ゲームの可能性を広げた80年代のミッキーマウス 「パックマン」今昔物語
#サブカルチャー #バック・トゥ・ザ・80'S
アナログとデジタルの過渡期であった1980年代。WiiもPS3もなかったけれど、ジャンクでチープなおもちゃがあふれていた。足りない技術を想像力で補い、夢中になって集めた「キン消し」「ミニ四駆」「ビックリマンシール」……。なつかしいおもちゃたちの現在の姿を探る!
日本が世界に誇るサブカルチャーの一つが、ビデオゲームだ。
最近はもっぱら海外ゲームの勢いに押され気味ではあるものの、やはり芸術的なドット絵とチープなピコピコ音、そしてアイデアに満ちた80年代のビデオゲームこそ、日本製ゲームの原点にして至高である!
そんな日本製ゲーム史の始まりを1978年の『スペースインベーダー』とするなら、ゲームの可能性を広げた作品として『パックマン』をぜひ挙げておきたい。ポップなキャラクター要素や縦横無尽にキャラを操作できる自由度という点で、非常にエポックメイキングだった『パックマン』がリリースされたのは1980年のこと。2010年でちょうど生誕30周年を迎える。
今年はそんな記念すべきアニバーサリー・イヤーというわけで、10月2日より秋葉原のアートスペース「アーツ千代田 3331」にて、「パックマン展-80’s to 10’s ゲーム&カルチャー」が開催されている。
80年代ハンター的には、このイベントに注目せざるを得ない! ということで、さっそく足を運んでみた。
■偉大なる先人、『パックマン』の歴史を振り返る
アメリカでは、家庭用ゲーム機「Atari2600」に移植され約500万本を売り上げた他、アニメ、レコードが大ヒットを記録。「80年代のミッキーマウス」と称され、今もなお世界中で愛され続ける「パックマン」。
そんな「古今東西のパックマンを一堂に集めてご紹介する初めての展示会」(公式サイト紹介文より)である当イベント。「古今東西」とは聞き捨てならない一言である。これは期待するなという方が無理な相談だ。
ウキウキしながら会場に足を踏み入れると、まずはパックマンの筐体がお出迎え。会場に設置されているゲームは全て無料でプレーできるようだ。おもむろに、まずは1パックマン(プレー)! ひとしきり堪能したところで横を見れば、これまで発売された『パックマン』グッズがズラリ。さらに、『パックマン』の企画書やキャラデザイン資料も展示されており、思わず感動してしまう。「バック・トゥ・ザ・80’s」的に最大の注目展示プログラムは、家庭用ハードに移植された『パックマン』が全て展示されている一角だ。
先述の、一世を風靡したアタリ社のゲームハード「Atari 2600」に始まり(なんと実機をプレーすることも可能!)、AMIGAで、ファミコンで、インテレビジョンで、MSXで動く『パックマン』を思う存分堪能することができるのだ!(AMIGA、MSXは正確にはパソコンだけど)
80年代を駆け抜けたお宝ハードが一堂に会するなんて! ゲームファンでなくとも、部屋いっぱいに展示される大量のゲームハードに、家庭用ゲームの歴史の重みを感じることができるはずだ。
『パックマン』の歴史を辿る展示のみならず、ゲームデザイナーでもある女子美術大学短期大学部教授・伊藤ガビン氏による『パックマン』の可能性を探るアート作品や、フランス人アーティストのニコラ・ビュフ氏による新作オブジェも会場を飾る。その他、多くのアーティストや識者たちによる、『パックマン』をテーマにさまざまなイベントも予定されている「パックマン展-80’s to 10’s ゲーム&カルチャー」。
(右)フランス人アーティストのニコラ・ビュフ氏によるオブジェ。
ゲーム・キャラクターという枠を超え、カルチャー・アイコンとして世界中で愛される『パックマン』を通じて、ゲームの歴史や文化を振り返ってみてはいかがだろうか。なお、「パックマン展-80’s to 10’s ゲーム&カルチャー」は10月11日まで開催。入場は無料なので、ショッピングのついでにでも軽く足を運ぶもよし、だ。
■『パックマン』の生みの親・岩谷徹氏が語る『パックマン』の時代!
ビデオゲーム黎明期より活躍し、『パックマン』を生み出した男・岩谷徹氏。会場を訪れていた岩谷氏に、突撃インタビューを敢行! 『パックマン』が生まれた1980年代とはどんな時代だったのか? そして次の『パックマン』は一体どんなゲームなのか? 気になるところを聞いてみた。
した伊藤ガビン氏、パックマンの
生みの親・岩谷徹氏、企画監修のサ
イトウ・アキヒロ氏。パックマンをイメー
ジしたピザの前で記念撮影!
──『パックマン』がリリースされた当時、ゲーム業界はどういう雰囲気でしたか?
「最初は白黒モニタの『ジービー』というゲームを作っていたのですが、それがカラーになり、解像度もだんだんと上がっていって、クリエイターとして表現したいものが少しずつ描けるようになってきた。いわば、新しいキャンパスを手に入れることができたような時代でした。また、続編ものではなく、新しいゲームを作ることがゲーム業界の使命だった時代だとも思います。新しいコンセプトを創出する喜び、他社からそれが出るという悔しさ。あの時代の面白さは、そういう部分でした」
──当時、岩谷さんがライバル、目標としていた相手は何でしたか?
この機会をお見逃しなく!
「やはり米国のアタリ社ですね。常に新しいコンセプトのゲームを出してくるという姿勢も含めて、アタリが自分の師匠でした」
──80年代というと、日進月歩で技術が発展した時代だと思います。コンピュータの発展に伴い、パックマンも手足が生えたり鼻が伸びたりしていきました。『パックマン』が時代の変化に対応して、どんどん進化できた理由は何だと思いますか?
「まずシンプルなゲームシステムで作られていた、ということがあります。『パックマン』のルールに対して、『もっとこうした方がいい』とおっしゃる方もいましたが、自分は限界までそぎ落として、あらゆる可能性を考えぬいて『これ!』というものがあればいいと思っていました。逆に『パックマン』は無駄がないキャラデザインとゲーム内容だったので、何を足しても本質は変わらなかったのだと思います」
──今後、どんな『パックマン』のゲームを作ってみたいですか?
「歌うパックマンのゲームを作りたいと思っています。映画でいうと、『ブルース・ブラザーズ』、音楽でいうとポップスのような、『あ~、楽しい!』って思えるようなノリのいい『パックマン』のゲームを作りたいです」
──ありがとうございました。
(取材・文=有田シュン)
・パックマン展
<http://www.3331.jp/schedule/000638.html>
・パックマン ウェブ
<http://pacman.com/>
いまも進化中。
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