ものづくり大国ニッポンの誇り 三兄弟が支える、日本最後のブリキ玩具メーカー
#インタビュー #おもちゃ
日本では昭和初期から中期、具体的には昭和20~30年代にかけて数多く生産されたブリキのおもちゃ。当時を知らない世代にとっては、どことなくノスタルジックな感情を誘うアイテム、熱心なコレクターのいる懐かしの玩具、というイメージだが、かつて日本の需要な輸出産業の一つだったことはあまり知られていない。
戦後日本の経済を支えた、主力商品として一時代を築いたブリキのおもちゃだが、プラスティックの台頭や人件費の高騰によって次第にその市場は縮小。今や、完全に風前の灯の様相を呈しているブリキのおもちゃ市場だが、その火を絶やさぬために孤軍奮闘している企業が東京の下町に存在していた! その名は有限会社メタルハウス。前身となる株式会社マルミヤ工業時代よりロボット一筋で、日本のブリキ玩具シーンを引っ張ってきたメタルハウスは、現存する日本で最後のブリキ玩具メーカーだ。自らの工房「ロボットアート」でも活動するブリキのおもちゃ職人の宮澤眞治さんは、二人の兄とたった三人でこの最後の砦を守っている。また彼は、昭和初期~中期にかけて作られた型を使い、古きよきブリキのおもちゃを現代に蘇らせるだけでなく、最新のラジコン機能を内蔵させ現代風にアップデートするなど、ブリキのおもちゃを今なお進化させ続けている気鋭の職人でもある。そんな宮澤眞治さんに、ブリキのおもちゃの魅力、そしてなぜ彼がブリキのおもちゃに惹かれるのか。そして、ロボットにこだわるわけを聞いてみた。日本最後のブリキ職人の生き様を見届けよ!
──メタルハウスという会社について教えてください。
「父が前身のマルミヤ工業を経営していて、そこで兄弟をはじめいろんな部門の職人さんが仕事をしていたんですが、昭和64年から平成元年に変わるくらいの時に父が死んで会社を維持しきれなくなったので一旦整理したんです。そこで上の兄がメタルハウスって名前にして、新規にスタートしたのが始まりです」
──そこで廃業するという選択肢も当然あったと思うのですが。
で制作を続ける三男・眞治さん。
「そうですね。まあ、ちょうどその時にアンティークとしてのブリキのおもちゃが注目され始めていたんです。それで(昔のブリキのおもちゃを)リメイクを作ると売れるんじゃないかということになってきたんです。その時に大阪ブリキ玩具資料室の熊谷さんという方から「鉄人28号を作らないか?」と誘われたので実際に作ってみたら、これがよく売れたんですよ」
──今のブリキの売れ行きは、もてはやされた時期に比べたらやはり減っていますか?
「減ってますが、本当に好きな人の数は変わっていないと思います。ただ、ブリキ玩具が高値で転売できるという理由で買う人は離れたと思います。ブリキのおもちゃって、全部新規で作ろうと思うと500万くらいかかるんですよ。例えば500万かけて500体売るとすると、単純に考えて1万円以上で売らないといけない。だからそんなに楽しい商売じゃない」
──メタルハウスでは、とりわけロボットのブリキ玩具が数多く制作されているわけですが、ロボットにこだわる理由はなんなのでしょうか。
「自動車はすでに完成した形で世の中にあるけど、ロボットは未来のものだから誰も正しいロボットがどんなものなのか分からない。だからどう作るかは自由、というのが一つかな。それとやっぱり人間って、二本の足で歩くという行為に何かしら感じるものがあるのかもしれない。直立して二本足でレッサーパンダが立っただけでみんな喜んじゃうから(笑)、やっぱり特別なものがあるんじゃない? だからうちの先代の社長もロボットをやりたがったんじゃないかな。これからもロボットを作っていくつもりなんだけど、周りの関連業者とかがみんな元気なくて……」
──長い間不景気だというのもあるでしょうしね。
「でもブリキのおもちゃの工作教室とかをやると、小さいお子さんは喜んで物作りするんだよね。みんな欲しいおもちゃはゲームとか言うけど、それは物作りの楽しさというものを知らないだけなんだから。偉い人は物作りが大事とか言ってるけど、やっぱり子どもにはナイフとか持たせて何かつくらせないとだめだと思うね。自分の手で作るのが楽しいんだよね」
──そういうところから「ものづくり」の再評価をすべき?
「そういう下の方から再構築しないと。日本は物を作ってなんぼの国だからね。このままじゃ中国に全部持っていかれそうな気がする。向こうは国策で全部自分の国に持って行こうとするから。そこらの危機感を日本のトップは持っているのかもしれないけど。だけどものづくりをやっている人って、作ることだけで頭がいっぱいなんだよ。『このロボットをどう売ろう』とか『儲けよう』という、お金の話が後回しになってしまう。作る人と売る人が分かれないといけない。どっちが上ってわけじゃなく、こっちは物を作ってうれしいって人種だからね」
──宮澤さんは3年前に、ご自身の工房である「ロボットアート」を立ち上げられました。そちらには営業職の方はいるのですか?
「全部私ひとりですよ。何から何までコツコツやっていくから、(ブリキのおもちゃは)月産20~30くらいじゃないかな」
──人員を増やすことはないんですか?
「以前、自分の給料からお金を出して二人ばかり育てたりしたんですよ。でもお金が続かなくてね……」
──技術者は育てなきゃいけないけど、お金がない。今の日本の状況の縮図みたいですね。
「だから事業仕分けとかも悪いとは言わないけど、残すことが必要なところもあると思う。言っていることも分かるし、やっていることも正しいと思うけど。私、自民党の頃にロボットとかを研究する人の助成金を申請して、それがいいところまでいってたんです。それが自民党が負けちゃって全部だめになっちゃった(笑)。政治のことは分からないけどね。ただ、設計している間は生産性はゼロなんです。設計するのに一年間の生活費とかがかかってしまう」
──そんな苦労をされてまで、なぜ宮澤さんはブリキのおもちゃを作りたいんですか?
ある勝政氏。/(下)黙々とと作業を
続ける職人肌、次男の恒利氏。
「5歳の頃からロボットを見て育ってきたので、もうそれが当たり前なんですよね。それに60歳前になって今更何をやるって話しでね(笑)。それでこれからもロボットを触れられるなら(この仕事を)やっていきたいと思ってる」
──自分の人生の大部分をブリキのおもちゃが占めている。
「物心ついた時からロボットがあったからね。思い出が全部おもちゃにリンクしている。かつては家に帰ったらおもちゃを見るのが嫌だった。家に帰ったらおもちゃのことは忘れたかったんです。それが50歳を過ぎたあたりかな。自分が30年前くらいに作ったものを見ると、年をとったせいかいいなと思えるようになった。もうライフワークでずっとやってるから、思い入れっていうのも強くなったんじゃないかな」
──宮澤さんにとってロボットとはなんなのでしょうか。
「生きがいでもあり、これがあっての自分かな。ロボットを抜いちゃうと、私の存在価値がなくなっちゃうの。ロボットを抜いた宮澤眞治なんてただのヨレヨレおじさんだもの。だからロボットっていうのは、私にとっては親が残してくれた『いいもの』って感じかな」
ロボットに情熱を注いで道なき道をひた走り続ける男、宮澤眞治さん。そんな彼に対して、兄でありメタルハウス社長の宮澤勝政さんは、「私は社員に仕事を与えないといけないから(会社を続けている)。まあ(市場が)なくなるのは寂しいといえば寂しいけどしょうがないでしょうね」と経営者らしく答える。だが、最後にこうも付け加えた。
「ただ、最後まで見届けたらどうなるのかなとは思いますけどね。こんなこと、他の人にはできないじゃないですか」
そう答える勝政さんの表情は、ブリキに生涯を捧げてきた人間としての矜持に満ちていた。
(取材・文=有田シュン/写真=毛利智晴)
◆ブリキギャラリー(画像をクリックすると拡大されます)
●メタルハウス
東京墨田区にある、日本で唯一のブリキの玩具メーカー。創業は昭和28年。日本製にこだわったブリキ玩具を生産し続けている。
左:「「メタルランナー」
15万円(税込)
右:「スターパトロール」
1万1,500円(税込)<http://www.metalhouse-tokyo.com/>
●ロボットアート
埼玉県春日部市にあるブリキの玩具工房。宮澤眞治氏が企画から図面の作製、部品の型取りやブレス加工、内部の電気記録、組み立てまで一人でこなしている。
「MECHANIZED Ⅱ ROBOT
(LIMITED 200)」
2万5,200円(税込)<http://www.robotart.jp/>
古き良き文化。
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