アキバは140年前からモエていた!?『アキバ☆コンフィデンシャル』
#本 #オタク #秋葉原
秋葉原という地名は、1869年、神田花岡町(現在の秋葉原駅一帯)で大火事があり、1万2,000坪もの焼け野原が発生したことに始まる。ときの政府は、火災時に火が燃え広がないように広大な空き地「鎮火原」と「鎮火社神殿」をこの地に設けた。当時、火防の神様といったら遠州の秋葉大権現が有名であり、近隣の住民はこの”秋葉大権現とは何の関係もない”鎮火社殿を「秋葉神社」と誤解し、周りの鎮火原を”あきばがはら”呼ぶようになった。1890年、国鉄・秋葉原駅が開業される際、官吏のミスから”あきはばら”とされ、以降、アキハバラとして定着した。
アキハバラは街の興りからして”もえ”ていたようだ。『アキバ・コンフィデンシャル』(長崎出版)は、アキバ系文化に精通したライター・来栖美憂氏が、その壮大なる秋葉原史を世界史風に解説した本だ。黎明期としてのラジオポタミア文明、無線を取り扱うムセ系民族、迫害を受けたヲタクヤ人など、世界史の単語をもじって秋葉原の遷り変わりをユーモアたっぷりに、わかりやすく紹介している。「コミックとらのあな」社長の吉田博高、「@ほぉ~むカフェ」社長の河原美花、「格闘ゲームの神」ウメハラなどが、歴史上の重要人物としてイラストで描かれていて面白い。
長く電気街として栄えていた秋葉原が変化を迎えたのは70年代後半。家電が一般家庭に普及して家電販売が伸び悩み、実用家電から趣味家電の店が増え、マイコンと呼ばれていたPCの発売、マンガ・アニメなどおたく文化の始まりにより多様化し、15年……20年……、と長い時間をかけて、家電の街は徐々に混沌としたアヤシゲな雰囲気の街へと様変わりしていった。なんでも受け容れる懐の広さと”カオス感”が秋葉原の魅力であったが、それゆえに風紀の乱れ、ゴミの散乱や過激な路上パフォーマンス、アキバ狩り、メイド狩り事件、そして世間を震撼させた秋葉原無差別殺傷事件などが起こり、必ずしも”ユートピア”とは言えない状況にある。
電気の世界を駆け巡っていたオノデン坊やももう中年男になっているのだろうか。坊やが大人になるように、秋葉原も時代とともに変わっていく。この本は、秋葉原がいかに変化を遂げてきたかを見せてくれる壮大なアキバ叙事詩だ。秋葉原が硬派な電気街であったことを思い出し、過ぎ去った萌えの時代に思いを馳せる。神田川の流れのようにたゆたう秋葉原こそが時代そのものであると言えるのかもしれない。
(文=平野遼)
●来栖美憂(くるす・みゆう)
性別・年齢ともに不詳。ゲーム、漫画、アニメ、特撮、メイド、コスプレその他アキバ系の文化に精通。一部はその身で実践済み。週刊誌記者からスタートした文筆稼業は、政治からサブカルまで硬軟自在。漫画原作、ゲーム製作、そしてアイドルプロデュースと活動範囲を拡大中。アニソン文化に詳しく各方面で活動中。
Twitter ID:mewzou
歴史あり。
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