田 私たちの仲間のなかでは、「声優」と言われることを嫌っていた俳優さんが、たくさんいましたね。私は声優ではなく俳優です、という言い方をしている人が多かった。声優という言葉に抵抗を感じていたんでしょうね。やっぱり自分は役者なんだという思いがあって。今ベテランと呼ばれている方々は、舞台出身であるとか、俳優を兼ねていた方が多いですからね。役者の修行をしているうちに声の仕事が集中して現在に至るということですから、気持ちの上では役者さんなんですね。僕も含めてそうですけど、声優は役者の仕事の一部だという認識は、いまでもありますね。

──声優という職業の捉え方自体が変わってきているのでしょうか。

柴田 最初に声優の養成所を創ったのが青二プロダクションなんですが、その養成所「青二塾」の教育理念は、一流の声優は一流の俳優でもある、というものです。だから声優になるための授業というのはない。あくまでも役者になるための授業の中から、声優を目指す人が出るという。ところがだんだんだんだん世の中が変わってきてね、声優になろうと思って声優の専門学校を出て養成所を出て、アイドルになった連中がたくさんいますからね。僕も今、そういう人たちと一緒に仕事をしているんですけどね、僕らよりうまいですよ、役を演じることを優先してやるものですから、むしろ合わないことのほうが多いんですよ。ところが今の若い人はピシャーッと合わせますからね、口パクに。

──職業観に少し話を戻したいのですが、声優の地位はどのように変化していったのですか。

柴田 『タイガーマスク』のあと、『マジンガーZ』だとか『宇宙戦艦ヤマト』だとか『銀河鉄道999』から、徐々に変わり始めたんですよね。アニメで声をやっているのはどんな奴がやっているんだ、という興味から第一次声優ブームが起こった。それまでは「影師生師の影を踏まず」という言葉があったくらいですからね。声の役者が影師、それに対して俳優さんは生師って言ったんですよ。なんでそんな言葉が生まれのたかというと、(声優の)ギャラが(俳優に対して)七掛けだったからなんです。生ランクの七掛け。僕らがドラマに顔出しで出て1万円とするじゃないですか。僕が1万円のランクでも、声の出演はその七掛けだから、出演料は7,000円。だからアルバイト感覚でしたね、声の仕事が。ちょっとバイトに行ってくる、と言って何の仕事かと思ったらアニメーションだったとか、外国映画の吹き替えだったとか。そういう時代でしたね。

──その慣習はそのまま受け入れていたんですか。

柴田 そのままではあんまりな雇用条件だというので、73年に声優全員が立ち上がってストをしたんですよ。71年に日本俳優連合というのができましてね。それまでは再放送料が支払われていなかった。声優はいまだに、国際的に見ても認められていないんです。英語では「Underground Player」と呼ばれていて、要するに権利が認められていない。お亡くなりになりましたけど、日本放送芸能家協会初代理事長の徳川夢声さんは「人の声を黙って使うのは泥棒だ」と言いました。そこから再放送料を声優にも支払いなさいというストが始まったんですよね。それがきっかけじゃないですか、声優という仕事そのものが認知され始めたのは。

──昔は「Underground Player」という呼び名そのままに黒子でしたよね。

柴田 顔を出すなんてことはありえなかったですからね。いまだに映像の取材を嫌う声優さんもいます、見てくれているファンの人達のイメージが崩れるという理由で。自分がアテているイメージと、どうしてもドッキングするじゃないですか。で、顔を出すとあまりにギャップが出ちゃう。だから出たくないという声優さんもいますよ、ベテランのなかには。いまでは若い人は堂々と出ていますけれども、嫌がる人はまだいますね。

●作画の進化と芝居に求められる「ナチュラリズム」

──柴田さんは現在の状況をどのようにご覧になっていますか。

柴田 業界のなかで囁かれているのは、プロダクションの声優さんは怠け者、だとか、声優さんのお芝居は底が浅いだとか奥行きが無いだとか。相手の心を読む、演じるキャラクターの心を表現するのが役者ですけど、どうしても技術優先になってくると……僕もいろいろなアニメに出演したり見る機会があるんですけれども、みんなおんなじ声に聞こえちゃうんですよ。「萌え萌え」と言って、女性たちが5人くらい同じようなキャラクターで出てくるんだけど、どの声もみんなおんなじに聞こえちゃうだとかね。アニメ声を嫌うだとかいう方もけっこう多いですね、今。作画の技術がガーンと上がってきているじゃないですか。そういう意味では芝居そのものも変わっていかないといけないんじゃないですかね。今、盛んに囁かれているのが「ナチュラリズム」。ただナチュラリズムと言っても、どうしてもアニメーションの場合は誇張された芝居が要求されるのは当たり前なのであってね。その誇張されたなかでいかにナチュラルさを出すかということを求める音響ディレクターや作画監督が増えてきています。

──昨年公開された『プランゼット』という映画では、宮野真守さんが意図してナチュラルな芝居を心がけて話題になりましたが、そういう意識があるんですね。

柴田 ありますね。アニメーションではまだ少ないですけれども。今までなら子ども役は女性声優さんが担当するのが当たり前でしたけれども、本物の子どもを呼んでくるというケースも出始めた(『宇宙ショーへようこそ』など)。特に私のやった作品、『天体戦士サンレッド』という番組があるんですけれども、これなんか声優さんは数人しかいないですから。あと全部素人の方々か、お笑い芸人の方々ばっかりでね。不思議な雰囲気の作品に仕上がって、人気が出ちゃったんですけどね。やってるほうはやりにくかったんですよ、僕はけっこう。でもこれからのニーズは少し変わってくるんだろうし、変わらないといけないのかねぇ。僕らの商売はやっぱり、ニーズに応えることが商売ですからね。

──既にキャリアもあり、演技が確立した柴田さんのような大御所の方をあえてミスマッチ気味な配役(フロシャイム西東京支部の幹部怪人、ヘンゲル将軍)で起用するという面白さが『サンレッド』にはありますね。

柴田 始めは戸惑いましたけどね。お笑い芸人さんと一緒にどうやってやるんだろう、オレたちは書かれたことしか言えないよ、と。あの人たちはアドリブを飛ばすのは日常的なことですからね。だから始めたばかりのときは戸惑いましたよ。
後編へつづく/取材・文=後藤勝/写真=木下裕義)

●しばた・ひでかつ
1937年、東京都生まれ。大学卒業後、関西歌舞伎を経て、58年に俳優デビュー。69年、俳協のマネージャーだった久保進らと共に青二プロダクションを設立。同年の『タイガーマスク』(=ミスターX役)を皮切りに声優として数多くの作品に出演している。また、ナレーターとして第28回国際産業映画・ビデオ祭文部大臣賞、第29回国際産業映画・ビデオ祭通商産業大臣賞受賞。近作に『鋼の錬金術師』(キング・ブラッドレイ役)、『ONE PIECE』(モンキー・D・ドラゴン役)等。73歳の現在も精力的に出演作を重ねながら後進の指導にあたっている。

 * * *

 柴田秀勝氏が53年の役者生活をもとに「声優のリアル」を語るイベントが、3月に開催される。声優という仕事、俳優という生き方をもっと知りたいあなた、ぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。
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●「Respond! You!! -聞きたくねーか?本音のハナシ。」
2011年3月20日(日) 13時開演~16時終演予定(最大延長 16時半)
阿佐ヶ谷ロフトA http://www.loft-prj.co.jp/lofta/
出演:柴田秀勝(声優 青二プロダクション所属) 飯田里樹(音響監督 ダックスプロダクション所属)

詳細は「声優のリアル」公式サイト
<http://www.real-seiyu.net>

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最終更新:2011/01/26 12:55
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