いま見ても面白い! アングラ演劇を支えた巨匠たちのアヴァンギャルド・ポスター
#アート #演劇
横尾忠則、赤瀬川原平など、今では著名な美術家と呼ばれる人たちの多くが演劇のポスターを手掛けてきたことはあまり知られていない。特に「アングラ演劇」全盛と呼ばれた1960〜70年代にかけて、ポスターは舞台と同じように必要不可欠な存在であり、その影響力は計り知れないものだったという。寺山修司率いる「天井棧敷」や唐十郎の「状況劇場」、そして佐藤信の「黒テント」など、数々の劇団が今でも名作として受け継がれているポスターを作り続けてきた。
演劇界のみならず美術界にまでその影響を及ぼした当時の革命的なポスターたちはどのようにして誕生したのだろうか? 「株式会社ポスターハリス・カンパニー」として演劇のポスターを貼り続け、先日『ポスターを貼って生きてきた。就職もせず何も考えない作戦で人に馬鹿にされても平気で生きていく論』(パルコ出版)を出版した笹目浩之さんが主催するトークイベント「あらあらしい時代の空気を吸い込んだポスター」が行われた。ともにアングラ演劇傑作ポスター集『ジャパン・アヴァンギャルドーアングラ演劇傑作ポスター100』(パルコ出版)を手掛けたカマル社の桑原茂夫氏、アートディレクターの東學氏をゲストに迎え、演劇ポスターの魅力について熱く語り合った。
■タダ同然でつくっていたポスター
そもそも、今も昔も劇団には金がない。そんな経済状況の中でも、劇団にとって、ポスターを作成することは必須のことだったという。しかし、支払われるギャラもほとんどない中で、どうして美術家たちはポスターを書き続けてきたのだろうか?
桑原「70年代の頃ってデザイナーは演劇ポスターでは誰も食えなかったんです。ほとんどのデザイナーがタダ同然でデザインしていたんですよ。それでも、B全サイズ(728mm×1030mm)のポスターを作品として作れるということにデザイナーとしてはメリットがあった。それが町中に貼られることで自分のプレゼンテーションにもなるわけです」
笹目「たしかに昔のポスターにはお金の感覚がなかったですよね。デザイナーにとってはB全ポスターを作ることが最大の夢だったんです」
桑原「その意欲がデザイナーにもあったんですよ」
笹目「クマさん(篠原勝之)のポスターも横尾さんのポスターも、芝居を見てなくてもポスターから芝居が蘇ってくるようなイメージがあるんです。以前『ジャパン・アヴァンギャルド』を出版した時も、飲み屋とかで若い人に見せるとすごく気に入ってくれるんです。唐十郎の文字を見て『”とうじゅうろう”って誰ですか?』とか言われちゃうんだけど(笑)。この当時はポスター自体の威力が違うんだよね」
東「僕がデザイナーになったきっかけは、天井棧敷の『レミング』のポスターを見たのがきっかけだったんです。それから演劇のポスターを調べまくったんですが、そうしたら横尾忠則さん、宇野亜喜良さん、粟津潔さん……そうそうたるメンバーの作品が出てきたんですよ。それが芝居のポスターを作ろうと思ったのがきっかけだったんです」
(右)「星の王子さま」D:宇野亜喜良 1968年
(『ジャパン・アヴァンギャルド アングラ演劇傑作ポスター100』より )
■ポスターにこだわる理由とは?
美術家たちがタダ働きでも作りたがったポスター。しかし、当時はオフセット印刷ではなくシルクスクリーンの時代。ポスターを印刷するには今以上に手間も時間もかかっていたことだろう。それにも関わらず、どうしてアングラ劇団たちはポスターにこだわったのだろうか?
笹目「何でポスターをつくるかというと公演を宣伝する目的の他に、劇団を結束させる旗印のためにポスターを作っていたんです。ポスターによって、スタッフや劇団員の結束が高まっていた部分が大きいですよね」
桑原「劇団員のアイデンティティを高めるためということもあった。ポスターに対しても劇団員みんながすごく愛着を持っていたんです」
桑原「横尾さんが手掛けた状況劇場の『ジョン・シルバー』のポスターは公演の初日に間に合わずに、終わった日に出来上がってきたんだよね」
笹目「よく見ると小さい文字で『遅れたことをお詫びします』と入ってるんですよね」
桑原「この時代のポスターの意義を表しているよね。ポスターそのものが演劇と拮抗する作品だったんです」
街頭や居酒屋に貼られたポスターは、宣伝だけのための物ではなかった。笹目さんも著書で「ポスターを旗印に劇団が戦っていた」と書くように、劇団にとっても観客にとってもポスターにもさまざまな意味が込められていたのだ。
(右)「ブランキ殺し上海の春」D:平野甲賀 1979年
(『ジャパン・アヴァンギャルド アングラ演劇傑作ポスター100』より )
■ポスターは時代を映す鏡
現在は、ポスターを貼るだけにとどまらず、その収集・保存プロジェクトを実行している笹目さん。これまでにその数は2万枚にまで上っているという。街角に貼られ、時代とともに失われていくようなポスターたちを収集する意義とは一体なんだろうか? 笹目さんの思いを代弁するように、桑原さんはこう語る。
桑原「この時代のポスターが簡単に見られる状況を作っていくことはとても大事なことだと思いますね。ポスターは時代の空気をそのまま表現している。だから”とうじゅうろう”さんのポスターが欲しいと若い人も思えるんじゃないかな。文化がどのように作られるのかが見えてくるのがポスターなんです」
映画、演劇、美術など、さまざまな芸術運動に今では考えられないような勢いがあった60〜70年代の時代。そんな「あらあらしい時代」の空気をたっぷりと含んだポスターたちに注目することで、時代の空気が垣間見えてくる。街角に貼られたポスターの数々、そこから時代の空気を読み取ることができるだろう。
(取材・文=萩原雄太[かもめマシーン])
●笹目浩之(ささめ・ひろゆき)
1963年茨城県生まれ。87年株式会社ポスターハリス・カンパニー設立し、演劇のポスターを貼り続けている。また、60年代以降の舞台芸術系ポスターを収蔵し、各界の研究や演劇自身の活性化に役立てている。
●桑原茂夫(くわばら・しげお)
『現代詩手帖』編集長を経て、76年に編集スタジオ”カマル社”設立。唐十郎と親しく、著書に『図説・不思議の国のアリス』『ジャパン・アヴァンギャルド』など多数。
●東學(あずま・がく)
1963年、京都生まれ。父は扇絵師である東笙蒼。幼い頃から絵筆に親しみ、アメリカのハイスクール時代に描いた『フランス人形』はニューヨークのメトロポリタン美術館に永久保存されている。20歳でグラフィックデザイナー・アートディレクターとしての頭角を現し、主に舞台やテレビ、音楽関係などのグラフィックワークを手がける。97年、世界的に活躍する劇作家・松本雄吉にアートワークを認められ「維新派」の宣伝美術に就任。
ジャパン・アヴァンギャルド -アングラ演劇傑作ポスター100
美術的価値大。
ポスターを貼って生きてきた。 就職せず何も考えない作戦で人に馬鹿にされても平気で生きていく論
ポスター愛。
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