ベッドの上でも暴れん坊!? 芸能界の名物社長が懐古する若き国民的女優との”禁断の恋”
#宮西渡 #宮西渡の(続)バチーンと言っちゃうぞ!
芸能界の”ドン”は言うまでもなく、有名スポーツ選手から文化人、さらにはハリウッド俳優まで幅広い人脈を持つ”芸能界の暴れん坊”こと、Zプロモーション宮西渡社長。幼稚園中退、前科×犯、だけど曲がったコトが大嫌いな社長が芸能生活50周年を迎える今年、これまで封印してきたあんな話やこんな話を、”バチーン”と暴露しちゃうぞ!
兵どもが夢の跡……浮かんでは消え、消えては浮かぶ、魑魅魍魎たちが跋扈する芸能界を、半世紀にわたって生き抜いたZプロモーションの宮西渡社長。ここまでの連載で語ってきたように、誰からも愛される天真爛漫な人柄は、芸能関係者のみならず、政界、裏社会からも不思議と多くの人望を集めてきた。その中でも、今回は宮西渡という魅力に集まった百花繚乱の蝶たちについて筆を進めよう。
「ん? 今日は女の話が聞きたいって? コレまで関係を持ったのは1,500~1,700人くらいなんじゃないかな。え、嘘じゃないよ! バカ言ってんじゃないよ!! 50~60カ国くらい訪れているからね。自分としては普通だと思っているけど、一般的にはちょっと多いって感じじゃない?」
ハッタリではない──。宮西渡のモットーは「真っすぐ」「ブレない」。それはなにも仕事だけの話でない。女性に対しても同様だ。これまで”伴侶”として連れ添った女性は3人いたが、一晩しか寝ていない女性に対しても同質の愛を注いだ。
「愛を持って愛を制す。ハハハ、愛を持って接すれば、向こうも愛を持って迎えてくれるんだよ」
”最終学歴幼稚園中退”はダテじゃない。恋愛のメソッドはシンプルだ。独自の哲学を貫き、決めゼリフは「あなたが俺の最後の女になれたらいいんじゃないの」である。
全盛期はバンド時代。もちろん、ジュンスカやユニコーン……ホコ天にもタケノコ族がいた時代ではない。半世紀近く前の話だ。18歳のときにギター1本を抱えて……というわけじゃないが、いろいろあって四国・香川県から上京し、「宮西渡とザ・スナッキーズ」としてデビューしたのが20代前半。グループ・サウンズの草創期だった。
(写真/江森康之)
身長1m73cm。人気爆発中の嵐・松潤と同じ長身からかき鳴らされるギターの腕前に、世の女性は放っておかなかった。
「週に15、6人は関係を持ったよ。当時はみんな背が低いじゃん? オレはボクシングもやっていて洗濯板みたいなボディをしてたから、脱ぐとみんなビックリしてたよ」
好きな体位は正常位。
「当然、女の子の要望によってはいろいろ試したね。×Pや△Pもしょっちゅうだったね。即興で『一夜の恋』という曲を書いたこともあったなあ」と振り返る。
当時のバンドのメンバーの証言も秀逸だ。
「宮さんは、泡の匂いしかしなかったよ」
ある営業で、ステージに上がったときのことだ。
「開始の時間が来ても、宮さんがいないんだよ。仕方ないから4人で演奏を始めていると、何食わぬ顔をしてステージに上がってきた。シャンプーの香りをプンプンさせてね。ファンの子をつまみ食いしてたんだよ」
「髪が濡れたままだし、クタクタで演奏しなぁ。そうそう、女の子の名前を間違ったこともあったよ」
そんな社長の初体験は14歳。デビューは香川・高松の赤線だ。
「瞳がパッチリしたセクシーなお姉さん。25歳くらい。着物を着ていたなあ。”香川の暴れん坊”で通ってたオレが、赤ちゃんみたいに扱われて、何もわかんないまま30分で1発だったよ」
これが百戦錬磨の社長の原点だ。当時の金額で300円。社会人の初任給が約1,000円、ラーメン1杯15円、タクシーの初乗り料金が60円という時代。もちろん、一世を風靡した女優との恋もあった──。
「彼女が16歳のときに、ダンスを教えてあげたことがきっかけだったね。小悪魔的で素敵な女だった。半年くらい付き合ったけど、仲間という感じかな。ビッグになったのは別れてからだけど、すごいうれしかったね」
国民的人気を誇りながら、晩年はひっそりと暮らし、昨年”孤独死”を遂げた大女優のR。だが訃報については、「ただただ寂しいね」とこの時ばかりは顔を伏せる。
数え切れないほどの女性と逢瀬を重ねた宮西渡。瞳を閉じると、今でも自身の体を通り過ぎていった女性ひとり1人の表情がはっきりと思い浮かぶという。
「タカったりしたことは1度もないけど、事務所を作ったときに援助をしてくれたり、困ったときに助けてくれたのは、100人はくだらないよ。たまたま『Zプロモーション』を立ち上げたときに、Zってコトで、日産のZ432をもらったりもしたね。俺なんかを一瞬でも愛し、助けてくれたことに感謝、ただ感謝だよ」と目頭を熱くする。
今や、日本全国に100台程度しかない名車に思いを馳せ、ちょっと意地悪く「最近セックスしたのはいつ?」とぶつけてみると、「ボケているから分かりません」とうそぶいた68歳。もちろん現役バリバリ。まだまだお盛んなようだが「言っとくけどな、嶋村かおりもそうだけど、自分がプロデュースした女に手を出したことはないよ」
愛を求めて、今宵も六本木の街に繰り出す。現代のいわゆる”草食系”という現代の若者に対して「いい意味で言うよ。犯罪にひっかかなければ何ふり構わずにどんどん進め。行けばわかるさ。食ったら分かるさ」と盟友のアントニオ猪木のせりふを交えてエールを送り……いやいや、つい口をすべらせてしまいそうな格闘界の赤いタオルのカリスマや古希を迎えたハリウッド俳優との回想録は、また次回の連載に譲るとしよう。
こんなの序の口。
・バックナンバー
【第3回】 バーニングとの深すぎるカンケイ……”芸能界のドン”らと過ごした夜の銀座
【第2回】 CM出演に大物タレントとの”夢”の共演……六本木&芸能界の暴れん坊、大胆告白!!
【第1回】 芸能生活50年! あのアイドル復帰で暗躍した暴れん坊がギョーカイに喝!!
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