テレビや新聞が触れない東京地下の謎を解き明かす『帝都東京地下の謎 完全版』
#本
日本の国家機関が集中する、首都・東京。この地下がどうなっているのか、考えたことはあるだろうか。
2000年以降、東京の地下は目に見えて大きく変化してきた。00年には都営地下鉄大江戸線の全線開通、08年には、もっとも新しい路線・東京メトロ副都心線が開通した。それにともない、池袋駅や渋谷駅の地下再開発も、続々に進みつつある。
「東京の地下の謎に迫る時間は、もうあとわずかしか残されていないのかもしれない」
『帝都東京地下の謎 完全版』の中でそう語るのは、著者の秋庭俊氏。テレビ朝日報道局で社会部、外報部の記者を経て、02年に『帝都東京・隠された地下網の秘密』(同)を発表。以来、知られざる東京の地下網の存在を追い続け、本書では、70冊以上にのぼる膨大な資料を元に、関係者への取材を行い、独自の分析で迫っている。
東京の地下には、”危機管理”という名目で関係者が語りたがらない、歴史や謎がいくつも存在している。とりわけ、戦後GHQの占領時代に立ち入り禁止区域に指定された、大手町、霞ヶ関、永田町、赤坂見附などには、それが顕著に見られる。
例えば、千代田線霞ヶ関駅。
一般的にはほとんど知られていないが、この駅は旧海軍の防空壕を改築して誕生したのだという。防空壕自体は、陸軍本部によって1942(昭和17)年に完成し、戦争末期にはこの防空壕の中で海軍の指揮がとられていた。
現在、綾瀬行きの線路が敷かれているところが、防空壕地下1階部分にあたり、改札や駅事務所にあたる場所が地下2階、そして地下3階もあったが現在は砂が詰められ、駅の下で眠っているのだという。
さらに、丸ノ内線赤坂見附駅。
この駅はホームを挟んで銀座線と向かい合わせになっていて、地下1階のホームは二路線の下り、地下2階は上り、という構造になっている。普通に乗り降りしている分には、不思議には思わないかもしれないが、日本で唯一戦前から走っていた銀座線が開通していた、27(昭和2)年銀座線開通当初から2段重ねのホームだった、というと何か疑問が出てこないだろうか。丸ノ内線は、GHQの融資により、戦後占領の時代が終わる1952年の少し前にようやく着工が始まる。けれど、不思議なことに丸ノ内線で使用されているトンネル自体は、銀座線の開通時にすでに存在していたという。
『東京地下鉄道丸ノ内線建設史』の線路図によると、丸ノ内線のカーブの長さが、通常400や200など分かりやすい数字が並ぶ中に、R182.881という数字が存在する。これは、戦前に使われていた単位の200ヤードに相当。戦後に作られたとされているのにも関わらず、なぜヤード方が用いられているのだろう。
ごく自然に考えれば、丸ノ内線の計画はもっと以前から進められていたのか、あるいは以前に別の目的で作られ、それを利用して線路が敷かれたのか――。
「地下空間がすでにそこにあれば、建設費は10分の1で済むといわれる。そこに地下鉄が敷かれるとわかっていれば、巨万の富を築くこともできる。(中略)情報を伏せている限りは、かつての地下鉄網は巨大な利権として眠っている(後略)」。
秋庭氏は、地下の起源は江戸時代につくられた地下水路や地下道と考える。それが江戸時代以降、明治、大正、昭和、平成とさまざまなかたちで再利用され、補修されてきたのだ、と。
本書では、地下鉄駅ほか、『巨大冷暖房施設が眠る 新宿中央公園』、『首都高一のパニック・ポイント 三宅坂ジャンクション』など、謎を体感できる東京の地下スポット15を紹介。後半ページでは内容を掘り下げ、東京の地下計画の歴史、地図の嘘などについて詳細に書かれている。
これまでの歴史の中で、情報を知る者たちは、地下について何を公表し、何を隠そうとしてきたのだろうか。
(文=上浦未来)
●秋庭俊(あきば・しゅん)
1956年東京都生まれ。横浜国立大学卒業。作家・ジャーナリスト。テレビ朝日報道局で社会部、外報部の記者を経て海外特派員を務める。米軍のパナマ侵攻、ペルー左翼ゲリラ、カンボジアPKO、湾岸戦争などを取材。96年同局を退社、執筆活動に入る。著書に『帝都東京・隠された地下網の秘密』『帝都東京隠された地下網の秘密[2]』(どちらも洋泉社)、『新説 東京地下要塞』(講談社)、『大東京の地下99の謎』(二見文庫)など多数。
深まる謎。
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