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【元木昌彦の「週刊誌スクープ大賞」第70回】

のりピー再生計画ついスタート! 朝日が50時間超え独占インタビュー!

asahi1130.jpg「週刊朝日」12月10日号より

●第70回(11月23日~11月30日発売号より)

スクープ大賞
「待望スクープ!50時間超 酒井法子 のりピー 独占インタビュー」(「週刊朝日」12月10日号)

 噂されていた酒井法子の独占インタビューがベールを脱いだ。掲載したのは、巷間、いわれていたように朝日だった。

 今週は、この大スクープに比肩する記事は見当たらないので、これ一本をスクープ大賞に推す。

 記事によれば、インタビューは今年2月上旬から始まって、全部で50時間以上に及んだという。インタビューしたのは朝日編集部の藤田知也氏。「あっぱれ!」である。近々、このインタビューをまとめた酒井の自叙伝が、朝日新聞出版から出されるようだ。

 今回は、独占インタビューの第1回で、逮捕時の様子、なぜ現場から逃げたのか、覚醒剤を始めたきっかけ、なぜ夫の薬物を止められなかったのか、などについて涙ながらに語っている。

 しかし、全体を読んだ印象は、きれいごとしか言ってないと思わざるを得ない。推測するに、酒井の周辺に、彼女の芸能界復帰を仕掛ける人間たちがいて、そのための第1弾だから、話す内容への制約が多くあったのだろう。

 酒井側と朝日側の「妥協」の産物だから、致し方ないか。

 2009年8月2日、日本中がアッと驚いた事件の幕は、夫・高相からの電話で切って落とされた。

 そのとき酒井は、友人の誕生祝いのためのシャンパンを空けていたところだった。高相に救いを求められた彼女は、渋谷へ向かう途中、母親と数十年来の友人で法律にも詳しい建設会社社長に連絡を取る。

 渋谷へ着くと、警察官に巾着袋の開示を求められ、狼狽する夫の姿があった。高相は彼女に「ごめんね」と言ったそうだが、「身に迫る”危険”にようやく思い至り、酒井は次第に混乱していったという」(朝日)

 そこから会長の車で自宅に戻り、当座の荷物をカバンに詰めて「逃亡生活」が始まるのだが、酒井は「逃げる、という意識では本当になかったと思います。とても怖かったのと、ひどく混乱していて、これから何をどうするべきか、ただ落ち着いて考える時間がほしいと思っていました」と語る。

 しかし、「身に迫る危険」=自分も覚醒剤をやっていたので逮捕されるのではないかという自覚はあったのではないか。夫が薬物所持で逮捕されたにもかかわらず、数日経ってからそのことに考えが及んだと話している。

 彼女は1週間近く、会長の車で転々と移動する。

 事件当初から、この逃亡は覚醒剤を体から抜くためだったのではないかという疑惑が根強くあるが、朝日は「言うまでもないことだが、深夜に薬物を体内から抜くための病院などには立ち寄っていない」と、こうした見方を全面的に打ち消している。

逮捕状が請求され、逃げ切れないと思った彼女と周辺の人間たちは、会長からの電話で、「警察へ出頭する段取りが付けられた」(朝日)。

 逮捕当時、自宅に残されていた微量の覚醒剤所持について、酒井はこう供述したとされている。「自宅に薬物があったとすれば、(自分のものに)間違いありません」。これをマスメディアは、巧妙に練られた供述だと指摘したが、これは刑事の問いかけに何も答えられず、頷いたり首を振っているうちに作られた「作文」だと話しているようだ。

 奄美大島での薬物使用について追及が及ぶと、夫がすでに供述しているにもかかわらず、3週間近くも彼女は頑なに否認し続けた。

 その理由は、息子と一緒の家族旅行だったので、息子にとっての楽しい思い出が汚れてしまうと思ったからだった。息子への母の愛という、お決まりのストーリーが随所に見られるのも、このインタビューの「価値」をやや減じている気がしてならない。

 さて本筋の、覚醒剤をやり出したきっかけだが、逮捕の4年前、自宅マンションで夫が吸引する現場を見つけ、説明もなく「スッキリするからやってみる?」と言われ、問い質すこともなく誘いに乗ったという。

「あのとき拒絶していれば、いちばん良かったんですよね」

 勧めてきた人が、自分のいちばん信頼していた人だったことが大きかったというのだが、彼女の幼稚さがよく出た言葉ではある。

「勧められて始めたとしても、それを拒否してやめさせるのが普通でしょう。勧められたにしても、それで使ってみようと決めて、実際使ってしまったのはわたし自身です。その事実は決して変わらないから、悪いのは自分でしかないんだと考えています」

 しばらく薬物には手を出していなかったが、逮捕される1年ほど前から、夫婦に別れ話が持ち上がった際、夫が勧める薬物に再び手を伸ばしたという。

 その理由は、夫婦関係をつなぎとめておくためには、薬物を使うと二人っきりの秘密を抱え込んだようになり、強い絆で結ばれているような錯覚になれたからだという。今度は、信頼していない男からの勧めでも、薬物に手を出してしまうのだ。

 薬物を使って夫婦で「何を」したかについては一切触れていない。自叙伝には書いてあるのかな?

 薬物の再犯率が高いことにも触れている。

「今は大丈夫でも、いつまた何かのきっかけで手を出したくなるとも限らないと、多くの人に心配されているのはわかっています。(中略)もう二度と薬物に手を出すことはないと、今はハッキリと誓うことができます」(酒井)

 最後に、芸能界への復帰には、含みのあるいい方をしている。

 こうした大スクープをとるために費やした記者の努力には、拍手を惜しまない。

 だが、彼女にはきついいい方になるが、この程度の反省の言葉では、のりピーファンは涙するかもしれないが、多くの人間を納得させることは難しいと思う。 

 今年の夏に亡くなった芸能レポーター梨元勝さんが生きていたら、この手記を何と読むだろうか。きっと、みなさん、こうした美辞麗句に騙されてはいけませんよというのではないか。ね、梨元さん。
(文=元木昌彦)

motokikinnei.jpg撮影/佃太平

●元木昌彦(もとき・まさひこ)
1945年11月生まれ。早稲田大学商学部卒業後、講談社入社。90年より「FRIDAY」編集長、92年から97年まで「週刊現代」編集長。99年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長を経て、06年講談社退社。07年2月から08年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(2006年8月28日創刊)で、編集長、代表取締役社長を務める。現「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催、編集プロデュースの他に、上智大学、法政大学、大正大学、明治学院大学などで教鞭を執る。

【著書】
編著「編集者の学校」(編著/講談社/01年)、「日本のルールはすべて編集の現場に詰まっていた」(夏目書房/03年)、「週刊誌編集長」(展望社/06年)、「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社/08年)、「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス/08年)、「競馬必勝放浪記」(祥伝社/09年)、「新版・編集者の学校」(講談社/09年)「週刊誌は死なず」(朝日新聞社/09年)ほか

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テレビ出まくるんだろうな。

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最終更新:2010/11/30 18:00
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