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本多圭の「芸能界・今昔・裏・レポート」Vol.79

“明菜利権”に群がる大人たちに翻弄された稀代のアーティスト中森明菜の人生

nakamoriakina1101.jpg『中森明菜シングルス27 ′82-91』
ダブリューイーエー・ジャパン

芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!

 中森明菜が体調不良で”無期限活動休止”を発表したことで、重体説まで飛び交っている。

 デビュー頃から、明菜のスキャンダルを取材してきた筆者としては、かつて”明菜利権”に有象無象の人間が群がり、それによるストレスから、彼女がムチャクチャな私生活を送っていたツケが、とうとう爆発したのではないかと想像してしまう。

 明菜は、松田聖子と並んでアイドル歌手の頂点に上り詰め、80年代の歌謡界をリードしてきた。しかし、その一方で、近藤真彦と深い関係に陥り、マッチと一緒にいたいがために相次いでコンサートをドタキャン。また、マッチとの痴話喧嘩が原因で自殺未遂を繰り返していた。そして、89年7月に起こしたマッチ宅での自殺未遂騒動で明菜の人生は変わってしまった。

 自殺未遂後、担ぎ込まれた病院にいち早く駆けつけたのは、所属していた研音のスタッフではなく、マッチの母親代わりだったジャニーズ事務所のメリー喜多川副社長だった。メリーさんは、いかに明菜が研音に搾取されているかというデタラメな情報を吹き込んで、明菜と研音の関係にひびを入れた。その結果、明菜は翌年に研音から独立。マッチの担当だったという元ビクターのディレクターだった小杉理宇造(現ジャニーズ・エンタテイメント代表)と個人事務所コレクションを設立したが、活動を再開しないうちに小杉が降りてしまい、はしごを外されてしまった。

 その後、マッチとの関係も解消。ひとりぼっちになってしまったのだ。だが、女優としての活動も評価されはじめた。才能豊かな明菜の周辺には、その利権に群がる連中は後を絶たなかった。

 記憶に残っているのは明菜が一時、”お母さん”と慕っていた自称・制作会社社長のK女史だった。留学詐欺まがいのようなことをやっていたK女史に明菜の事務所の経営を務められるわけがない。マネジメントに失敗したK女史は明菜を、写真集の契約を一方的に破棄したと訴え、明菜の暴露本で一儲けしてどこかに消えた。その後、ロサンゼルスで”私は中森明菜の育ての親なのよ”と吹いているおばさんがいると聞いて大笑いした。

 その後も明菜が”お兄ちゃん”と慕っていた六本木のバーテンダーEが恋人兼マネージャーになったり、萩原健一の元事務所社長で”金銭トラブル”で芸能界を追われていたSや元暴力団関係者がマネジメントを担った。他者への依頼心が強い一方で、マネジメントと衝突し続けてきた明菜は、ストレスを解消するために毎日のようにウオッカをロックであおり、泥酔状態が続いた。さらに食べ物にはタバスコをふんだんにふりかけ、真っ赤になった状態で食していたという。体を蝕む生活を送っていた。

 そんな自堕落な生活から抜け出したのは、恋人といわれる年下のマネジャーと10年前に個人事務所を設立してからだ。レコード会社もユニバーサルミュージックに移籍し、近年はオリジナルアルバムだけではなく、ベストアルバムやカバーアルバムも発表し、どれも及第点がつくヒットをした。今では、「明菜はユニバーサルの”隠れたドル箱”」といわれていたほどだ。

 そんな中での今回の休業宣言。トップアイドルに頂点に上り詰めた後、これだけ不幸な人生を歩んだ歌手はいない。やっと光明が見えてきただけに、一日も早い回復を期待したい。
(文=本多圭)

中森明菜シングルス27 ′82-91

名曲、数限りなく。

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最終更新:2013/02/14 11:11
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