なぜ「ニート」は話題になったのか!? 社会問題は結果を求めよ!(前編)
#荻上チキ #プレミアサイゾー
■今回の提言
「社会学者は言説分析から、 行政へコミットを目指せ!」
ゲスト/井出 草平[社会学者]
──社会の現状を打破すべく、若手論客たちが自身の専門領域から、日本を変える提言をぶっ放す! という本連載、今回は社会学者の井出草平さん。もはや社会に定着しきった「ニート」「ひきこもり」という言葉が生まれた背景から、若者論のこれまでの流れ、そして社会学は今この状況下で何ができるのか? 自戒を込めて考えます。
荻上 今回お招きしたのは、07年に『ひきこもりの社会学』(世界思想社)を上梓された社会学者の井出草平さんです。90年代末から00年代頭にかけて、「(社会的)ひきこもり」や「ニート」という概念が浮上し、それまで想定されてこなかった社会問題が若年層を中心に広がっていることが「発見」されました。これらの概念は、基本的には「社会から逸脱してしまった彼らを、いかに包摂していくか」という目的のために唱えられたものですが、メディアで拡散されていく過程で、多くの論争を引き起こし、時には「甘えだ」「叩き直せ」といった若者叩きの文脈で、政策論議にとってはノイズとしか言いようのないバッシングにもさらされました。
ひきこもりについての丹念な実態調査と的確な問題設定によって、若手の中でも一線を画した研究活動をされている井出さんですが、厚生労働省や大阪府で、具体的な政策提言のアウトプットを出していくミッションに携わっておられます。ひきこもりという社会問題を解決するため、時に精神医学や経済学など、他領域の知見を用いつつ、「可能なる処方せん」を実効的に共有しようとする姿は頼もしい限りです。今回は、ひきこもりやニートが社会問題化されていった動きをモデルケースとして検証しながら、社会問題の解決のために社会科学者が果たすべき役割についてお話しできればと思います。
井出 引きこもりの社会問題化は今から10年ほど前に起こりました。社会問題化の中心にあったのは斎藤環さんが98年に書いた『社会的ひきこもり』(PHP新書)という本でした。昨年度までに国で予算化されたひきこもり対策予算は、厚生労働省保健局管轄のひきこもり地域支援センターという事業のみです。ひきこもりという問題が日本に存在することを周知させるのには成功しましたが、対策予算を出すことには成功したとは言いがたい。その理由は、ひきこもりという概念が当初から、予算化を狙って作られた概念ではなかったことが大きいのではないかと思います。斎藤さんの長年にわたる取組みと、社会的な関心が偶然にも一致したわけです。
一方、ニート問題の場合ですと、完全に行政の俎上に上るよう意図的に社会問題化されていったという点が重要ですね。04年に『ニート──フリーターでもなく失業者でもなく』(幻冬舎)を出した労働経済学者の玄田有史さんらをはじめ、社会学畑の小杉礼子さんや宮本みち子さんといった人たちによる、これまでは労働組合とか共産主義のイデオロギー的なものに結びつきやすかった雇用や職業問題の枠組みを、政府の施策として取り組み可能なものに変えていこうという目的意識があった。それでニートというカタカナ語で、さも海外の普遍的な問題を輸入したかのように若年失業者・無業者の問題をパッケージングして、政策課題に乗るようにしたという面があります。そうした玄田さんらの議論の恣意性に対して、06年に教育学者の本田由紀さんらが『「ニート」って言うな!』(光文社新書)を出して、玄田さんらの「ニート」の問題化がことさら若者をモンスター視する擬似問題化だと喝破することで議論が進んできたという経緯がありました。
こうした対立図式での論争は、言論の世界では明快でわかりやすかったし、話題にもなったと思うんですけど、現実の政治面では、行政の側でニートという言葉にかけた若年就労問題の予算が現在までつき続けているという点で、玄田さんたちの圧勝ですよね。
荻上 メディアに広がる通説の誤りは正しても正してもきりがないが、決して看過はできないものなので、丁寧に応答する必要はあります。ただ振り返り見ると、そうした応答の多くは、カウンターパンチとして輝くものの、新しい議論の土壌、政策的な枠組みを提示しきれないものも少なくない。これは主に自戒ですが、僕を含め、メディア上で神話化しつつある通説や流言に対する中和的介入を行う論客が00年代には目立ったと思いますが、今後はますます、消極的介入にとどまらない、説明的な提案と土台作りの実行フェーズにどれだけコミットできるかが問われていると痛感します。
井出 そうですね。『「ニート」って言うな!』に関しては2つ思うところがあって、ひとつはやはり、「結局どうすればいいか」が書かれていないという点。もうひとつは、本田さんたちが世の中にニートが増えているという見方への反駁の根拠として掲げている、就職希望をそもそも表明していない「非希望型」の若年無業者たちの数は一定だという主張をしたこと。その指摘は正しいけれども、玄田―小杉が問題としていたのはそこではなかった。むしろ就職希望を表明しながら求職活動をしていない、もしくはできない「非求職型」の増加だったんですよね。ニートは実態として増えているのにも関わらず、本田さんたちの本などによって、増えていないという指摘が「正しいもの」として流通してしまった。
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