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『日本映画空振り大三振』発刊記念インタビュー

“製作委員会”映画の悪しき構造欠陥を行動的評論家・江戸木純が一刀両断!

edoki03.jpg人気連載”日本映画縛り首”の単行本化第2弾
『日本映画空振り大三振 くたばれ!
ROOKIES』(洋泉社)。映画関係者、
映画愛好家は必読だね。

 映画雑誌「映画秘宝」(洋泉社)の人気コーナー「バッド・ムービー・アミーゴスの日本映画縛り首」の3年間にわたる連載が今春で終わり、物寂しさを感じている映画マニアは少なくないだろう。それほどまでに、ガース、エド、クマちゃんの3人が毎月3本の厳選したダメダメ日本映画をメッタ斬りにする様は爽快感に満ちていた。今年6月に発売された『日本映画空振り大三振 くたばれ!ROOKIES』は、前作『バッド・ムービー・アミーゴスの日本映画最終戦争!〈邦画バブル死闘編〉2007-2008年版』に続いて、2009年に公開されたサイテー日本映画46本を俎上に上げ、単に作品を酷評するではなく、映画業界の問題点について言及したもの。連載分に加え、3人によるまとめ対談なども加筆されている。3人の処刑人を代表して、エドこと映画評論家の江戸木純氏にご登場願った。インド映画『ムトゥ 踊るマハラジャ』(95)、スウェーデン映画『ロッタちゃん』シリーズを日本でヒットさせたことで知られる配給・宣伝マンでもある江戸木氏に、日本映画界の内情について語ってもらおう。

──3年間にわたって、サイテー日本映画をぶった斬ってきたわけですが、連載を終えた現在の心境は?

江戸木純(以下、エド) もう、精神はもちろん全身が疲弊しきっています。滝に打たれて過ぎておかしくなった状態ですね(苦笑)。毎月3本の作品を誌面で取り上げてきましたが、実際はそれよりもっと多くのダメ映画を観てきたわけです。ですから取り上げた作品は、極めつけのダメ映画ぞろいです。ガース(映画評論家・柳下毅一郎氏)は趣味と実益を兼ねていた部分もあるようだけど、ボクはできれば避けて通りたかった作品ばかりでしたね。人生、時間が限られているわけですから、観なくていい作品はできれば観たくなかった(笑)。連載中は基本的に映画館でチケット代を払って観ていたんですが、連載が終わった今では完全に拒絶反応が出て日本映画はほとんど観ていません。当然ですが、『踊る大捜査線THE MOVIE3ヤツらを解放せよ!』も観ていません。多分、一生見ない。

──”少しでも日本映画が良くなれば”という志から始まった連載だったんですよね?

エド もちろん、最初はそういう志がありました。思い切った批評をブチかますことで、業界に反応が起きれば……と。でも、途中からそれは無理だと気づき、荒んだ連載になってしまいました(苦笑)。監督の演出や俳優の演技のレベルではなく、日本映画の病巣はもっと根深かった。この3年間で日本映画はサイテーの状態に陥ったんじゃないですか。それは作っている人たちに映画的な才能がないからだけど、それを喜んで観る人たちがいるから、『ROOKIES 卒業』(09)みたいな作品が85億円以上を稼ぐわけです。観客のレベルが極端に下がってきて、それに合わせた作品が作られるようになってきていることは明らか。これは映画業界の問題というより、教育の問題。まっとうな映画を鑑賞する若い層がここ十数年間育っていないので、映画がビジネスとして成り立たなくなっている。学級崩壊どころじゃなくて、国家崩壊の危機です。

■責任者の顔が見えない”製作委員会”

──連載が続いたこの3年間は、テレビ局主導の製作委員会方式で作られたシネコン映画が全盛を極めた時期にあたるかと思います。

edoki02.jpgLAのフィルムマーケットを訪問中の”エド”こと
江戸木純氏。

エド もはや昔から映画と呼ばれてきたものと、テレビ局が作った『ROOKIES 卒業』や『20世紀少年』(08~09)は別物ですよ。本来の映画とは区物したほうがいい。『踊る大捜査線』シリーズ(98、03)は、完全なテレビ映画ですから、映画と呼ばなくていいと思います。我々映画ファンの人生に必要のないものでしょう。テレビ局の作る映画は、人を映画館にまで足を運ばせ入場料を取れば終わり。作品が面白いかどうかは、テレビ局には関係ないんです。そもそも許認可事業であるテレビ局が自分たちで作った商品を自局でばんばん宣伝していることから問題がある。これに関しては、国がちゃんと取り締まるべきですよ。

──本作の帯にあるように、”映画はテレビ屋のオモチャじゃねーんだよ!”ということですね。

エド でも、これはテレビ局のせいというよりも、映画屋のだらしなさの表れです。映画を作っている人たちの企画力、戦略、才能のなさ、その全てが露呈している。それでテレビ局におんぶにだっこ状態になってしまった。それが一番の問題点です。テレビ局が作るテレビ映画のダメなところは、自局で放映することを前提に作られているということ。本来は、1,800円払って劇場でしか観ることのできないものを作るのが映画屋の誇りだったはずです。テレビ局を絡めずに作った『告白』が今年ヒットしたことは意外でしたが、製作委員会方式で作られる限りは、本来の意味での映画が作られることはかなり難しいでしょうね。日本で大ヒットした作品が海外でまともな賞を獲ることはほとんどありません。作り手の意志が製作委員会に勝利した『おくりびと』(08)のような例外も中にはあるけど、世界的なレベルで見ると、今の日本映画のレベルは信じられないくらい低いです。

──海外にも”製作委員会方式”は存在するんでしょうか?

エド ハリウッドでも、どの国でもプロデューサーがいろんな企業からお金を集めてくることでは同じなんですが、日本の製作委員会のダメな点は、作品のクリエイティブ・コントロールも、失敗した場合も、誰が責任者か分からないこと。海外の場合は成功しても失敗してもプロデューサーが背負いこむ。それに対して日本の製作委員会方式は、首謀者が誰か分からないようにした円形の”連判状”と同じなんです。失敗しても誰も責任を取らず、「じゃあ、次の企画に移りましょう」となる。すごく日本的なシステムですよね。こういうケースは海外ではないはず。結局、映画は作品にしても宣伝にしても、30人近く集まって会議をやっていては、意見はまとまりません。もし、まとまったとしても当たり障りのないつまらないものに落ち着く。映画はやっぱり独裁的に作られたものじゃないと面白くないですよ。製作委員会は作品がいいか悪いかではなく、どうすれば一円でも多く収益を上げるかしか考えない人たちの集まりです。もちろんビジネスですからそれが一概に悪ということではないのですが、娯楽にせよ芸術にせよ、いかに質の高いものを作るための話し合いというのは委員会では基本的にはないのです。

──連載中に映画会社からクレームが来たことは?

エド 直接的に苦情が来たことはないですね。他の雑誌の記事で編集長がある映画会社に呼び出しを喰らったことはありますけど。あとは、ワーナーから1年間くらい試写状が届かないということがあったくらいかな。『スシ王子! 銀幕版』(08)、『L change the WorLd』(08)、『ICHI』(08)などのワーナー作品が「第2回はくさい映画賞」を賑わした頃でした。ワーナー側によると試写状が届かなかったのは事務処理上のミスだということでしたけど(笑)。まぁ、日本映画は試写室ではほとんど観ないので構いませんけど。最近は、事前に原稿を見せることに同意しないと試写を見せない映画までありますよ。

──日本には批評文化も存在しないと……。

エド 少なくとも評論の影響力がもの凄く弱まっているのは事実です。特に全国公開規模の作品に関してはまったく機能していないのが現実でしょう。新聞や雑誌は、シニア層しか読まなくなりましたしね。テレビでやっている情報番組は自局が映画を製作しているから、映画コーナーは「凄い! 面白い!」しか言えない。「日曜美術館」みたいな感じでNHKあたりが映画批評の番組をやれば、まだ可能性はあるかもしれません。

■閉塞的な時代こそ、ブルース・リーが必要!

edoki01.jpg7月に発売された『世界ブルース・
リー宣言 龍教聖典』(洋泉社)。

──江戸木さんはインド映画『ムトゥ』やスウェーデン映画『ロッタちゃん』シリーズを買い付け・配給・宣伝して渋谷シネマライズや恵比寿ガーデンシネマでロングランヒットさせたことが伝説のように語られていますが、今の日本の映画状況ではもう不可能でしょうか?

エド 今の日本では無理でしょう。90年代から00年代前半までは、まだミニシアターの人気があり、若いOL層が足を運んでいた。また目利きが選んだ選りすぐりの秀作ぞろいだったんです。それがミニシアターブームということで各社が乱入し、レベルが下がっていった。全体の7割を占めていた若いOL層は今ではもっぱらエステにお金を使うようになり、ミニシアターから消えています。インディペンデント系の配給会社は成り立たない状態です。ボクが手掛けた『ムトゥ』だって、物珍しさが功を奏したビギナーズラックに近いものです。珍しいものでも観たいと思う余裕が観客側にあったんです。でも、「これからはインド映画がトレンドだ」と勘違いした人が多かった。『ムトゥ』の後に、180度タイプの異なるスウェーデンの児童映画『ロッタちゃん』を手掛けたのも、「みんなと同じことをやってないで、それぞれ違ったことをやろうよ」という意味合いを込めていたんですけど、残念ながらその意図は伝わらなかった(苦笑)。映画ビジネスは、そのギャンブル性の強さを認識していないと大けがをします。基本勝率1割程度と考え、9敗してもやりつづけられる規模の勝負をする余裕と、多少損してもいい映画を見せたいという志、そしてここ一番の勝機を見抜くギャンブル運がないと続けられないんじゃないでしょうか。

──江戸木さんは配給利益で、ムトゥ御殿を建てたのでは……?

エド いやいや、とんでもない。共同事業の母体となった会社が驚くほどいい加減なとことろで、『ムトゥ』と『ロッタちゃん』のヒットでボクが得た利益なんてほんの少しでした。わずかな利益もその後、調子に乗って中国との合作『王様の漢方』(02)、山中貞雄監督の名作時代劇をリメイクした『丹下左膳・百万両の壺』(04)の映画製作で全部消えました(苦笑)。そもそも配給はよほどヒットしないと儲からない仕組みなんです。劇場側と配給側の取り分は基本ほぼ50/50ですが、買付け費用はもちろん宣伝費もすべて配給側が負担することになっています。また、映画が外れた場合は通常のアベレージ分まで配給側が補填しなくちゃいけない場合もある。映画の本数が多いため、映画館が作品を選べる立場なので、どうしても映画館に有利な条件になっているんです。これだけ観客が少なくなっている現状では、中小の配給会社はほとんど続けていけないですよ。海外でおしゃれにパーティーを開いていたワイズポリシーが潰れ、ザナドゥの社長は消息不明のまま、叶井俊太郎のトルネードフィルムも倒産。数年前の邦画バブルの頃は年間800本以上の映画が劇場公開され、その約半分が邦画でしたが、これは異常過ぎたんです。今では現像所にお蔵入りした邦画のフィルムが何百本も眠っているそうですよ。映画のスタッフもちょっと前までみんな忙しそうだったのに、今では製作本数激減で仕事がなくなって町をさまよい歩いています。邦画バブル崩壊後の焼け野原状態ですよ。

──そんな閉塞的な時代こそ、”ブルース・リー”のようなポジティブなバイタリティーとクリエイティブなエネルギーが必要だと江戸木さんは説いているわけですね。

エド 強引な展開ですねぇ(笑)。でも、確かにそうなんです。『燃えよドラゴン』(73)をはじめとするブルース・リー映画とボクは出会ったことで人生が大きく変わった。映画って上映中だけ楽しめばいいというものじゃなくて、人間の人生を大きく変えてしまうくらいのエネルギーがあるものなんです。そのエネルギーが、今の時代には不足している。ボクの場合はブルース・リー映画だったわけですが、誰にでもその人にとってのブルース・リー的な映画が存在すると思うんです。ブルース・リーの魅力はマーケティングなどで分析できるものではありません。世界中の誰が観ても面白いというブルース・リーの”開かれた魅力”、今までになかったエンタテイメント作品を生み出そうという”飽くなきチャレンジ精神”は忘れてはならないものです。

──7月17日に発売されたばかりの著書『世界ブルース・リー宣言』(洋泉社)に収録されているブルース・リー映画に対する江戸木さんの評論も過剰なまでのエネルギーに溢れています。

エド 映画評論は評論家自身が前面に出ているものが多いけれど、やはり映画評論は読んだ人がその映画を「観たい!」という熱い気持ちにさせるべきものだと思っています。ボク自身も、”縛り首”の連載を終え、『世界ブルース・リー宣言』の執筆にここ数か月集中していたんですが、安全な場所からあーだこーだ発言しても事態は変わらないということを痛感したので、行動的批評活動に再び取り組むつもりです。やっぱり、何か事を起こすには自分でもリスクを背負わなくちゃいけない。昨年、ロサンゼルスの映画マーケットで、”7,000円で作った感涙のゾンビ映画”と言われる『コリン』というイギリス映画を買い付けました。無名の新人監督が1台のデジカメで撮った作品ですが、低予算で撮ったと思えないほどクオリティーが高い。日本のビデオメーカー数社がボクよりも高値で交渉していたようですけど、「日本でも絶対に劇場公開すべき!」というボクの提案に監督が賛同してくれたんです。映画界をたったひとりで変えていったブルース・リーの熱い志を現代に甦らせるためにも、面白い形で日本での宣伝・公開を考えているところです。『世界ブルース・リー宣言』を書き上げたばかりでボロボロ状態ですが、エネルギーを充填次第やりたいですね。面白い映画を宣伝・配給するのも、けっこーエネルギーが必要なんですよ(笑)。
(取材・文=長野辰次)

●えどき・じゅん
1962年東京都生まれ。東北新社、ギャガで洋画の買い付けや宣伝業務を行ない、『死霊の盆踊り』(65)、『ベルリン忠臣蔵』(85)などのカルト作品を発掘。独立後は映画評論家としての執筆活動の傍ら、”行動的批評”として『ムトゥ 踊るマハラジャ』(95)、『ロッタちゃんと赤いじてんしゃ』(92)、『ロッタちゃんはじめてのおつかい』(93)、『処刑人』(01)など既存の配給会社が扱わない知られざる映画を日本に紹介している。『カブキマン』(01)、『王様の漢方』(02)、『丹下左膳・百万両の壺』(04)などの映画製作も経験済み。主な著書に『地獄のシネバトル』(洋泉社)、共著に『映画突破伝』(洋泉社)、『関根勤×江戸木純シネマ十番勝負』(富士見書房)など。『バッド・ムービー・アミーゴスの日本映画最終戦争!〈邦画バブル死闘編〉2007-2008年版』『日本映画空振り大三振 くたばれ!ROOKIES』(共に洋泉社)に続いて、ブルース・リー映画の評論集『世界ブルース・リー宣言』(洋泉社)が発売されたばかり。

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最終更新:2010/07/29 15:00
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