「キラキラパワーよ永遠に」卒業目前!! AKB48・小野恵令奈の栄光と苦悩を徹底検証
#アイドル #AKB48 #小野恵令奈
7月10日、11日にAKB48が国立代々木競技場第一体育館で開催したコンサート『サプライズはありません』で、今夏をもっての卒業を発表した人気メンバー・”えれぴょん”こと小野恵令奈。8月31日に全国ツアーを終え、9月5日、20日の握手会を残し、卒業が刻一刻と迫る中、”キラキラパワー”でAKB48に確固たる地位を築きながらも、海外に留学して女優の勉強を行うことを決断した彼女の、AKB48としての4年5カ月の栄光と苦悩を、劇場公演でのコメントやブログ、インタビューなどを元に改めて振り返っていく。
現在高校2年生・16歳の小野だが、彼女が2期生としてAKB48の門戸を叩いたのは、小学6年生の時。当時すでに芸能活動を行っていたものの、順風満帆とは行かず、ある日彼女は、AKB48出演の深夜ドラマ『ですよねぇ。』(TBS系)を見て、2期生オーディションの開催を知る。翌日、書店で応募方法を探したがその詳細が分からず、小野はランドセルを背負ったまま秋葉原のAKB48劇場へ向かうという実力行使に出る。受付で「応募したいんです」と申し出るも、すでに1次審査は終了。だがそれでも「どうしても受けたいんです」と食い下がる彼女を見かね、特別にオーディション参加が認められた。活動初期のAKB48の大らかさを象徴するエピソードだが、ランドセルのまま、秋葉原のドン・キホーテを8階まで駆け上がってきた小野の姿は、まさに夢への階段を突き進むAKB48の姿そのものだったことだろう。彼女の我武者羅でひたむきな決意には、AKB48との運命を感じずにはいられない。
小野は見事オーディションに合格し、2期生によるチームKのメンバーとなるが、デビュー公演前日に事件が発生する。しかもそれは小野がきっかけとなって勃発したのだった。小野がレッスンの間に歌詞カードに絵を描いて遊んでいると、生真面目で知られる秋元才加がそれを叱責して、小野が号泣。だが、秋元のきつい言い方を見かねた最年長・大堀恵(現・SDN48)が「もー無理!! そんな言い方ないでしょ」と二人に割って入ると、今度は強気だった秋元が「ごめーん」と泣き出してしまう。デビュー前から波乱の展開を迎えたチームKだが、そんな互いの本心を見せ合うことができる修羅場を早くから経験した結果、”チームKのKは絆のK”と評される、強い結束で結ばれた体育会系の運命共同体となっていったのだった。
劇場公演が始まると、小野は”キラキラパワー”と自称する天性のアイドル性で、アイドルファンを魅了していく。自己紹介MCで、”えれぴょんこと~”と言いながら、ツインテールをくるんとスウィングさせる姿は、現世に降臨した”天使”さながら。また、恥ずかしいことがあると頬を紅潮させながら手で顔を仰ぐしぐさや、「心を一つにする方法」として行っていた”チームKポーズ”など純真無垢なその姿は、一部のファンから「モンスター級」と絶賛された。さらに、AKB48加入前に数々のオーディションに落ちた過去がある小野は、常にファンへの感謝を忘れない。AKB48ファンブック『48現象』(ワニブックス)での取材で「あなたのお父さん以上の年齢の人が『えれぴょぉぉ~~ん』とか来るわけでしょう? ぶっちゃけ……キモくない?」とインタビュアーが質問。すると、小野は「自分を応援してくれてる人をそんなふうに言われるのって、ほんとガマンできないんですよ」と激怒。「ファンの人がいなかったら今絶対ここにいない」「お客さんの応援があるとツラくても笑顔になれるし、ヤル気が出てくるんです」と語り、ファンの存在こそが自らのレゾンデートルだと認識していた。
AKB48随一の”妹キャラ”を謳歌していた小野だが、AKBには続々と新メンバーが加入。チームBには、小野と同学年で2期オーディションに落選しながらもリベンジして合格した渡辺麻友がエース級で参加。また、4期以降も、藤江れいな、宮崎美穂、石田晴香、佐藤すみれ、島崎遥香、市川美織など、小野と同学年の豊富な人材が次々と集結し、AKB48内で最多人数となってしまう。その一方、『恵令奈~14歳の夏』(ワニブックス)、『キラ☆キラ』(竹書房)の2冊の写真集を発売して、グラマラスに成長したボディを見せつける。だが、彼女に”みんなの妹”を望むファンはそれを求めておらず、多くのファンが”推し変”し、小野から別のメンバーに流れていってしまう。この頃から小野は、苦悩を抱えるようになり、2008年、小野の15歳を祝うAKB48劇場での”生誕祭”では次のように心情を吐露した。
「スタッフさんとしゃべっていた時に、冗談だと思うんですけど、『小野は2nd(06年のK2nd公演)がピークだったな』って言われたんですよ。私、ちょうど悩んでる時で、まともに受け入れちゃって、すご~く悩んだ時期があって。AKB48って同い年の子がいっぱいいるけど、私はライバル視したくなくて、みんなで一緒にがんばっていきたいなっていう気持ちはあるんですけど、やっぱり焦っている自分がいて……。そんな時に秋元(康)さんに私、相談したんですよ。泣いちゃって、『私ってどういう風にしていけばこれからいいんですかね?』って言ったら、『小野は焦らなくて大丈夫なんだよ。小野の自由奔放な、マイペースなままのキャラをファンの人は好きでいてくるんだから、それを自分で変な風に作ったりとかしちゃダメなんだよ』って言われて……。その(悩んでいた)自分の考えを直せたっていうのは、やっぱりファンの方からのお手紙や握手会での『がんばってね』という一言で励まされて、今の自分があるのはファンの皆さんのおかげだと思ってるので、本当にありがとうございます」
悩みを抱えながらも、ファンの声援を支えにさらに成長を遂げる小野。かつて、歌詞カードに描いて叱られた絵だが、その個性的なデザインセンスはスタッフも認めるところとなり、小野はメジャーデビューシングル「会いたかった」や「大声ダイヤモンド」「言い訳Maybe」で、CDジャケットの題字を務めるなど、その才能を次々に開花。さらに、ルイ・ヴィトンとコラボレートしたアニメ『SUPERFLAT FIRST LOVE』のイメージソング「FIRST LOVE」をソロで担当し、「涙サプライズ!」のカップリングに収録。AKB48のシングルにソロ楽曲が収録されたのは、小野が史上初にして現時点では唯一という快挙となっている。K4th公演のチームKメンバー紹介ソング「16人姉妹の歌」では、「♪これぞアイドル 子どもと大人の間に咲く花」と秋元康総合プロデューサーによる歌詞で賞賛された。また、選抜メンバーでは最年少として苦難を強いられた経験がある小野は、後輩メンバーに対し、常に気遣いを忘れなかった。SKE48加入後まもなく「大声ダイヤモンド」の選抜に抜擢された松井珠理奈は次のようにブログに綴っている。
「『大声ダイヤモンド』のレッスン初日、何もわからない私にまず話しかけて下さったのがえれぴょんさんなんです。それに、『一緒にお弁当を食べよう』って言って下さったり…すごくやさしくしていただきました。そのとき私はすごく緊張していたんですが、えれぴょんさんが声をかけて下さったおかげで少し緊張がほぐれたんです」
先輩からも後輩からも慕われた小野は、吹っ切れたかのように、急成長した体もネタにしていく。「♪巨乳になれるように」という鮮烈な歌詞があるK5th公演の彼女と小林香菜のユニット「わがままな流れ星」の2009年5月11日の公演のMCでその歌詞にちなみ、小林が「私はタレントさんとグラビアアイドルになりたい」と告げると、小野が小林に「ないじゃん、胸」と指摘。さらに、自分の胸について「デカイも~ん」と豪語している。また、『週刊AKB』(テレビ東京系)の”水泳大会”では、峯岸みなみと”エアバッグ”というショートコントを披露。峯岸が運転する車がぶつかりそうになるが、小野の胸がエアバッグとなり助かる……というネタがメイキングのDVD映像に収録されている。かくして過去と決別した小野は『Quick Japan』(太田出版)のインタビューで、以下のように答えている。
「人間っていう生き物は変化していくじゃないですか。でも、1st公演から応援してくださっているファンの人は、今の私は『変わったな』って思ってると思うんですね。『昔のえれぴょんじゃなくなった』って。『キラキラパワー!』とか『えれぴょん』とか言えない年齢がやってくるかもしれない。でも、これから先どうなるかわからないけれど、今の小野恵令奈はこれなんですよ。今の小野恵令奈として、私は全力で頑張りたいというか、過去の私を捨てるわけではないんですけれど、もう振り返らないで行くぞと。なので、過去の小野恵令奈が好きだったっていう方は、過去の映像でお楽しみいただきたい(笑)」 (一部略)
過去を振り切り達観した小野だが、さらに受難が続く。「桜の栞」で初めて選抜メンバーから漏れ、新チームKが始動するも、ユニットセンターから外され、昨年、11位だった”選抜総選挙”で今年は15位と4ランクダウンしてしまう。そんな折に公開された映画『さんかく』で、小野は姉とその恋人を翻弄する中学生・桃役に抜擢、その小悪魔的な魅力が高い評価を受ける。キスシーンにも果敢に挑んだ映画で、自分の新たな可能性と課題を発見したことが転機となり、ついに小野はAKB48からの卒業を決断。女優の勉強のために海外へ留学することを国立代々木競技場第一体育館でのコンサートで突如発表した。ファンはもちろん、仲間のメンバーも驚愕させたこの空前絶後のサプライズの真相について、改めて『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)のモバイルサイトで配信されている『小野恵令奈のオールナイトニッポンモバイル』で、次のように明かしている。
「将来英語もできて、海外でも活躍できる女優になるのが夢で、英語が今の段階だとしゃべれないので、そういう場(養成所)に行って演技の勉強もしつつ、英語も学び、海外の雰囲気にも慣れて、女優としての仕事につなげていければと」
海外の規律の厳しい養成所で、一から語学、演技の勉強をしていく決意を表明した小野。『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)の最後の出演を終えた彼女は、ブログで自らを鼓舞するようにその胸中を綴った。
「さぁ、頑張るんだ 頑張った分だけ自分に返ってくるから 今も大切 未来も大切 どんな時も、諦めないで 私は私。小野恵令奈は えれぴょんは私しかいない。私しか出来ないこと一生懸命やろう」
08年、『ネ申テレビ』(CSファミリー劇場)放送開始時の記者会見で、「会いたい有名人」としてジョニー・デップの名を挙げ、「自分がハリウッドに進出してレッドカーペットを歩くっていうシチュエーションで会いたいです」と当時から海外進出を意識した発言も行っていた彼女。小野のファーストネーム”恵令奈”は、スペインのエレナ・デ・ボルボーン・イ・デ・グレシア王女に由来している。86年に来日したエレナ王女の歓迎の茶会が、皇太子徳仁親王と雅子妃の出会いのきっかけとなったことで知られ、そんな”恋のキューピッド”となった王女にあやかり、小野は海外でも通じる名前を授かっていたのだった。あえて人気絶頂のAKB48から離れ、自ら新たな夢への階段を見つけ、見知らぬ場所で研鑽を積む彼女が、国際派女優となる日を一日千秋の思いで待ちたい。
(文=本城零次<http://ameblo.jp/iiwake-lazy/>)
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