不適切な構図と問題は「調活費」! FD改ざん事件は「検察不信」へのガス抜きだ!!
われた男の告白』。
──メディアはもちろん、総理大臣をはじめとする時の権力者でさえ恐れる日本最強の捜査機関「検察」。なぜ、彼らはそれほどまでに検察を恐れるのか。そこには、不祥事を経ても決して浄化されることのない腐敗の構図と、ほかでもない大手メディアとの”不適切な関係”が存在した──。
大阪地検による前代未聞の証拠改ざん・隠ぺい事件は、次々と立ち上る検察追及の狼煙だったのかもしれない。広島地検の聴取メモ廃棄、高知地検の署名・なつ印偽造、そして東京地検特捜部内でも取りざたされる証拠改ざん……続々と疑惑は持ち上がり、大手メディアは検察バッシングにひた走っている。
あれほど”聖域”といわれた検察なのに、もはやタブーではなくなったのか。大手紙の社会部デスクが語る。
「いや、この程度ではトカゲの尻尾切りにすぎない。大阪地検前特捜部長のような中堅幹部を逮捕したり、地方の高検検事長クラスを引責辞任させるレベルにとどまっているからね。肝心の検事総長は続投宣言をする始末で、検察上層部は責任を取ろうとしない。メディアも大阪地検の不祥事を垂れ流して世論のガス抜きを図るばかりで、検察本体の温存に手を貸しているんだ」
これはなにも今に始まった話ではない。スキャンダルに揺れるたびに検察と大手メディアは手を携え、危機を脱してきたのだ。その”不適切な関係”をつぶさに見ていこう。
■女性問題に矮小化された”則定スキャンダル”
検察を震撼させたスキャンダルの原点といえるのが、「噂の眞相」99年5月号が報じた則定衛東京高検検事長(当時)のスキャンダル。則定氏は銀座のホステスを公務出張に同伴させ、しまいに妊娠させた上、堕胎費用を民間業者に捻出させた、と報じられた。
次期検事総長候補のスキャンダルだけに、腰の引けた司法記者クラブは黙殺するものとみられていたが、ひとり朝日新聞が1面トップで大きく取り上げたことから、則定氏は雑誌発売のわずか3日後に辞任へと追い込まれた。全国紙の司法デスクが当時の朝日の置かれた状況を明かす。
「それ以前、則定さんによって、朝日のネタ元だった”捜査派”の熊崎勝彦特捜部長(当時)が任期半ばで飛ばされたり、同じくネタ元だった石川達紘東京地検検事正(同)も身動きが取れなくなった。一方、則定さんに食い込んだ読売新聞などはスクープを連発。そこで、”捜査派”と利害の一致する朝日が則定さんに意趣返ししたんだ」
こうした朝日と”捜査派”検事による「共謀説」は当時かなり流布されており、なるほど、事実関係もその通りに違いない。だが……法務・検察のほぼ頂点に立つ人物がすんなり辞任したことに、首をかしげる向きが多かったのも事実。実際、朝日の報道を受けても則定氏は「自ら進んで辞任などしない」と周囲にぶちまけており、明らかに別の力が働いたための失脚だった可能性が強かった。この謎をめぐり、このほど検察関係者が重い口を開いた。
「実は、当時の法務・検察上層部は、検察庁や公安調査庁の裏ガネである『調査活動費』をふんだんに使っていたんだ。則定さんはその筆頭格。もし、この調活費にメスが入り、私的流用が暴露されたら、上層部は芋づる式に挙げられる。それを懸念した一部が、当時の野中広務官房長官に相談を持ち掛け、則定さんのプライベートな問題だけを理由に彼を切り、法務・検察組織の温存を図ったんだよ」
しかも則定氏は、野中氏にとって仇敵だったというから穏やかではない。
「1990年代、自民党を飛び出した小沢一郎さんが連立政権を作って政権交代したとき、法務・検察の中で真っ先に小沢さんの元に走り、出世レースを勝ち抜いたのが則定さんだった。だから、自民党が政権与党に復帰して野中さんが官房長官に就任すると、則定さんは一転、窮地に立たされた。すでに検事総長候補にまで出世した則定さんのクビを切れるのは、もはや官邸しかなかったからね。スキャンダル報道を機に辞任を迫ったのは、実は、ほかならぬ野中さん本人だったんだよ。ちなみに則定氏は、その後も小沢さんとは昵懇の仲。昨年以降は、小沢さんの事実上の法律顧問となって弁護に当たっていたね」(前出・検察関係者)
それにしても、官邸とつるんだ調活費問題の封じ込めなど、当時の大手メディアは触れておらず、検察幹部の女性問題に矮小化して報じていたわけだ。ところがその3年後、思わぬところから調活費問題が再燃することになる。
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