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「モチーフは髪の毛と指」 絵本で読む、束芋『惡人』の世界

tabaimo_2009.jpg現代社会の断片的風景を独特の感性で切り取る現代美術家・束芋。

 手は口ほどにモノを言う。目ではない、手。最近映画も公開され、各地で話題となっている吉田修一の小説『悪人』の挿画を手がけたアーティストの束芋が、同タイトルの画集を上梓した。とある殺人事件の裏側に果てしなく広がる淋しさ、怒り、孤独を丁寧に描き出し「本当の悪人とは誰か?」を問う。束芋が描く手は、なんとまあおしゃべりなことか。触る、抱く、叩く、掴む、指さす、突く、ねじる、握りしめる、締め上げる……。墨とペンで輪郭と影が強調された、表情豊かな「手」は、人の感情の奥底にある暗部をえぐり出し独特なリアリティを放ち私たちに迫ってくる。絵と小説の断章から、小説とはまた違った世界を作り上げた束芋に、作品について、悪人について話を伺った。

──まず新聞連載が始まった時のことをお尋ねします。最初にリクエストされたこと。それを受けて、ご自身の中で決められたルールのようなものがあれば教えていただきたく。

束芋 わたしが挿絵画家ではないということは、担当の方から吉田(修一)さんに伝わっていて、その上で吉田さんが新聞小説『悪人』に私の絵の雰囲気を選んで下さいました。当初から吉田さんは「絵は絵の世界で自由にやって下さい」と。その言葉があったからこの挿絵のお仕事を受けることに決めました。ルールとしては、連載担当者からの「束芋さんは、男前は描けませんよね」というもっともな言葉を受け、”顔を描かない(特に目を描かない)”という決まりごとを作りました。また、細切れに連載される新聞小説は、第一話を受けて第二話は展開し、そして第三話に続いていく。それを目に見える形にしたいと考え、私が原画を描く際のルールとして横長の和紙に右から左に描いていく。絵は右から左に流れ、時間軸も右から左で、繋がる絵は展開するストーリーを表現し、最終話まで連ねると長い長い絵巻物になるように描いていきました。絵を繋げていくためのモチーフとしては、私の日頃の描く対象物でもある髪の毛と手(指)を使いました。もちろん、毎回の絵は吉田さんの原稿がきてから、小説を読み込んで描きました。自身がその空間にある空気の粒子になった気分でぐるぐる見渡したとき、目につくモチーフや風景を描いています。

──『悪人』は、誰もが持つ鬱屈とした、行き場のない感情が克明に描かれていて、主役は清水祐一なんだけれども、登場人物すべてに感情移入ができる、不思議な小説でした。純愛小説というよりは社会や哲学の色が強く、ジャーナリズムとは何かということも考えさせられました。束芋さんはこの小説をどうお読みになりましたか?

束芋 私もさまざまな登場人物に感情移入してしまいました。当初は殺された(石橋)佳乃に感情移入していたのですが、この作品の一人をモチーフにしてインスタレーション作品を作りたいと吉田さんにお話して、それをご快諾いただいてから実際に制作に入ったとき、私の興味の対象はストーリーの展開にそれほど絡んできていないように見える金子美保という存在に移行していきました。私は読んでいる間、この金子美保という存在は、私自身と同年代だと勝手に思い込んで読んでいました。

 ヘルス嬢として働いていたときも祐一が自分に本気になってきたのを感じて、逃げてしまう彼女。頑張って小料理屋をオープンしたのに、過労で倒れてしまい、店は長期休業。病院で祐一を見て逃げる彼女や、思い切って祐一に声を掛けてみたものの、拒絶される彼女。超えるべきハードルを超えることなく彼女の人生は続いていく。その中途半端さや、フワフワした感じから同世代感を得たのだと思います。『悪人』のストーリーの中では、彼女の人生は点でしか描かれていない。その点と点の間には、祐一と出会ったように、他にもいろいろな出会いがあるのだし、祐一に拒絶されたその後も、彼女の人生は続いていく。そういったことを考えると、彼女の『悪人』の中での扱いは、私自身が出会った多くの女性のようでもあるし、多くの人が出会った私自身のようでもある。吉田さんはヘルス嬢という少し特異な職業を彼女にあてがうことで、”とっても普通の女”を描いたように感じられ、劇的な最後を迎える「悪人」の重要な鍵を握る佳乃よりも、点の存在しかない美保に私は共感するようになっていました。そして私にとって大切な作品となる「油断髪(ゆだんがみ)」(※)ができたのです。

 この『悪人』という小説は一人を切り出しても凄い存在感を持ち続けます。だからこそ、全ての人物に感情移入ができ、そして誰が惡人だったのかという強い問いかけを残すのだと思います。感情移入した登場人物の存在により、その問いかけを自分のこととして考えてしまうからこそ、哲学の域にまで及ぶのではないでしょうか。吉田さんのすごさですね。

──一番印象に残っているシーンを教えてください。また、描写に悩んでしまった、描きにくかったシーンはありましたか?

束芋 印象に残っているシーンは……全部なんです。やっぱり全てのシーンを精一杯描いたので、全て鮮明に思い出せてしまいます。描きにくかったシーンは、ラブホテルのシーンです。性描写が描きにくかったというのではなく、主人公二人がなかなかラブホから出てくれないんです。(10話分近く)最初に書いたように、私はその空間にある空気の粒子になった気分でぐるぐる見渡したとき、目につくモチーフや風景を描いているので、一カ所に複数話も居られると、描けるものが無くなってしまいます。目をよくよくこらして、ぐるぐるぐるぐる回って何とか採取しましたが。

──絵本の企画というのは、どういった経緯で持ち上がってきたのでしょう?

束芋 元々、全部揃ったら作品集を作りたいという漠然とした思いはありました。2007年に友人が、新聞連載時の絵を切り抜いて文庫本サイズのノートに貼って、「この本に題字を描いて」と持ってきてくれたんです。その文庫サイズの重量感、新聞を切り抜いた感じがものすごく良くて、「こんなの作りたい!」と火がつきました。作っていくうちに、ただの作品集ではなく、絵本にしたいと思い、原画の状態とも新聞連載時とも違う世界を作っていきたいと思い、絵を再構成していき、吉田さんの承諾を得て文章をピックアップし、絵の一部としてレイアウトしていきました。吉田さんのご協力なしでは不可能な企画です。

──小説に絵があるという連載とは違い、絵と断章からシーンをつないでストーリーを作るのは、映画やアニメーションに近いような気がします。絵本を作っていくにあたって、注意されたところを教えてください。

束芋 絵本としてページをめくる面白さは大切にしました。特に観音のページなどは、二次元の絵が開くという行為で三次元になる瞬間があります。その空間的な広がりを考えることは、とっても楽しませてもらいました。注意したことは、何が一番この絵本「惡人」に合うのかということ。紙質や本の重量感、表紙やカバーの関係性など。普通、本を作るときには当たり前のように誰でも考えることですね。

──海、涙、血、スープ、珈琲、体液といったような水にまつわるモチーフや物が溶け出していき融合するようなイメージが多かったような気がします。登場人物の心に潜むじっとりとした感情がよく現れていました。液体に対して何か特別な思い入れがあったのでしょうか。

束芋 以前スウェーデンで個展をさせてもらったとき、インタビュアーに同じように聞かれ初めて気がついたのですが、私のインスタレーション作品にも液体が頻繁に登場します。そのとき、考えてみたのですが、液体は流動体であり、その液体の形はその液体の入っている容器の形で決まります。そこに容器を描かなくても、液体の形でそこに存在する見えない物体を感じることができ、液体が動くことによって、その容器に何かが起こったことを意味します。例えば、容器に穴があいたら、液体はその外に流れていく。そしてその外側の容器の形に定着する。また、液体が移動した先にはそれなりの空間が存在することも示唆します。そういった液体の動きを利用して、言葉でも描くことでも表現できなかった何かを表現できるようになったのです。『惡人』の中に登場する液体は必ずしもそういったことを含んでいるわけではありませんが、流動体は何かの媒体として、大いに利用させてもらっています。
(取材・文=上條桂子)

(※)の「油断髪」は本年横浜美術館、国立国際美術館で開催された「束芋─断面の世代」にて展示された。

●束芋(たばいも)
1975年兵庫県生まれ、長野県在住。1999年、京都造形芸術大学卒業。99年、映像インスタレーション《にっぽんの台所》が、キリンコンテンポラリー・アワード99最優秀作品賞を受賞。01年、第1回横浜トリエンナーレで最年少の作家として出品。以後、2002年、サンパウロ・ビエンナーレ、06年、シドニー・ビエンナーレ、07年、ヴェネチア・ビエンナーレ(イタリア 館)など数々の国際展やグループ展に出品。06年、原美術館、パリのカルティエ現代美術館で個展を開催。2010年には、横浜美術館、国立国際美術館で初めての大規模個展を行った。11年のベネチアビエンナーレでは、日本館への出品が予定されている。

惡人
束芋が初めて新聞連載小説の挿絵を担当した吉田修一の代表作『悪人』に描き下ろした作品群を一挙に収録。指、髪の毛、内臓などをモチーフとする独自の作風が、小説のテクストと化学反応することで新たな深化を遂げる。横浜と大阪で開催の大規模な展覧会「断面の世代」で公開されたモノクロの原画を連載時のカラーで再現。
1890円(税込)/朝日新聞出版刊。
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悪人(上)

ブッキーまさかの金髪。

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悪人(下)

ふかっちゃん!

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最終更新:2010/09/22 18:00
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