AKB48″腕切断”グロPVがシングル収録中止に 賛否両論の真相とは?
#アイドル #AKB48
センターを7人でローテーションするAKB48のニューシングル「Beginner」(10月27日発売/キングレコード)。そのPVは、映画『下妻物語』『嫌われ松子の一生』『告白』で知られる中島哲也監督が手がけ、日本武道館で開催された”じゃんけん大会”で初公開されたが、その衝撃的な内容に注目が集まった(記事参照)。
ゲームに没入する若者への警鐘と「痛みを通して”生”の意味を問う」という中島監督の確固たるメッセージが集約された作品だが、「Beginner」への収録が中止になることが、野外ライブ『東京 秋祭り』で発表された。同シングルには、中島監督が再編集したダンスパートとメイキング映像によるPVが収められ、「AKB48のファン層が小中学生に拡大したことを配慮した」と報告された。ライブでは、その制作意図があることを説明した上で、再びファンの前で上映された。現場に参加したAKB48劇場通い4年11カ月の”古参ヲタA氏”は次のように明かす。
「CMでPVの一部は公開されていますが、”じゃんけん大会”に続いて改めて2回目を見て、凄まじい作品だと思いました。ゲームをしているメンバーがゲームキャラとなった本人を操っていますが、衣装が違うだけで演じているのは本人。篠田麻里子、渡辺麻友らが次々とポリゴン風の敵に殺され、ゲームオーバーとなる度に、周囲から『うわっ』と声が漏れ、小嶋陽菜が顔を水平に真っ二つにされ、大島優子が胴体を貫かれ、エメラルドグリーンの血を口から吐き出す場面でもどよめきが起こりました。前田敦子が絶叫の果てに、腕を自ら切断するシーンでは、『イヤ~』という女性ファンの声が聞こえましたね」
PVの中でも、最も”痛み”を感じさせるのが、前田が約20秒にわたって絶叫するシーンだ。ゲーム内の大島と前田が敵に抑えつけられ、大島が最後の力を振り絞るかのように、前田を捕らえた敵を破壊し、その直後敵に貫かれて大島は圧死。だが、前田は右手を拘束され動けない。
ゲーム内の前田とそれを操る前田はリンクしており、右手から赤い鮮血が流れ、両者をつなぐ脊髄についたプラグが外れると前田は絶叫し、もはや咆哮と呼ぶべき衝撃的なシーンだ。凄惨なまでの悲鳴は痛みの象徴であるとともに、その痛みこそが、”生”の意味を実感させる産声のメタファーのようだ。そして、ゲーム内の前田は自ら腕を引きちぎり、敵に立ち向かう。
それは、時に絶望的状況下では、片腕を切り捨ててでも”生”を享受すべきというメッセージに違いない。単に奇をてらった作品では一切なく、秋元康総合プロデューサーの歌詞を反映した明確な意図を込め、メンバー間の関係性すらも物語に組み込んだかのような作品に仕上がっている。
それをシングルに収録しないというのは、やはり自主規制なのだろうか? ある音楽雑誌のライターは次のように明かした。
「キングレコードとAKB48運営サイドは相当揉めたようですね。一般的にアーティストは、売れれば売れるほど、メッセージ性のある作品は避け、政治的思想や宗教ネタは特にタブーになります。GLAYのTAKUROが、イラク戦争の際に『NO WAR』という意見広告を新聞に掲載し、一部団体の反感を買い、メンバーや家族を危険にさらしたことはつとに有名です。だから日本の音楽は西野カナ、加藤ミリヤに代表される『♪会いたい』の歌詞ばかりの安易なラブソングが量産されるんですよ。AKB48はまさにその『会いたかった』でデビューするものの、『軽蔑していた愛情』で自殺を描き、チームB3rdの『命の使い道』では援助交際をテーマに掲げるなど常にアグレッシブ。『桜の栞』で岩井俊二監督、『ヘビーローテーション』で蜷川実花監督を迎えたのに続き、ブレイクしてなお、中島監督の作家性を生かした『Beginner』で、ここまで文字通り”痛み”の伝わる野心的なPVを制作したトライアルは、もっと評価されるべきでしょう」
RPGをプレイしたことのある人間なら誰もが一度は「人生にもセーブポイントとリセットの概念があれば」と思うだろう。だが、現実には時間は遡行できず、一度犯した失態を消し去ることは不可能。しかし、人間はどんなに汚濁にまみれ、恥辱をさらしても、生きながらに生まれ変わることができるはずだ。ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』で語る。「苦痛こそ生活なのだ。苦痛がなければいったい人生にどんな快楽があろう」と。ヘンリー・ミラーは語る。「安全な道を求める人は、痛みを与えることのない義手義足に取り替えるために、自分の手足を切り離す人みたいなもの」と。
中学生が「リアクションが面白い」としてホームレスに熱湯かけ、大やけどを負わせる事件すら発生する現代。子どもが親から叱られずに育ち、周囲も咎めない状況で増長した子どもがそのまま親となり”モンスターペアレント”と化し、負の連鎖が続く。利便性の向上によって、互いを思いやるイマジネーションが欠如し、人々はさらにディスコミュニケーションになっていく。その状況下で、AKB48は、”会いに行けるアイドル”として劇場公演や握手会というファンとの交流を通して成長してきた。心優しいファンが大多数だが、時に握手会では暴言を吐かれ、初期の旧チームKは、旧チームAと比較され、公演中に罵声を浴びせられていたことで知られている。そんな苦痛を味わいながら、アイドルとしての階段を上ってきたのも事実。そんな痛みを知るAKB48だけに、現代の”無痛化社会”への警鐘を写し取ったかのようなPVは、適任だったはずだ。中島監督の確固たる信念に基づいて制作されたPVが今後どのような処遇になるのか? 事態の趨勢を見守りたい。
(文=本城零次<http://ameblo.jp/iiwake-lazy/>)
アイドル論からの社会論。
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