大衆文化の真髄!? 蚊帳が作り出す淫靡な世界
#町田忍
大衆文化研究家の町田忍氏が、エロと大衆文化の関係を解き明かす!
【第一回】
蚊取りと蚊帳と夜の関係
夏の風物詩と言えば、蚊取り線香。最近では電子蚊取りがすっかり主流となっていますが、あの匂いを嗅ぐと子どもの頃の夏の思い出が蘇る、という人も少なくないのではないでしょうか。今回は、そんな蚊取りの知られざる歴史に迫ります。
もともと蚊取り線香の原点は「蚊遣り」と言って、杉などの植物をいぶして、その煙で蚊などの虫を追い払っていたんです。その後、除虫菊という草に蚊を殺す成分があるということが分かり、日本にもその粉末が輸入されるようになったんです。除虫菊が国産化されるようになると、伝統的な蚊遣りの発想から、おがくずに混ぜて火鉢や香炉などに棒状に盛り、くすべて使用されるようになりました。
(出典『蚊遣り豚の謎』新潮社)
現在の渦巻き型の原型である棒状の蚊取り線香が発売されたのは、明治23年。実は、蚊取り線香は日本の発明なんです。蚊取り線香のメーカーはどこもだいたい明治、大正時代に創業されており、古い歴史があるんですが、生みの親は、「金鳥」の創業者・上山英一郎氏。上山氏が旅館で隣に居合わせた人が、たまたま線香屋さんだったんです。それでその線香に除虫菊を練り込むことを思いついたのが、棒状の線香の始まりなんです。だけどこれ、持続時間は1時間程度で朝まで1本では持たない。そんなとき、上山氏の奥さんが、蛇がとぐろを巻いているのを見て、渦巻き型というのを思いついたんです。
もとは仏壇用線香ということもあって、蚊取り線香には仏教的なつつましやかな殺生の考え方が生かされていると思うんです。蚊取り線香の煙は弱く、もともとは”蚊遣り”という通り、蚊を殺すものではないんです。ポトリと落ちて気を失うけど、そのあとまた飛んでいく蚊もいる。だから蚊にはやさしいです。もちろん、死んでしまう蚊もいるけど、意識が朦朧としたまま死んでしまう。
(出典『蚊遣り豚の謎』新潮社)
僕にとって蚊取り線香の魅力とは、レトロなパッケージデザインも含め、アナログなところなんです。金鳥をはじめ、昔からそんなに変わらず古風な図柄を使用し続けている。そこに日本の歴史の一端が凝縮されているように思えるんです。それから蚊取り線香ができた背景に浪漫がある。これが実に面白い。
■蚊遣りと豚の切っても切れない関係
さて、蚊取り線香と言えば、「蚊遣り豚」の話が欠かせません。焼き物で有名な愛知県の常滑焼業者の間では、昭和20年頃、養豚場で蚊に困っていて、筒形の焼き物の中に草を敷き、その上に蚊取り線香を置いて使用していたそうです。おそらくこれは、常滑が全国に出荷していた有名な土菅で、煙が少しずつ出るようにと土菅の口を細くしたところ、次第に豚のような形になったのではないかと言います。
る貴重な広告。大正4年6月10日、東京
新聞(出典『蚊遣り豚の謎』新潮社)
しかし、それだけではないんです。実は、江戸時代を舞台にした小説『半七捕物帳』の文中に、蚊遣り豚が登場しているんです。ただこの時代には豚を食べるという習慣が日本には定着しておらず、「豚=猪」であったのではないかと思われます。大正4年の新聞広告には”豚器”として紹介されているので、大正から昭和にかけて庶民の間に広まったと考えられます。でも、先の常滑の蚊遣り豚の歴史とは全くつながっていないんです。ぜんぜん違う時代の違う場所で蚊取りと豚がくっついた。不思議な偶然ですね。
この蚊取り線香、蚊遣り豚とは別に、蚊帳という文化もあります。
蚊帳は紀元前からエジプトにも中国にもあったことが分かっており、日本では700年頃に登場しました。当初は絹製だったので、ごく一部の高貴な人が使うものでしたが、その後、麻、綿、紙といった素材でも作られるようになりました。初期のものは四隅に紐をかけて吊るすのではなく、竹竿を井型に組んで天井から吊るしていました。さらに蚊帳には季節の行事的な要素もあり、吊るす日も外す日も、吉日を選んで行っていたそうです。庶民の間で使われるようになったのは、江戸時代に入ってからです。
■蚊取りと蚊帳と夜のはなし
つるすタイプだった。
(出典『蚊遣り豚の謎』新潮社)
僕が子どもの頃、昭和30年代にはどの家庭にも蚊帳はあったんですが、今ではすっかり見なくなりました。けれど、蚊帳はエッチな雰囲気を演出する装置としては最高なんです。銭湯には非日常空間を作り出すために富士山のペンキ絵があるわけで、蚊帳もある種の別世界、異次元空間なんです。蚊帳の外の世界と中の世界がちょっと違う。独特の雰囲気を持った、淫靡な世界なんです。
蚊帳の中で蚊遣り豚に蚊取り線香をやって、行燈を置く。そこへ浴衣を着た女の子を先に寝かせておいて、夜這いに行くっていうのがすごくエロティックでいいと思うんですよ。これこそが大衆文化の真髄。(笑)。AVでもなんでも今の時代はストレートすぎるから、こういうエロチシズムが必要だと思いますね。昔の「にっかつポルノ」のように、単にエロいだけではない奥深さ、文化的価値がそこにはあるんです。
僕は色街研究家でもあるんですが、僕が知る限り、蚊帳を置いているラブホはない。でも、蚊帳があるラブホって人気が出ると思います。ただ、蚊帳って洋室にやってもまったく様にならない。やっぱり畳じゃないと。そういう連れ込み旅館とかに置いたらいいんですよね、和室の。昭和30年代の雰囲気の庭や畳があるのは、都内では駒込と日暮里の2件くらいじゃないかな。ぜひ、僕に”蚊帳ラブホテル”をプロデュースさせてほしいよ!
(談=町田忍/構成=編集部)
●まちだ・しのぶ
1950年東京生まれ。学生時代はヒッピーとしてヨーロッパ各地を放浪。卒業後、警視庁警察官勤務を経て、庶民文化における見落とされがちな風俗意匠を研究。その研究対象は多岐にわたり、銭湯、正露丸、チョコレート、ペコちゃん、コアラのマーチ、蚊取り線香、ハエ取り紙など150以上にのぼる。す。主な著書に『銭湯遺産』(戎光祥出版)、『昭和なつかし図鑑』(講談社)、『東京ディープ散歩』(アスペクト)などがある。現在、文化放送「ドコモ団塊倶楽部」(毎週土曜・午前11:00~)とライブストリーミングサイト「DOMMUNE」に不定期出演中。
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