事件を密着取材していた民放キー局取材班の不可解な動き
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私大職員の原田信助さん(当時25歳)の自殺の影に、新宿警察署とJR新宿駅という二つの「当局」の理不尽な仕打ちが原因している可能性については既報(【1】、【2】)の通りだが、今回の事件では、組織防衛のために事実の隠蔽工作を図り、遺族である母・尚美さんを苦しめた存在が実はもうひとつある。夜のニュース番組を看板に持つある在京民放キー局である。ここでは仮に「A局」とする(尚美さんの要望により局名は伏せる)。
A局人気ニュース番組の制作会社のディレクターI氏が、事前連絡もなく尚美さんの密着取材を開始したのは、事件5カ月後の今年5月上旬だった。前年の12月に新宿で起きた信助さんの事件は、しばらくの間世間に広まることはなかったが、5月7日に夕刊フジが特集記事を組んだことをひとつのきっかけに、ネット上に情報が拡散するなどして世間の耳目に広く触れることになる。A局が取材を開始したのはその直後だった。
Iディレクターはある日突然表れ、「追っかけ取材をしますので」と言うと、尚美さんが行く先々にどこまでもついて回った。数日後から撮影クルーが加わり、早稲田駅ホームで献花をしているときも、カメラが至近距離から迫ってきた。新宿駅のビラ配りでへとへとになり、一人になりたくても、クルーは常に尚美さんの疲れた表情を撮り続けた。
尚美さんは、人生でこれまでテレビの取材を受けたことがなかった。だから、世の中でそういうことがあるときは、きっと局の担当者が「こういう趣旨でこのくらいの期間を撮りますがよろしいですか」という類の相談が事前に来るのが普通だろうと、漠然と思っていたという。
「A局の方たち(編註:正確にはA局のニュース番組の制作会社)はある日突然現れまして、いきなり私のことを撮りはじめました。もちろん驚きましたし、カメラを向けられ続けることも正直辛かったのですが、これが放送されて事件の存在をたくさんの方に知ってもらい、目撃者が現れて息子の無実が少しでも明らかになればという望みもありました。自分が我慢すればいいことだと思ったんです」
それから撮影は週数日程度のペースで続き、多いときは2~3日続くこともあった。そのうち、他のキー局のN局やT局からも取材の申し込みがあったが、尚美さんはこれを断わっている。なぜか。尚美さんは次のように説明する。
「密着取材をしていたA局のIさん(ディレクター)から『他局の取材は全部断わってください』と強く言われていたんです。『他で(番組を)流されたら、追っかけでやってる意味がない』と。どうせ取材を受けるのであれば、複数の番組で取り上げてもらったほうが、目撃者が見つかる可能性がより高くなるとも思ったのですが、Iさんは私や顧問弁護士のHさんにかなり強くお願いをしてきましたので、H弁護士も『長期間取材してくれているし……』ということで、他局の申し込みはお断りしてきたんです」
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